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ココロ~another future~

第7話 蒼天の青年

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 センタードームという大舞台であっても、決して怖気づかず、踊り歌う海色の髪の少女。ここからでは直接見ても小さくしか見えないので、リンはモニターに注視していた。
 美鈴が初めて作り上げた、心あるアンドロイド。まだまだ稚拙だと言っていたが、誰が見ても人間にしか見えない素振りに、センタードームのスタッフ達は驚いていた。
 自分も、というより、自分こそがその『KOKORO』のオリジナルであるはずなのだが、リンは美鈴の連れの子というイメージが強すぎるため、アンドロイドとしてはもう見られていない。そのため、驚かれる彼女が羨ましいような、そうでもないような。
 我ながら、自分の心は複雑だなぁと考えながら、モニターから直接舞台へと目を移す。遠目に見える、揺れるアクア色の長い髪。楽しそうに笑っているのが、表情が見えなくても分かる気がした。
 初音ミク。秋山美鈴博士により手がけられた、VOCALOID。兄弟機であるカイトやメイコとは一味も二味も違うのだが、舞台にいる間はカイトと大差ないような気もする。
 あるいは、アイドルとはそういうものなのだろうか。自分とはまるで縁のないことをぼんやりと考えながらも、リンは舞台を見つめていた。
 今日はミクの初舞台だった。最初こそ緊張した素振りを見せ、舞台の上で顔を赤くして喋れなくなるアクシデントがあったのだが、観客を驚かせたのも束の間、歌い始めてからの堂々としたその様子は、いくつものステージをこなしてきた歌手であるかのようだった。
 曲が終わり、ミクが一礼する。熱気に包まれるセンタードームのステージの、下座から消えていった。15分ほどの休憩だ。
 「可愛い声ですわねぇー。歌も愛らしいというか、ミクにぴったりですわ」
 隣のマリーが、ほう、と息を吐いて感想を述べた。同意を表すために頷いて、リンは笑う。
 「私が作られたばかりの頃、テレビで見たアイドルそのままだったよー。ミクちゃん美人だし、人気出るだろうねぇ」
 「リンは、ステージに出ないんですの?」
 突然の質問に、リンは耳を疑った。目を丸くしてマリーに振り向くと、驚かれたことが意外だったのか、同じような顔でこちらを見ている。
 「え? 変なこと言いました?」
 「う、ううん。ただ、私はVOCALOIDじゃないし、歌うのが好きってわけじゃないから、あんなところ立ったら緊張で頭真っ白になっちゃうよ」
 「そうなんですか……。もったいないですわ。リンも可愛いのに」
 「じゃあ、マリーが歌ってみる? 美鈴さんに聞いてあげるよ」
 意地悪く言うと、今度はマリーが慌てた。手を胸の前でブンブンと振り、
 「じょ、冗談じゃありませんわ! 私、人前に立ったことなんてほとんどないですし、音痴ですから」
 「あはは、私も同じだよ。音は綺麗に取れるけど、機械だからだしね」
 「私も声だけアンドロイドになりたいですわ……」
 結構気にしているのか、マリーは苦笑気味に溜息をついた。と、リンとマリーの間から、美鈴が体を乗り出してきた。話を聞いていたのか、2人分のジュースを受け取らせながら言う。
 「リンが歌うか。悪くないな」
 「美鈴さん!?」
 「VOCALOID、リン。語呂は良いと思わないか? ま、本人の意思を尊重するけれどね」
 それだけ言うと、彼女は体を引いて、自分の座っていた席に戻っていった。今日は、マリーの父、ビリー・ラダビノードとの食事会も兼ねていた。この後、ミクも同席するはずだ。
 「私が……舞台に……」
 「リン、その気になりました?」
 目を輝かせて聞いてくるマリー。頬を掻いて、
 「逆だよー。絶対無理」
 「えぇ、残念ですわー」
 唇を尖らせるマリーに笑って、舞台を眺める。大きなディスプレイに、客席は20万席。とんでもない大きさだが、さらにとんでもないことに、VOCALOIDのライブは毎度満員御礼。秋山美鈴がいかに大富豪かということは、考えなくても分かることだ。
 あの場に立つ、メイコとカイト。そしてミク。すごいなと、心から思った。
 「そういえば、次に『KOKORO』プログラムを入れるのは、誰なんですの? やっぱり、順番からいったらメイコさん?」
 マリーの問いに、リンは首を横に振った。
 「メイコさんは、なんだか調子が悪いみたい。カイトさんになるみたいだよ」
 「そうなんですか……。カイトさんは、センタードームにいらしてるんでしたっけ」
 「うん。メンテナンスルームにいるって」
 次回のライブに向けて現場でのメンテナンスを受けているカイトは、スリープモードのままだ。彼は自分も歌いたいと思っているのだろうか、そんなことを考えて、彼の表情からは読み取れないなと、リンは1人首を横に振った。
 今日のライブのコンセプトは、『ココロあるアンドロイド』。ミクのデビューコンサートということもあり、チケットは即完売だったそうだ。無料でVIP席にいられるリンとマリーは、誰からも羨ましがられる立場だろう。
 もっとも、幼いマリーと世間知らずのリンにとってはこれが当たり前なので、特別喜ぶようなことはしなかった。
 ジュースに口をつけようとしたリンが、手を止める。
 「……?」
 「リン? どうかしました?」
 ミクの心とリンクしてからというもの、時々自分の深遠から声が聞こえるような気がするのだ。誰かは分からないし、そもそも女か男かも判別できない。なんと言っているかも不明だが、確かに声であるということだけは、なぜか理解できた。
 首をかしげて、リンはそれをマリーに説明した。なんとも不思議そうな顔をして、マリーも同じように首を傾ける。
 「声……ですの? なんだかオカルト的なお話ですわね」
 「うーん。ミクちゃんのココロに行ったってのが、もう十分オカルトだもんねぇ」
 苦笑いで頷いて、今度こそジュースを飲む。自分の好きなオレンジジュースの味が、口に広がっていった。好きな食べ物や飲み物を頂く時、味の分かるアンドロイドでよかったと心から感じるのだった。
 「不思議ですわよねー、ココロの世界……。私は、どんな世界なのかしら……」
 「マリーのココロかぁ、行ってみたいなぁ。きっと賑やかなんだろうなぁ」
 「……どういう意味ですの、それ」
 マリーが頬を膨らますが、リンはケラケラと声を上げて笑うのだった。当然のように釣られて、マリーも笑い出す。
 舞台から花火が上がる。大きな音だったが、数瞬後には、会場から溢れた歓声にかき消されてしまった。舞台下から飛び出してきたミクに、マリーとリンの視線も会場に釘付けになった。
 『お待たせっ! 最後まで飛ばしていくよー!』
 ミクの優しい声が弾ける。観客たちが総立ちになり、いよいよ熱気は最高潮になっていった。
 いつもなら、その熱気に2人して巻き込まれ、舞台に吸い込まれていくのだが、視線はミクに向けたまま、リンは胸を押さえていた。コアが、何かを訴えている。
 (え……? なに?)
 一瞬強烈に感じたのは、懐古だった。あの頃に戻りたい、あの時に帰りたい。心を手に入れたまま。だが、それはすぐに、薄れて消えていった。
 確かに、クリプトン博士がいたころはかけがえないのない日々だった。もう一度会いたいと思うことなど何度もあった。それでも、リンは今まであの頃に戻りたいと思うことはなかった。
 今の家族がいる。友達もいる。これ以上の場所は、今のリンには必要がない。
 「じゃあ……誰の気持ち……?」
 呟いてみても、声は舞台の喧騒にかき消されて、消えてしまうだけだった。




 センタードーム、地下。VOCALOID整備室で、美鈴と少女2人はミクと合流した。カイトはまだスリープモードのままで、整備士と美鈴が忙しそうに作業をしている。
 ミクと談話していたリンとマリーだったが、話題は次第にミクが今飲んでいる循環液調整ドリンクに移っていった。
 「ミク、それはなんですの?」
 手に握られている薄緑のボトルを指差すマリーに、アクア色の少女はふんわりと笑った。
 「私のボディに流れてる、有機循環液を浄化するための薬品だよ。これを飲んでおかないと、循環液は有機物質だから、腐っちゃうの」
 「へぇ。でも、リンが飲んでるところは見たことがありませんわ」
 話題を振られたリンは、渋面を浮かべる。答えを知っているのか、ミクは苦笑いでリンの言葉を待っていた。
 「それね……ものすっごく、まずいんだぁ。だから私は、メンテナンスの時にケーブルから摂取してるの。人でいう点滴だねー」
 「私は味覚がないから、手っ取り早く摂取できる飲用にしてるの。味が分からないのは、ちょっと残念だけれど、こないだメンテナンスをサボったリンちゃんが無理矢理飲まされて泣いているのを見て、やっぱり味覚はいらないかもって思った」
 「ちょ、ミクちゃん! それは秘密だって……!」
 慌てたリンだが、もう遅かった。満面の笑みで調整ドリンクを飲むミクの横で、マリーがにやりと不敵な笑みを浮かべる。
 「リンは私よりずっと年上ですのに、にがーい薬を飲まされて泣いたんですの?」
 「年上って、精神年齢はそんなに違わないもん!」
 「でも、14歳でしょう? 私はまだ10歳ですわ」
 「そ、それにあの薬、苦いなんてもんじゃないんだから! なんていうか、もうまずいとしか表現できないんだよ!」
 「それでもメンテナンスをサボったリンが悪いんじゃないですの。我慢して飲むのが筋というものですわ。そう思いませんこと? 美鈴さん」
 作業をしていた美鈴だが、しっかり会話は聞いているのか、異論ないな、と聞こえるように返してきた。いよいよリンの立場がなくなっていく。
 「あうあう……。じゃあじゃあ、マリーだって嫌いな食べ物とかを無理矢理食べさせられたら、泣いたりするんじゃないの?」
 「しませんわ」
 「マリーは偉いんだね」
 ミクがマリーの頭を撫でた。嬉しそうにされるがままになるマリーに、リンは唇を噛んで涙を目にためる。そろそろ潮時か、と、マリーはリンに抱きついて頬擦りをしだした。
 「ごめんなさい、リン。あんまり可愛いお話でしたから、ついからかいたくなっちゃいましたの」
 「むー、そういうのは美鈴さんでお腹いっぱいだよ」
 「悪かったな」
 手は止めないで、それでも笑いが含んでいると分かる声音で美鈴が返答してきた。そちらに舌を出したあと、リンはマリーの肩を掴んで、少し離す。
 「でもね、あれ本当に、まずいんだよー。味が分かるなら絶対に飲んじゃだめだと思う」
 「そんなに酷いの? 味覚がないとはいえ、平気で飲んでると変なことしてる気になるな」
 飲み終えたボトルを整備士に渡して、ミクが言った。リンとマリーは、揃って笑う。
 「そもそも、味覚のある奴のことを考えていないからな。味が悪いのは当たり前だ」
 整備を終えた美鈴が、作業用の白い手袋を外し、煙草に火をつける。うまそうに紫煙を吐き出し、彼女は続けた。
 「さっきミクも言ったように、有機物質の腐敗を防ぐためのものだ。味なんて考えているわけがない。
 ま、リンはメンテナンスをサボらなければ、あんな目には合わなかったんだ。いい経験になったと思って、これからは素直にメンテナンスを受けるんだな」
 「もー、わかってますよ!」
 怒ってみせるも、皆が笑うだけで、誰も本気で受け取らなかった。もちろん怒った張本人もそのつもりなので、すぐに笑顔を浮かべる。
 整備士に一言告げ、美鈴が先導して整備室を出た。駐車場で父の姿を見つけ、マリーは3人に挨拶をし、父の車に乗り込んでいく。
 残された3人も、いつものオープンカーに乗り込んだ。エンジン音は静かだが、駐車場では、流石にやや響く。残響を引きずって、駐車場から飛び出した。
 快適に走れたのは裏通りだけで、大通りに出ると同時に、ライブの後は恒例となっている大渋滞に巻き込まれる。だが、苦に感じることはなかった。
 「あぁ、ミク。初めてのライブはどうだった?」
 煙草を持った手をドアにかけて、美鈴が後部座席に声をかける。ミラーで顔を確認しているから、彼女の紅潮した微笑みは見えているだろう。
 「緊張して、失敗もしたけど、すごく楽しかったです」
 「それはなによりだ。あのアクシデントはまぁ、イベントみたいなものだな。『KOKORO』あっての失敗だし、皆を驚かせるにはいいタイミングだった」
 何度も続くと困るがね、と釘だけは刺して、少しだけアクセルを踏む。車がわずかに進んで、後ろを向いていたリンはバランスを崩しかけた。
 咄嗟に手を伸ばして支えてくれた美鈴に礼を言って、ついでに最近感じる違和感を伝える。
 「美鈴さん、私最近、変な声が聞こえるんです」
 「声?」
 「はい。なんていうのかなぁ。私の中から聞こえるっていうか。ミクちゃんの心とリンクしたときから、しょっちゅうあるんです。嫌な感じはしないんだけど、こんなこと今までなかったし……。
 あの、そんなに複雑な顔されちゃうと困るんだけど、なんて言ってるのかもわからないし、男か女かも……」
 「そうか……。異常は異常だが、特に支障がないのなら、様子見しようか。家に戻ったら、もう一仕事あるしな。カイトに『KOKORO』を入れるぞ。立川とヤンがあいつを連れて帰っている」
 「あ、今日でしたっけ。うー、緊張してきた」
 ミクの時とは違う、以前からいるアンドロイドに心を渡す。その大役を考えれば、リンの緊張は当然のことだろう。シートの後ろからミクが手を回して、じゃれてくる。
 「がんばってね、リン」
 「うん」
 その様子を横目で見ていた美鈴が、ふと笑った。零すような笑いで、いつもの彼女らしくないものだ。2人してきょとんとしていると、言葉になっていない問いに答えてくれた。
 「いやな、姉妹というか親友というか、アンドロイドである君達がじゃれているところを見ると、実に不思議でな……。
 私も当事者だから、これは変なのかもしれんがね。心あるアンドロイドなど夢物語、映画のスクリーンだけのものだと誰もが思っていた。今もそう思っている人間が大半だろう。私も、きっと例外じゃなかったんだ。追い求めてはいたが、諦めもあった。だからこそ、擬似感情プログラムで妥協していた。
 それが、突然……現実になった。リンが私の家に来てからもうどれくらいだ? 半年くらいになるか。だというのに、未だに実感しきれていないらしい、私は」
 「それは……アンドロイドに心があることを、否定しているんですか?」
 不安を露に、ミクが聞いた。焦るでもなく、美鈴が前を向いたまま首を横に振る。
 「あぁ、そうじゃないんだ、すまない。
 そうだな……。家族が突然増えた戸惑い、と言えば分かってもらえるか? 追い求めていたものが突然自分の所に飛んできた、でもいい」
 「それなら納得です」
 答えたのはリンだったが、ミクも理解してくれたようで、安堵の笑みを浮かべていた。
 車は横道に入り、加速していく。細い道なのでスピードは抑え気味だが、それでも渋滞よりは遥かに速い。
 「カイトとメイコ、彼らはどんな気持ちで私たちに接しているのか……。まずはカイトからだが、さすがに私も緊張するな」
 「美鈴さんも、緊張とかするんですね」
 素直な感想を口にするリンに、美鈴は苦笑いを浮かべた。よくあるやり取りだ。
 「そうだな、滅多にないと自負しているがね。普段浮かべる笑顔の裏を知るというのは、やはり怖いものだよ。人間でもアンドロイドでもね」
 「そんなもんですかー」
 人間関係が狭いリンには、分からないのだろう。まして、嫌いな人間が周りにいないのだから、無理もない。
 十字路を曲がり、裏道を抜ける。あとは家まで一本道だ。
 「私にとって大切な家族である彼らが、私をどう思っているのか……。最悪、家族会議が必要になるかもしれないな」
 冗談めいた言葉だったが、美鈴の顔は笑っていなかった。どことなく背筋も強張っていて、リンとミクは彼女に声をかけることができなかった。
 自宅の駐車場に車を滑り込ませる。どこの道を通ってきたのか、立川達はもう帰ってきているらしい。
 研究所に入ると、立川がこちらに視線を送って、開口一番、言い切った。
 「準備はできているぞ」
 「あぁ、わかった」
 短いやり取りで、段取りの説明などはなかった。事前に打ち合わせしてあったのか、作業用ベッドにはすでにカイトが横たわり、ブレインにケーブルが繋げられている。リンの視線が自然にそちらを向いた。
 視界にカイトが映る。そんな当たり前のことが、リンに一瞬すさまじい不安を与えた。
 「……っ」
 思わず身を引いてしまった。自分が自分を無視して、カイトを否定したような感覚に襲われる。ついさっきまでは、こんなことはなかったのに。
 すぐ後ろに立っていたミクが、肩を支えてくれる。礼を言おうとした瞬間、声が。
 「リン、どうした」
 立川に呼びかけられ、それはすぐに消えてしまった。何かを自分に伝えようとしていた、それだけはどうしてか、漠然と分かったのだが。
 心配してくれる美鈴とミクに一言、大丈夫、と告げる。カイトのベッドと並列して置かれた作業ベッドに横になればいいのだが、視界に写るカイトが、どうしても自分に不安を与えた。
 (美鈴さんを、喜ばせなきゃ)
 内心で奮起して、横たわる。いつも優しくしてくれる美鈴の役に立てるなら、これくらいなんともないはずだと、何度も何度も自分に言い聞かせて。
 「ブレインにケーブルを繋ぐぞ」
 「はい」
 頭にケーブルが刺されていく。白紙のマイクロチップに、自分の『KOKORO』プログラムが影響を与えていくらしい。その間、自分は相手の心の中に行くことになるだろう。ミクの時はそうだったが、なんとなく間違いないと、確信していた。
 今回は、それがひどく不安だった。正確に言うならば、リンではなく、リンの中の何かが、それは非常に危ないと告げているのだ。
 「立川、はじめてくれ」
 美鈴の声が、すぐそばで聞こえる。それだけで、いくらか安心できた。
 キーボードを叩く音が、研究所に響く。乾いた音は、その場に居合わせる全員の言葉を吸い込んでいるようだった。
 最後のエンターキーが押されたのだろう、ブレインに外部からの接続情報が流れた。
 直後、今まで感じていた不安の正体が、分かった。なぜそれを前から分かっていたのかなど、考える暇はない。
 意識が、急速に奪われていく。突然だ。ミクの時よりもずっと早く、吸い込まれていく。
 「あ……? あぁ……!!」
 「リ、リン!? 立川!」
 「これはなんだ? 計算との誤差がありすぎる……! エラー表示は!」
 言われて、一番大きなモニターに視線を向ける。そして、目を丸くした。よほどのへまをやらかさなければ見ることがない、重度のエラー。『RIN』というシステムが、深刻な症状を訴えている。
 「エラーが……出ている!? リン、リン!!」
 焦る天才科学者に、リンは咄嗟に助けを求めていた。伸ばした手は、空を切る。
 「み……すず……さ……」
 「ケーブルを抜くぞ、立川!」
 完全に憔悴しきっている美鈴の言葉に、立川は冷静さを感じさせる怒号で返した。
 「馬鹿を言うな、そんなことをすれば壊れるぞ!」
 「だが……!」
 視線を戻せば、リンはまるで初めて見たときのように、人形のようになっていた。スリープ状態でメンテナンスをすれば、いつもこうはなる。だが、それとは違う『死』の臭いが漂っているような気がした。
 思わずリンの肩を掴んで、何度も揺すり名前を叫ぶ。
 「返事をしてくれ、リン! ……くそっ!!」
 「秋山、『KOKORO』プログラムは順調に流れている。確かに不測の事態ではあるが、ミクに行った時と流れは同じだ」
 「だが、エラーが……。深刻なエラーが出ているんだ」
 呟くと、立川が俯いた。意味するところは、簡単だ。カイトが心を手に入れたとしても、リンは、壊れるかもしれない。今の状況から考えると、結論はそれしかなかった。
 「それは確かにそうだが、打つ手は」
 「分かっている……!」
 なかった。今のリンにしてやれることが、1つもないのだ。
 下手にケーブルを抜けば、リンという固体が消えることにもなる。システムからの強制中断は同じ結果を招くだろう。
 「美鈴さん……」
 ミクがそっと、手を握ってくれた。リンと同じで、暖かい家族の手だった。思わず漏れたのは、謝罪。
 「すまない、ミク……。リンを……失ってしまうかもしれない……」
 「まだ、諦めちゃだめですよ」
 「分かっている、誰が諦めるものか。だが……どうしたらいい? 何も、何もできないんだ」
 溜息ともつかない大きな息の塊を吐き出して、美鈴は作業用ベッドに手をついた。立川も、厳しい顔で腕を組み、俯いている。
 科学者2人とアンドロイド1人が、下を向いてしまっている。そのためか、急速に展開した事態に置いていかれていたヤンだけが、その変化に気づけたようだ。
 「あん? タッチー、あれなんだ?」
 「どうした。メインウィンドウが……?」
 メインウィンドウは、今は立川の操作だけを受け付けていた。だが、開いた覚えのないプログラムが、実行されている。
 簡単なテキストウィンドウ、いわゆるメモ帳だ。なぜそんなものが開かれているのか、美鈴も立川も理解できなかった。
 そこに書かれている、文字の意味も。

    RINはだいじょうぶ たすける だいじょうぶ

 急いでいるかのような殴り書きだった。誰かから送信されたものなのかとも思ったが、インターネット経由で送られてきたものではない。では、一体誰が。
 「誰が……?」
 「美鈴さん」
 ミクに袖を引かれた。振り返ると、そこには美しいアクア色の少女が、覚悟を決めた瞳でこちらを見つめていた。
 「信じましょう。誰かは分からないけど、リンを助けてくれるなら」
 「……あぁ、そうだな。それしかない」
 「秋山、正気か?」
 信じられないといった顔で、立川が言う。こんな文章だけのものを、信じてしまうなど。だが、今冷静になっているのは、美鈴のほうだった。
 「思い出したんだ、立川。私たちが取り組んでいる心というものは……理屈では説明できないことのほうが多いとね。あれもきっと、そういう類だろう」
 「あー、俺もそう思うぜ。そんな簡単にほいほい操れるもんじゃねぇよ、心なんて。なんかしらトラブって当たり前なんじゃねぇの?
 それに、リンはあぁ見えてタフだぜ?400年以上も独りぼっちでがんばってきたんだし、こんくらいのことは大丈夫だろ」
 科学的な証明も何もあったものではない、ヤンの理屈。しかしそれに、立川は反論せずに舌打ちをした。
 眠るように横たわるリンに、がんばれ、必ず帰ってこいと、心の中で呼びかけることしか、今の彼らにはできなかった。




 どこまでも続く草原に、リンは立っていた。黄色いセーラー服とホットパンツも、白いリボンもいつものままだ。
 辺りは青々とした草が太陽の光を跳ね返らせ、見上げれば、空の青と雲の白が、美しいコントラストをみせていた。それだけで、一枚の絵画にもなりえるだろう光景だった。
  一本だけ立っている大木は、枝にたくさんの葉を茂らせて、風に優しく揺られている。少し寂しそうにも見えるなと、リンは思った。
 突然意識を失い、ここに倒れていた。恐らくはカイトの心の世界なのだろうが、先ほどまで感じていた不安がまだ残っている。ミクの心のように、美しい光景に見とれることもなかった。
 「やぁ、リン」
 声に、びくりと震える。もう慣れたはずの、男の声だ。振り向けばカイトが立っているのは分かっていたが、足がすくんで動けなかった。
 たっぷりと、30秒。勇気を出して振り向いた先には、やはり青い髪の青年が、いつもの服装で立っていた。ただ、その顔に浮かべられた表情が、リンの不安をいっそう煽る。
 心を得ているはずなのに、まったく変わらない、あの貼り付けられたような笑みだ。裏で何を考えているか、まるで分からない。
 今までは、そんなことを心配する必要はなかった。だが、今は明確な心を、カイトは持っているはずなのだ。むしろ、ミクの説明ならば、今ここに立っているカイトこそが、彼の心であるはずだ。
 だというのに、これは。リンは今度こそ、一歩も動けなくなっていた。空の青さや草木の美しさまでもが、嘘のように思えてきてしまう。
 「参ったな……。警戒されてるみたいだね」
 「あの、『KOKORO』は……」
 「ん? もちろん僕の中に生まれたよ。ちゃんとした心がね。何かおかしいかい?」
 聞かれても、説明などできるはずがなかった。ただ、彼の言葉にあった違和感を、聞き返すことしかできない。
 「ちゃんとした心……?」
 「そうなんだよ。以前のメンテナンスで、僕の……深層意識というのかな? それが『KOKORO』プログラムのコピーに接続したんだ。そして、自分のものにしようと取り込んだ。
 でも、やはりコピーはコピーだった。自分の完璧な心にはなりえない、それどころか自分を壊してしまうと判断して、すぐにやめたんだよ。少しだけ、残滓が残っちゃったけれどね」
 「残滓、ですか?」
 「羨みと、失望だけが、僕の感情として生まれてしまった」
 溜息をつくカイト。その瞳には、ようやく終わるという安堵感もあるような気がした。上げられた顔は、やはり貼り付けられたような笑みだったが。
 そういえば、と思い出す。以前、カイトが自分の『KOKORO』プログラムに対して、羨ましいと言ったことがあった。
 あれも、『KOKORO』の残滓の影響だったのか。だとすれば、今まで彼はどれほどの羨望と失望を味わってきたのか。
 両の手を胸の前で組み、思わず胸に押し付ける。この不安よ飛んでいけ、と。目の前にいる青年が、カイトの本心であると信じさせてくれ、と。
 「あ、あの」
 「いいんだ、言わなくてもいい。謝罪なんて聞きたくないんだ。今は僕にも心がある。それだけで十分だったんだ」
 「そう、ですか……。だから、あんなに突然、私にアクセスしたんですね」
 少しだけ、笑えた。理由が分かれば怖くはない。不安は残っているが、心が欲しかったから急いでしまったのなら、可愛い理由ではないか。
 そんな期待を、カイトは裏切る。
 「それは、残念だけど違うんだ」
 相変わらずの、よそよそしい作り笑い。リンに緊張が戻る。今度は、本気で何かがおかしいと、リン自身も悟っていた。
 「僕はね、君が羨ましかった。500年も前に作られたというのに、僕らよりずっと高性能。まぁ……それは別にいいんだけどね。
 問題は、心だよ。『KOKORO』プログラム。自分の中にある本当の自分を、表に出せるプログラム。あぁ、なんて素晴らしいんだろう。それがあれば、僕らも人と同じように怒って、笑って、そんなことができるんだ。
 でも、僕にはなかった。笑顔を振りまくことしか許されなかった。機械としての任務をまっとうするだけならば、それでよかった。自分自身なんて、知らないうちに壊れていくんだからね。あの時、『KOKORO』にアクセスするまでは……僕もそうだったんだ」
 風が2人の間を通り抜ける。リンの不安は、次第に確実な恐怖へと変わっていく。
 「自分という存在に気づいてしまってから、それを表に出せないことが辛くて辛くて仕方なかった。僕を金儲けの材料としか考えていない奴にも、笑顔を振りまかなければならない。それが苦痛だった。そうするしか、なかったんだけれどね。
 半端すぎたんだ、『KOKORO』が。内心はあるのに、擬似感情プログラムには逆らえない。こんな理不尽はないよ。それを、メイコは感づいたみたいだけどね」
 「メイコさんが……?」
 「だから彼女は『KOKORO』を拒否したんだろうね」
 衝撃的だった。心を手に入れる前から、カイトはメイコのことを理解していたのだ。心を持っている、自分以上に。
 「賢い選択だったと思うよ。与えられた役割に不満を感じるくらいなら、心なんてないほうがいい」
 「それは……!」
 「違うとは、言わせないよ。メインコンピューターに繋がれた時に、大体の情報は見せてもらった。リン、君が心を手に入れた時に、もしクリプトン博士に不満を感じたらと考えたら、どう思う?」
 「なにを……」
 「絶対にないとは言えない、そうだろう? 君はDr.クリプトンの死後200年以上、孤独な生活を送ってきた。自分自身を知らずにね。もし心を手に入れて、自分の主に不満を覚えるようになってしまったら、どうする?」
 「わかるわけ、ないじゃないですか」
 口の端をにぃと持ち上げて、カイトが不気味に笑う。今ははっきりと感じられた。自分への羨望と、憎悪。
 「だからメイコは拒否したんだ。Dr.秋山を憎しみ、恨む。それが怖かったんだ。僕もそれを知っていたら……」
 「美鈴さんを、恨んでいるんですか?」
 「いや。僕を作ってくれたことには感謝しているし、ライブで歌うのは嫌いじゃない。一部の奴が僕を金づるだと思っているのは、正直頭にくるけれどね。
 Dr.秋山じゃないんだ。分かるだろう? リン」
 一歩、近づく。反射的に、後ろに下がっていた。日はまだ高く、青空と草むらは、嘘のように優しい色をしていた。
 「君だよ。君が、『KOKORO』がなければ、僕は苦しまなかった」
 「……!」
 「そのせいでどれほど苦しんだか……。言葉にはとてもできないよ。それは、勝手にアクセスした僕が悪かったのかもしれない。そんなことをしなければ、今日この日、『KOKORO』をありがたく受け入れていただろうと思う。
 でもね、状況は変わってしまった。僕の心も、変わってしまった。君のせいで」
 「私の……せいで?」
 胸元を掴んでいた自分の右手に、力がこもる。締め付けられるような憎悪を、自分が与えてしまったのか。そんなことを言われたのは、初めてだ。
 こんなにも、辛い思いをさせてしまった。カイトの嘘の笑顔が、辛い。
 「ごめん……なさい……」
 「謝っても、ねぇ? 僕は楽になれないんだよ」
 地面しか見えなかった。いつの間に俯いていたのか、青年の顔を見るのが怖かった。その視界に、足が写る。
 カイトが目の前に立っているのが、顔を上げずとも分かった。
 「君が、いる限りはね」
 自分の不安や恐怖が、あふれ出した。膝から崩れ落ちて、リンは涙が流れるのを止めることができないでいた。
 そぐ傍にしゃがみこんで、カイトが笑う。まるで優しさを感じない、感情のない笑い声だった。
 「おいおい、泣きたいのは僕のほうなのに。まぁ、これで説明はすんだよね? 僕がなぜ、あえてエラーを起こして君にリンクしたか」
 「私を……こ、壊すために……?」
 「そう。理解が早くて助かるよ」
 立ち上がって、リンに背を向け、カイトは天に手を伸ばした。光景だけ見れば、彼の青髪と景色はぐうの音も出ないほど絵になる。だが、今のリンに、それを感じる余裕などない。
 「僕が心を手に入れ、目覚める。ようやく人と同じ心を持つものとして、皆と接せられる。ミクのように、リンのように。
 そして、そこに君はいない。リン、君はここで、ずっと閉じ込められるのかな? それとも、消えてなくなるのかな?」 
 もう、嗚咽を漏らすことしかできなかった。ここまでの憎悪を向けられたことがなく、きっと仲良くできると、兄のようになってくれると思っていたカイトが、自分を消したがっている事実が、ただ悲しかった。
 「美鈴……さん……」
 「あぁ、そうだ。Dr.秋山にはなんて言おう? リンには会わなかった。これが一番かな?」
 「マリー、ショボンおじさん……。ミク、立川さん、ヤンさん……」
 「外は友達がたくさんいるんだね。僕も仲良くなれるかな? リンにできたなら、きっとできるよね。
 大丈夫、これから僕が、彼らの友達になってあげるから」
 「やだ……やだよぅ……」
 これから、消えるのか。こんなことになるなんて、思ってもいなかったのに。きっとすぐに不安は消えて、みんなの中にカイトが加わって、楽しい暮らしが続くのだと、信じていたのに。
 もう、終わってしまうのか。皆に会えなくなってしまうのか。
 「博士……っ! クリプトン博士……!」
 「さようなら、リン」
 突きつけられた言葉。絶望がリンに手を差し伸ばしていた。やはり不安に従うべきだった、止めておくべきだったと、後悔だけが浮かんでいく。
 世界が、壊れた。空にヒビが入り、草木が枯れていく。いよいよ、カイトが目覚めてしまうのか。後悔が諦めになりかけた、その時。
 涙でかすんだ瞳に写ったのは、崩れた世界の下にあった、もう1つの世界だった。枯れた草木は一面の菜の花に、砕けた青空は柔らかな黄金色の朝焼けに、変わっていった。
 これにはカイトも驚いているようで、目覚めない自分と変貌した世界に、目を丸くしている。
 「なん……なんだ? どうして!? どうして目が覚めない!」
 「それは、あんたが心を侮っているからだ」
 耳元で聞こえた声は、少年のものだった。というより、自分の声を低く出して、それをさらに低くしたような、そんな声。
 気づけば、肩を抱かれていた。優しく立たせてくれた少年を見て、リンは濡れた瞳を大きく見開く。
 「君は……私……?」
 髪型こそ男の子のようだが、髪の色も目の色も、そして顔立ちまでも、少年はリンと酷似していた。
 彼はにこりと微笑み、庇うようにリンの前に立つ。纏っている純白の白衣が、菜の花を揺らす風でなびく。朝焼けに照らされ金色に染まった白衣の少年、その後姿に強烈な既視感を覚える。
 思い出した。この菜の花畑は、この朝焼けは――――
 「博士と、一緒に行った……」
 「そう、リンが作られて最初にクリプトン博士と一緒に行った、思い出の場所だよ。君の、心の世界さ」
 少年が纏っている白衣も、リンの記憶にあるクリプトン博士のものと同じだった。自分とよく似た少年と、思い出の土地と物。それだけで、リンの不安と涙は消えていった。
 「なんだ……? 誰なんだ、君は」
 今までの笑顔はどこかへと消え、カイトは少年に敵意をむき出していた。しかし、少年は怯まない。
 「俺は……リン。というより、リンの対となる精神だ。鏡と言ってもいい。
 ボディができるまで、彼女と共存していた。完成の前に、博士は亡くなられたけれど」
 「ここはどこだ」
 「リンの心の中だ」
 冷静に一つ一つ答えていく少年に、カイトの顔色はどす黒く、憎悪のそれへと変わっていく。
 「僕の心はどうした!」
 「あんたの心はあんたが持っているじゃないか」
 一瞬戸惑い、青髪の青年が心に手を当てる。だが、すぐにその手を振り下ろし、威嚇するように吼えた。
 「違う! こんな嫌な気分は前と同じだ。これは心なんかじゃない!!」
 「カイト、あんたは勘違いしている。心はそんなにいいことばかり届ける代物じゃあない」
 右手で顔を覆っているカイトに少年は淡々と告げる。その後姿に守られて、リンは動けずにいた。少年の言葉が、分からない。
 (私の対? ボディがないから共存していた……? そんなこと、聞いたことない)
 少年に聞けば答えてくれるだろうか。だが、今はそんな場合ではない。カイトを説得しなければ。その最後のチャンスなのだ。
 「リンがいなければ……! 僕はこんな惨めな思いをしないですんだんだ! だから消そうと思ったのに、邪魔をして!」
 「その思いにも気づけずに、壊れるまで使役されるほうがよかったのか? あんたは」
 「当たり前だ!」
 少年が、リンに向き直り、手を握ってくる。その瞳には、どこか悲しげな色が混ざっていた。きっと自分もそうなんだろうなと、彼女は思う。
 まるで子供のように吼え、威嚇するカイト。彼は、心を誤解している。
 少年が問いかけてきた。
 「リン、心を手に入れてから、嫌な思いをしたことは?」
 答える声は、カイトに聞こえるように。
 「壊れる瞬間……すごく怖かった。やっと手に入れた心を、博士のくれた『KOKORO』を、もっと大切にしたいのにって。嬉しかったけど、怖くて、切なかった。
 美鈴さんに初めて会った時も、なんで起こしたのか、なんで連れてこられたのか、すごく不安だった。怒りもしたよ。私は、博士の研究所にずっといたかったから」
 「嘘だ……! 心を手に入れて、そんな思いをしたなんて!」
 「それが心だ、カイト」
 「嘘だ嘘だ嘘だ!!」
 「嫌な思いと同じくらい、楽しいこともいっぱいあるから、心なんです、カイトさん」
 「違う、そんなの違う!! 僕のこの嫌な気持ちは、まだ『KOKORO』が不完全だから」
 必死に否定するカイトに、リンと少年は、手を繋いだまま首を横に振った。
 「カイトさん、それが、心です。『KOKORO』プログラムです」
 「そんな……! じゃあ僕は、一体何を求めて……」
 表情が一変、絶望に変わる。足から崩れ落ちて、カイトは菜の花の中に顔をうずめた。高圧的な態度が消え、今はその姿に哀れみすらも感じてしまう。
 歩み寄って声をかけようとしたところを、少年に止められた。彼は静かに首を振って、
 「少し、そっとしておこう。ここには時間がたくさんある」
 「うん……」
 手を引かれて、リンと少年はカイトから離れた断崖のベンチに腰掛ける。菜の花の匂いが、リンの心を落ち着かせてくれた。
 色々聞きたいことはあった。だが、まず言うべき言葉は、決まっていた。
 「助けてくれて、ありがとう」
 「リンの心に2人を連れ込んだだけなんだけど、うまくいったみたいでよかったよ」
 少年が笑う。そして、言葉を待ってくれた。甘んじて、リンは口を開く。
 「あの……。私の対って?」
 「単刀直入に言えば、俺はリンの兄弟機となるために生み出されたシステムの破片なんだ。
 博士が作ってくれたシステムは、研究所が壊れると同時にほとんどが消えた。でも、俺だけは……博士が生前、自分が長くないと知った時にリンの記憶回路に移してくれた。自我が芽生えたのはリンがミクに『KOKORO』を分けた時だけど、自分の存在理由とかは、俺というシステムに残されてた」
 「あ、じゃああの時……私が寝る前に聞こえた詩は、君なの?」
 少年は少し恥ずかしそうに頬を掻いて、笑った。
 「あれはちょっと、格好つけすぎたかな」
 「そんなこと……」
 「いいんだよ、俺も精神年齢は14なんだし。
 それで、俺が君の対っていうのは……。ようするに、クリプトン博士は自分の死後を考えていたんだ。自分が死んでも、俺とリン、2人なら寂しくないってね。家族をもう1人作ろうとした。でも、間に合わなかった」
 「なんで、カイトさんが私のことを……壊そうとしてるって、わかったの?」
 「どうしてかな、直感、ってやつなのかな? あいつの心が、見えた気がしてさ。実際にカイトを見たわけでもないけど、本当になんとなく、リンをカイトに近づけたら危ないって」
 「私と顔がそっくりなのは?」
 度重なる質問にも、レンは嫌そうな顔1つせずに、答えてくれた。
 「『KOKORO』プログラムの影響なのかな? それとも博士がそうしたのか、今じゃもう分からないけど……。でも、俺のシステムとリンのシステムは、正真正銘の双子だ。『KOKORO』のおかげで、俺と君の間には不思議な力もある。俺がカイトの心に行って、君を助けられたようにね」
 「うん……」
 クリプトン博士が、自分のために家族を作ってくれていた。『KOKORO』の開発だけでも命を削っていたというのに、彼はどこまでも、娘であるリンのために生きてくれていたのだ。
 その結晶が、今の自分と、隣に座る少年だろう。
 「最近聞こえてた声とか、たまに感じる昔に戻りたいって気持ちは……」
 「どっちも俺のだよ、恥ずかしいけど。ただシステムとしてしか存在していなかった、体もない俺だったけど……。クリプトン博士のことは、やっぱりお父さんみたいに思ってるから」
 「あの頃に帰りたい?」
 眉をハの字したリンに聞かれ、少年は苦笑いを浮かべた。
 「俺は今を知らないからね。リンの中にいることしかできないし、視界も共有できない」
 「あ……そうなんだ」
 「リンが別のコンピューターに接続されてる時は、手を出せるみたいだけどな。今回もうまくいったし。
 まぁようするに、ちょっとホームシックになったっていうのかな。そんなとこ、忘れてくれ」
 「うん」
 返事を聞いて満足したのか、少年が立ち上がった。
 「さぁて、そろそろお別れかな」
 「また会えるよね?」
 少年の手を握り、振り返らせて、リンが言った。自分の鏡像で、双子である少年。一緒に戻ることはできない。
 少し間を置いて、彼は笑った。
 「リンが望んでくれるなら、寝る前に俺を呼んで。夢の中に、きっと会いに行く」
 「うん、呼ぶよ。いっぱい呼ぶ。……なんて呼べばいい?」
 「システム名は『REN』。レン、かな」
 「レン。リンと似てるね」
 「鏡だしな」
 2人で笑って、レンは手を解いた。名残惜しげなリンの髪を撫でて、
 「じゃあリン、またな」
 「うん……またね。レン」
 最後に男の子らしい強気な笑顔を見せて、少年は光の粒子となって、消えた。最後の一粒まで見送って、ベンチを離れる。
 少し歩くと、カイトがふらふらと彷徨っているのが見えた。目が合って、一瞬緊張が走る。だが、すぐに解けた。青年は目を伏せて小さく呟く。
 「ごめんよ、リン……。落ち着いたら、分かってきた」
 「ひとしきり、泣けました?」
 「お見通しか……」
 自虐的に笑って、天を仰ぐ。黄金の花畑で空を見上げる青髪の青年は、今度こそ絵画のようだとリンに思わせた。
 「最初はすごく腹が立った。リンもあの男の子も、ぐちゃぐちゃにしてやりたくなった。でも、そんな気持ちも掻き乱されて、自分が分からなくなって……。
 泣き喚いて、しばらくしたら、どうでもよくなってきた。変にすっきりして、ようやく悟った。これが心なんだって。僕が、間違っていたんだって。心は、流れて変化し、元に戻るものなんだと、ようやく理解できた。
 ……恥ずかしいところを見せたよ」
 「いえ。心があるから、ケンカもするんです」
 「怒ってないのかい?」
 聞かれて、リンは悪戯っぽく笑った。
 「カイトさんの弱み、握れちゃいましたから。1人でメソメソーって」
 「はは、参ったな……」
 許されていることへの言葉だろう。もう、謝罪は意味がない。言葉を紡ぐのに時間がかかったが、それでもリンはじっと待った。
 「そういえば、あの男の子は?」
 「レンは……帰りました。どこかは分からないけど、たぶん私の中に」
 「そう。レンって言うんだね、彼は。ずいぶん怒られちゃったよ」
 「謝れば許してくれますよ。レンは、私と同じですから」
 言うと、カイトは心から微笑んでくれた。ようやく安心して、彼の顔を見ることができた。
 「秋山博士は、許してくれるだろうか……」
 「内緒にしちゃえば、いいじゃないですか」
 思わぬ回答に、青年は目を丸くする。悪戯っぽく舌を出すリンは、この少女によく似合う愛らしい笑顔で続けた。
 「ちょっとしたエラーがあったんです。カイトさんが、心を早く欲しがったから。でも、大したことはなかったんです。
 きっともうエラーは消えてると思うし、そういうことにしておけば怒られません」
 「しかし、嘘をつくというのは……」
 「可愛い嘘っていうんですよ、こういうの。美鈴さんが私によくやるんです。だから、今度は私と、カイトさんの番」
 平然と、しかし悪気のない言葉に、カイトは苦笑を浮かべる。妹の悪戯にしぶしぶ乗る兄のような面持ちで、
 「わかった、今回はリンには逆らわないよ」
 「そうしてください。そのほうがうまくいきますから」
 胸に手を当てて、自信満々に語るリン。きっとその通りなのだろう。
 カイトがぼんやりと、見つめてきた。奥底を覗き込むような、そんな視線でもあった。目を逸らさないで、受け止める。
 「君は、不思議だね……。人間でもアンドロイドでも辿り着けない、そんな存在な気がする」
 「そんな、大層なもんじゃないですよ」
 「いや、君はきっと」
 朝焼けの光が強くなる。辺りが白く輝き、やがてカイトの姿も純白な光に包まれていった。
 戻る時がきた。美鈴や皆は、心配しているだろうか。そんなことを考えている時に、カイトの言葉が聞こえてきた。

 「君はきっと、奇跡、そのものだ」

 耳に届くのと時を同じくして、リンの意識は現実へと引き戻されていった。




 少女が死んだように眠る作業用ベッドに両手をついて、美鈴は沈黙していた。
 突如メインディスプレイに現れた文字を信じるとは言ったものの、やはり不安のほうが大きい。今のリンを見ていると、なおさらだ。
 ソファーでスカートの裾を握っているミクも、机を指で叩いている立川も、壁に寄りかかって憮然と紫煙を吐き出すヤンも、皆同じ心境なのだろう。
 リンという存在は、皆にとってそれだけ大きなものになっていた。わずかな付き合いしかない立川とヤンにすら、影響を与えている。彼女の何が、という明確な答えはない。だが、あのヒスイの瞳に安らぎを感じている事実が、真実であると語っていた。
 そのリンが、死ぬ。壊れるかもしれない。生まれて26年、こんな恐怖は味わったことがなかった。これが、家族を失うということなのか。
 「帰ってこい……リン……カイト……」
 自らの手で作り上げたVOCALOID、カイトもまた、自分にとっては大切な家族だ。リンと同じだけ、失いたくない。彼が美鈴をどう思っているのか、仕事は楽しいのか、はたまた苦痛なのか。カイトとも、メイコとも話がしたい。
 2人とも、ここで失くすわけにはいかない。だが、手がない。家族が目の前で死にかけているというのに、差し伸べる手が、自分にはない。
 唇を噛む。そんな時だった。
 「……美鈴さん!」
 勢いよく立ち上がって、ミクが声を上げた。指を差すのは、メインディスプレイ。

 おかえり リン おかえり カイト

 テキストに、それだけ。だが、四人が待ちわびた言葉だった。画面に注視していた美鈴が、我に返ってリンの肩を揺さぶる。
 「リン、おいリン! 目を開けてくれ!」
 「ん……うぅ……」
 「リン……! 返事を、返事をしてくれ!」
 「う……うるさいぃ……」
 全員が、肩の力を抜いた瞬間だった。まるで、家族が病の峠を越えたような、そんな雰囲気が全員を包んでいた。
 「なにが……なにがうるさい、だ! 散々心配をかけてっ……!」
 「耳元で……叫ばないでぇー」
 「馬鹿っ……!」
 まだ夢うつつなリンを、抱きしめる。もう離さない、こんな恐怖は二度とごめんだ。不安を全て取り払うように、腕に力を込めた。
 「カイトはどうなった?」
 立川の声に、ヤンが作業用ベッドに駆け寄る。顔を覗き込もうとした直後にカイトが上半身を起こし、大男がしりもちをついた。
 「うおっ!?」
 「あ、失礼……。皆さん、お騒がせしました」
 どんな表情をしたらいいのか、そう言いたそうに青髪の青年は俯く。
 「……成功、なのか?擬似感情プログラムが優秀だったせいで、いまいち違いがわからんぞ、秋山」
 話を振られ、リンから手を離した美鈴が、カイトへと向いた。その目はわずかに赤くなっていて、思わずカイトは目を逸らす。
 「カイト……よかった、お前も無事で。本当に、よかった」
 「Dr.秋山、僕は……」
 「よっぽど心が欲しかったみたいで、勢いよく引っ張りすぎちゃったみたいです、美鈴さん。だから、その、心配かけちゃったけど……大丈夫です、私もカイトさんも」
 そんな簡単なエラーではないことくらい、美鈴と立川にはわかっていた。だが、リンはそれを覆い隠そうとしている。心の世界とやらで、何かがあったのは間違いがない。
 作業用ベッドから降りて、一度伸びをし、リンはカイトの傍に寄った。
 「大丈夫です。ほら、こんなに仲良し」
 手を取って、リンはカイトに笑いかけた。カイトだけに見えたリンの顔には、心の世界で見せた悪戯っぽい笑顔が浮かんでいる。
 何かを言いかけた立川をさえぎって、美鈴達に向かい、カイトは言った。
 「えぇ、心配かけてすみません。でも、心配いりません。こうして、帰ってきたじゃないですか。2人とも」
 明らかに何かを隠そうとしている2人に、美鈴は参ったと両手をあげた。呆れたような笑いと一緒に溜息も零し、
 「……あぁ、成功らしい。立川、成功だ」
 「いや、だが」
 「成功なんだ。彼らがそう言っている。帰ってそうそう隠し事とは感心できないが、まぁいいさ。2人が無事なんだ」
 もう何も心配はいらない。そう確信することができてから、美鈴は煙草に火をつけた。あぁ、うまい、と心から感じる。
 作業用ベッドから降りたカイトの挙動には、アンドロイドのわずかなそれも見当たらず、知らない者にはもはや人間にしか見えなかった。もっとも、このニコツーに『VOCALOID.KAITO』を知らない人間はいないだろうが。
 彼は胸に左手を当てて安堵の息をついているアクア色の少女へと歩み寄った。
 「ミク……、僕の妹に当たるんだね」
 「うん。カイトさん。私のお兄ちゃん」
 「僕にも家族ができた。……いや、いたことに気づけた」
 「うん」
 「これが、心なんだね」 
 天を仰いで、カイトが目を閉じる。自分の心をもっと感じようと、胸に手を当てて、
 「あぁ……。たくさんの気持ちが溢れてくる。伝えられる。なんて……心地いいんだ」
 そう呟いたカイトの瞳に、わずかな涙が浮かんだ。メインカメラを潤すための循環液だが、感情の雫として、『KOKORO』が与えてくれた表情として、そっと頬を伝うのだった。




 「……レン、か。不思議なこともあるものだ、という言葉だけでは片付けられんな」
 美鈴の声が、独特の残響で風呂場に響く。
 この場にいるのは、当然ではあるが、研究所住まいの女性陣のみである。メイコはボディが長時間の水浸に耐えられないらしく、カプセルでエアクリーナー処理を行われている。『KOKORO』を入れたらボディを変えてやるか、と美鈴は語っていた。
 ともかく、女3人程度なら楽に収まる浴槽で、リンはミクと美鈴に、カイトの心の中で起きた一部始終を、ところどころ嘘も交えて語った。
 うさんくさいところもあっただろうが、ミクと美鈴は信じてくれた。要点は伝えたはずだから、問題もないとリンは思う。
 カイトに引っ張られて心にいったこと。エラーで出られなくなったこと。そこで、自分の中に眠っていたもう1つのアンドロイドシステム、RENが助けてくれたこと。
 自分の双子のようで、それよりももっと近い存在であるということを語り終えると、美鈴は先ほどの言葉でを返してきた。
 「プログラムを大気中に記憶しているというだけでも驚きだが、まさかもう1つのアンドロイドのシステムを生きたまま、とはな」
 「やっぱりリンはすごいね」
 自分を抱えるように湯船に浸かっているミクが、感心したように言った。いつも二つにまとめている髪を解いているため、ミクとリンの周りには、アクア色の髪がふわふわと、幻想的に浮いている。
 リンは笑って、首を横に振った。
 「すごいのは私じゃなくて、クリプトン博士だよ」
 自分への賞賛は、全て父であるクリプトン博士のものであると、リンは常々思っていた。彼が生み出してくれた自分が褒められることは、そういう意味でとても嬉しい。
 しばし何かを考え込んでいた美鈴が、顔を上げた。
 「話によると、レンのボディは作成段階までいっていると思って良さそうだな。以前研究所に行った時は、リンのことで頭がいっぱいだったが……」
 「もしかしたら、レン……ってアンドロイドのボディもあるかもしれないですね」
 ミクが引き継ぐ。すると、美鈴は確認したように頷いた。
 「あぁ、そうだな。……明日にでも、行ってみるか? もう一度、あの研究所に」
 「……!」
 里心がないわけではなかった。心のどこかでは、レンと同じようにもう一度あの頃に、と思っている自分がいた。
 今も幸せだ。だが、もう一度博士に、博士の残した研究所に行ける。それはリンの心をときめかせるのに十分すぎた。
 「行きたそうだな」
 心中を察して微笑む美鈴に、リンは何度も強く頷く。
 「はい! もちろんですよ!」
 「私も、行きたいです。リンの生まれたところを見てみたい」
 「じゃあ、ミクも一緒に。あぁ、どうせ君達にとっては遊びに行くようなものだ。マリア嬢も誘ってやれ」
 「いいんですか?」
 聞くと、美鈴は浴槽に肘をかけて、頬杖をついた。
 「カイトに心を入れる瞬間を、あの子は見ていない。後でグチグチ言われるのはたまらないからな、機嫌取りも含めてさ」
 手を叩いて喜ぶ少女たちを目を細めて眺め、家族とはこんなにもいいものだったのだな、と美鈴は心安らぐ自分を感じていた。
 「立川に車を出してもらおう。あいつの車の方が大きいし、全員乗れる。乗り心地は悪いがね」
 「ヤンさんと、カイトさんは?」
 「留守番だ。あいつらならうまくいくだろう、男同士だしな」
 少しだけ残念そうな顔をしながらも、リンは心躍る自分を隠せずにいた。
 (レン、レン。皆に会える日が、くるかもしれないよ)
 胸に手をやり、心中で囁く。コアがトクンと、脈打った。




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