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ココロ~another future~

第11話 想いは命の境界を超えて

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 夜空から届けられた月明かりは、エアフィルターを通り抜けて、ニコツーを照らす。一日中ネオンで彩られた繁華街では気づけない、母のような柔らかさを感じながら、ヤンは部屋の扉を閉めた。
 ここに帰ってくるのは、一週間ぶりとなる。毎週日曜日のみ、実家となる小さいアパートへと帰省していた。
 時計が23時を少し過ぎたことを表している。そちらを眺め、靴を脱いでから、ヤンは壁へと背を預けて溜息をついた。
 バスルームに通じる扉を通り過ぎ、質素なベッドに腰掛けた。
 部屋の中には、ベッドと机、クローゼット、1人暮らしに最低限必要な家具だけが置かれていた。男の1人暮らしにしては、几帳面に片付いているのが印象的と言えるだろうか。
 月明かりだけが差し込む部屋で、しかしヤンは電気をつける気にはならなかった。暗がりに目が慣れてくれば、夜と月のコントラストで幻想的とも見えるこの場所は、自分にとっては帰るべきところ。やはり、居心地がいいものだ。
 「ただいま」
 大男にしては似合わない、弱弱しい挨拶だった。それに、感情が感じられない声が返ってきた。
 「おかえりなさい」
 窓辺に佇む、美女だった。年のころ20前後だろうか。見た目で言えばそうなるが、ヤンは彼女の年齢を把握していなかった。
 窓の外を眺める横顔には、人間のそれではなく、もう何度も見てきたアンドロイドの無表情があった。人型であり、彼女の作られた目的を考えるならば、笑顔の1つも浮かべていいはずだ。
 そのアンドロイドは、抱き人形であった。見た目だけならば人間とも笑顔売りとも、VOCALOIDとも変わりはない。内外のパーツが少々違う、温もりと安心感、そして性欲を満たすために作られたアンドロイド。ヒンドゥー教の愛を司る神から名前を取り、KAMALOID(カーマロイド)と呼ばれている。
 「今日はどうしますか?」
 振り向いた為に逆光になり、表情がよく見えない。だが、きっと彼女は笑っていないのだろう。今までだって、ヤンは一度も彼女の笑顔を見たことがなかった。笑顔売りの延長にあるので、その程度の機能はあってしかるべきなのだが。
 ともかく、彼は肩をすくめて、彼女の質問に答えた。
 「何も。いつも通りでいいさ」
 「わかりました」
 KAMALOIDは動かず、再び視線を遠くへと向けてしまった。
 「……ごめんな、ルカ」
 「……」
 謝罪の理由は1つ。ヤンは一度としてこのKAMALOID――ルカを、本来の用途として使ったことがなかった。それが彼女の存在意義を否定してしまっているかのようで、心苦しいのだ。
 「……嫌いなわけじゃ、ないんだぜ」
 「……」
 やはり返答はなかった。ベッドに寝転がり、暗闇の奥に広がる狭い天井を眺めながら、ヤンはもう一度、ごめんと告げた。
 「お前をもらった時は、抱き人形をタダで手に入れられたって、嬉しかったのにな」
 「……」
 ルカが何も言わないのは分かっていた。彼女に話しかけるというより、独り言のようだった。その虚しさに、ヤンは溜息をついた。
 彼女をもらった当時、ヤンは22歳。魔が差してやってしまった窃盗の罪を償い、刑務所から出所したばかりの頃だ。
 人付き合いは苦手ではない。だがそれは、友人や上司との付き合いであって、ヤン・メイという人間は、恋愛というものが大変苦手な男であった。
 投獄されている間に、不器用ながらも将来を誓った恋人は、別の男と婚約していた。無理もないことだと諦めはついたが、それでも寂しさは、当然付きまとう。
 新たな出会いもなく、以前の恋を忘れられなかった。自分以外にも同じような境遇の人間がいるであろうことも分かっていながら、ヤンは自身を蝕む圧倒的な孤独感に苛まされていった。
 誰にも理解できないであろう、壮絶な人肌恋しさ。理解してもらえたとて、それを癒せるかどうかは、また別の問題であった。
 職場でも孤立し、今なお残る流行自殺の風潮に流され、孤独にあえぐ彼が求めたのは、人の温もり。情欲を発散したいのではない、ただ、生きている温かさを感じたかった。
 出回り始めたKAMALOIDの噂を聞いたのは、ちょうどそんな時だった。機械でもいい、抱きしめてくれて、抱きしめられる相手が欲しい。
 一心不乱に働いて、稼ぎ、それでも当時のKAMALOIDの値段には届かなかった。気力も尽きたヤンは、死に場所を求めて彷徨った。
 ふらりと立ち寄った、どこにでもあるアンドロイド製造工場で、作られていく笑顔売りや抱き人形を眺めていた時だ。粗雑に扱われる、一体の女性型アンドロイドを見つけた。
 長い桃色の髪、美しい顔立ち。笑顔売りとしても抱き人形としても、外見は欠陥があるように見えなかった。だというのに、起動もしていないそれはゴミのように投げられ、隅に置かれていた。その姿に自分を重ねてしまったのか、ヤンは仮縫いの服を適当に着せられたアンドロイドを抱き上げた。
 腕に伝わるアンドロイドの冷たい肉感に、ヤンはなぜか涙を流していた。不信そうに眺めてくる従業員を捕まえて、ヤンは懇願した。この子を俺にくれ、と。
 すぐに現れた工場長は、肩をすくめて、好きにしろと言った。曰く、そのKAMALOIDはジャンクだ、笑わないから売り物にならない、と。
 永続バッテリーもつけてくれて、ヤンはその場ですぐに起動させた。目を開いたKAMALOIDは、確かに笑わなかった。しかしそれでも、彼女の瞳に何かを見た気がして、起動言語を述べるそれを力いっぱい抱きしめ、涙ながらに呟いたのだ。
 「俺が傍にいてやる、か。我ながら恥ずかしいこと言ったもんだよなぁ。傍にいてほしかったのは、たぶん俺の方なのにな」
 飽きずに窓からの景色を眺めるルカに、ヤンは苦笑をもらした。
 「あの後1人でジャンクハンターやって、タッチーと組んでさ。抱き人形を持ってるって言った時のあいつの顔、酷かったんだぜ?」
 「……」
 「酷かったなぁ、あれは。家庭も築けない男が抱き人形など買うな、なんてさ。俺にとっちゃ、ルカは大事な家族なのに」
 「……」
 優しい静寂が心地よかった。体を起こして、冷蔵に入れてある安い缶入りの酒を一息に飲み干す。
 「……今俺が働いてるとこな、秋山美鈴の研究所なんだぜ」
 「……」
 「そこのアンドロイド、すげぇんだ。見た目じゃルカが一番だけど、あいつら、人間みたいに心があるんだぜ。信じられるか?」
 「……」
 空になった缶を捨てて、ヤンは感情のないアンドロイドの隣に腰を下ろす。彼女に習って、外を眺めた。
 「本当に……心があってさ。みんな、家族みたいで、すっげぇ居心地がいいんだ」
 「……」
 「なぁ、ルカ……。もし、お前に……心があったら……。リンみてぇに、思いっきり感情を出せるようになったら……」
 「……」
 「俺もルカも……会えなくて寂しい思い、しなくてすむのか……?」
 「……」
 どれほど無言が続いたのか。月は動いてしまって、光はもう、部屋に届いていなかった。
 起動していながら、KAMALOIDとしての機能がほとんど死んでいるルカは、ただヤンを迎え、話を聞き、送り出してきた。家主のいない一週間、彼女はずっとこうして、窓の外を眺めているのだろう。
 そう思うと、ヤンはいたたまれない思いになって、目を伏せた。
 「すまねぇ……。お前を使ってやれない俺に、お前を置いてけぼりにするような男に、そんなこと言う資格ないよな……」
 「……」
 冷たい床に置かれた、自分に比べてずいぶんと小さなルカの手に、ヤンは手を重ねた。循環液の作り出す人の体温が、愛しい。
 「今度帰ってきたら、一緒にどっか出かけようか。美鈴がいい給料出してくれたから、車、買えそうなんだ。
 がんばったんだぜ。タッチーは絶対貸してくれないし、美鈴の車はべらぼうに高いから、傷つけたら弁償するために一生働かなきゃなんねぇし」
 「……」
 「なぁ……どうかな? 俺とドライブ。嫌か?」
 「当機は、所有者であるヤン・メイの要求に従います」
 無表情から放たれたその言葉に、ヤンは思わず吹き出してしまった。
 「ははっ。仕方ないから嫌々付き合ってやる、って感じに聞こえるな。
 ……でも、ありがとうな。楽しみにしてるぜ」
 「……」
 「……じゃあ、今日は寝るわ。明日の夕方からまたあっちに行くけど、それまでゆっくりしようぜ」
 「おやすみなさい」
 「あぁ。おやすみ、ルカ」
 会話にならない会話を終えて、それでも十分満たされた気がして、ヤンはベッドに潜り込んだ。
 ルカのコアが異音を発しはじめたのは、彼が寝静まった後のことだった。




 城であった。
 それはもう、場所を変えても何百年と小さな研究所暮らしだった彼女にとっては容赦なく、限りなく、思わず眉が寄ってしまうほど、城であった。
 マリーの実家、ラダビノード邸である。屋外から眺めた時に、思わず逃げ腰になってしまったほどの大豪邸だ。部屋がいくつあるのか、住んでいるマリーも把握していない。
 時刻は早朝。人影はない。アンドロイドであるにも関わらず、慣れない場所で眠ったせいか早く目が覚めてしまったリンは、バグの可能性を考慮して念のためにブレインとコアをチェックして、異常がないと分かるや、熟睡するマリーと、彼女を抱えるようにスリープしているミクを起こさないようにこっそりと部屋を抜け出していた。
 人の家を探検する。そんな子供っぽい誘惑に素直に従って、あっちこっちを行ったり来たりすること15分。
 「ま、迷子になっちゃった……」
 眉が寄っている理由の1つが、まさにそれだった。クリーンアンドロイドや家政婦の姿があればいいのだが、日が昇り始めたばかりだ。気配はリンのものしかない。
 「うぅ……参ったなぁ」
 真っ直ぐ進めば迷わなかったろうに、彼女は目に入る曲がり角を片っ端から曲がり、階段を上り、下り、結果として自分が何階にいるのかすら分からなくなっていた。
 マリーの部屋という一室でさえも、美鈴の研究所のメインフロアくらいはあるのだ。もはやリンが自力で部屋に戻れる可能性は、皆無となっていた。
 「あぅー、どうしよう……」
 大げさに肩を落として溜息をつく。その背中に、声がかかった。
 「やぁ、おはよう」
 「うぇぁっ!?」
 おかしな声を出して振り向くと、相手も驚いたのか、眼鏡の奥にある目を丸くしていた。
 「あ、あぅ、おはようございます。その、ごめんなさい」
 「いやいや、突然声をかけてごめんよ。えぇっと、君はビリーさんのお嬢さんではないよね? マリア以外に娘さんがいるとは聞いていないし」
 「えっと、マリーの友達です」
 戸惑いながらも答えると、合点がいったと、眼鏡の青年は笑って頷いた。
 背丈はカイトほどあるだろうか。見上げなければ顔が見えないが、優しそうな顔立ちをした、20代半ばほどの好青年だ。眼鏡がよく似合っているなと、リンは思った。
 「私は、リンって言います。あの、美鈴さんとこの……」
 「あぁ、秋山さんの。彼女にはお世話になってるよ」
 「え、知り合いなんですか?」
 尋ねると、青年はにこやかに頷いて、
 「自己紹介が遅れたね。僕はトラボルタ・ウェーバー。VOCALOIDの楽曲提供者で、プロデューサーだよ。よろしくね」
 「えっ! ミクちゃんたちの歌を作ってる人ですか?」
 思わぬ対面に歓声を上げたリンだが、慌てたトラボルタが、リンの唇に人差し指を当てた。
 「しーっ。みんな起きちゃうよ」
 「あぅ、ごめんなさい」
 「手遅れだよ、リン」
 近くのドアが開いて、聞きなれた声がした。2人がそちらに目をやると、寝癖を直しもせずに、煙草を咥えた美鈴が携帯灰皿を片手に出てきたところだった。
 失念していた。今日は美鈴もこの家に泊まっていたのだ。
 「な、美鈴さん、ここの部屋だったんですか?」
 「あぁ、客間はこの辺り一体らしいから、好きな部屋を使ってくれと言われてね。しかし、寝付けなかったな。大豪邸は私の体に合わん」
 「同感です」
 トラボルタが苦笑気味に頷くと、美鈴は慌てるでもなく、寝ぼけた目をそちらに向けた。
 「ん、トラボルタじゃないか」
 どこかくぐもったような寝起きの声に、音楽家の青年が爽やかに微笑んで一礼した。
 「おはようございます、秋山さん」
 「おはよう。泊まっていたのかい?」
 寝巻きのままだらしなく煙草を吸う美鈴に、リンは突っ込みたくて仕方なかった。だが、トラボルタはそれほど気にしていないようだ。器の大きい人だと、心の底から感心した。
 「えぇ、ビリー会長と話し込んでしまって。ニコツーラインがメンテナンスで、深夜は電車が止まっていたので、泊めていただいたんです」
 「それは災難だったな。しかし、車で送ってもらうこともできたんじゃ?」
 「車酔いするんですよ、僕」
 「なるほど」
 美鈴が煙草を携帯灰皿へと押し込む。会話を聞いてて気になったことを、リンは素直に口にした。
 「えっと、トラボルタさんより、美鈴さんのほうが偉いの?」
 「……あぁ、私が彼を呼び捨てにしたり、トラボルタが私に敬語を使う理由か? リン、それだけで地位の上下を判断するのは、あんまり感心しないぞ。
 そもそも仕事が違うし、立場云々で私が偉いということはない。単純に私の方が年上というだけだ」
 「そういうことだね。年上の人には敬意を。大切なことだよ」
 言い切るトラボルタから、リンは美鈴へと目を移した。じっとりとした視線を感じて、美鈴が眉を寄せる。
 「……なんだ?」
 「ヤンさん、確か美鈴さんより年上ですよね?」
 「私はあいつを雇ってるんだ。いわば上司だ。問題ない」
 「……傲慢だなぁ」
 「なんだと?」
 さらに顔をしかめる美鈴から目を逸らし、リンは軽やかに話題を変えた。
 「トラボルタさん、この家詳しいですか?」
 「まぁね、何回も来ているから」
 「じゃあ、あの、マリーの部屋まで案内してほしいんですけど」
 「構わないよ。散歩の途中だったしね。秋山さん、起こしてしまってすみませんでした」
 言われた美鈴は、起床して二本目の煙草に火をつけ、紫煙をゆっくりと吐き出しながら肩をすくめた。
 「あぁ、大丈夫だ。実は起きてたんだ。ヤンから電話があってね。あいつの家にいるアンドロイドが壊れたとかなんとか」
 「えー、じゃあ私の声で起きたわけじゃないじゃないですか!」
 濡れ衣を着せられた、とリンが訴えると、美鈴は表情1つ変えずに、
 「しっかりと目が覚めたのは、君の奇声のおかげだよ、リン。ありがとう」
 「ぶー! 美鈴さんの意地悪!」
 小さく笑いながら先行したトラボルタの背中を追いながら、リンは美鈴に向かって思い切り舌を出した。
 階段を上る途中、窓から差す光が強くなっていることに気が付く。トラボルタも同じことを感じたらしく、眩しそうに目を細めた。
 「もう皆起きるころかな。まだ少し早いかな?」
 「えっと……今は6時10分ですね。早起きな人は起きてるかも」
 「時計を持ってたのかい? 腕時計はしてなかったよね」
 リンはその問いに、トラボルタが自分を人間だと思っているのだと感じた。そういえば、説明していない。
 もっとも、美鈴がブレインに時計機能をつけてくれたのは、ごく最近のことだ。なぜ今までなかったのだろうと、2人して首をひねったものだ。
 「えっと、私アンドロイドなんですよ」
 「あぁ、なるほど。ミクの言っていた、心がある最初の子、だね」
 ミクに会ったことがあるのか、と思ったが、VOCALOIDのプロデューサーであると言っていたのを思い出し、心中で1人納得した。
 「そうです。私の周りだと、アンドロイドに心があるって普通のことになってきちゃったんですけどね」
 「いやぁ、心を持ったカイトと会話をしたときは、本当に驚いた。あのカイトが、ってね」
 カイトの変貌ぶりは確かにすごかった。笑って頷きながら、最近心を手に入れた姉についても触れる。
 「メイコさんも変わりましたから、びっくりしますよー」
 「それは楽しみだなぁ」
 他愛のない会話をしている間に、リンはマリーの部屋へと帰還を果たしていた。改めて見ると、やはり個人の部屋の扉ではない。豪奢で丈夫そうな作りのドアには、『MARIAROND』と書かれた可愛い札が下がっている。
 「この家の間取り覚えるの、苦労しそうだなぁ」
 「僕もずいぶんと時間がかかったよ」
 「そうなんですかー」
 笑いながら、ドアノブに手をかける。直後、引いてもいないドアが突然開け放たれ、中から飛び出してきた少女に押し倒された。
 「リィィィィィィィン!」
 「うわぁ!?」
 文字通り飛び掛ってきたマリーと共に廊下に倒れ、巻き毛を下ろした少女に猛烈なほお擦りをされる。その頭の向こうで、寝巻きのミクが苦笑しているのが見えた。
 「どこに行ってたんですの? どこに行ってたんですの!? リンがまた何か、怒ってしまったのではって、私すごく心配で!」
 「ちょ、ちょっとお散歩してきただけだよ。早く目が覚めちゃったから」
 「よかったですわぁぁぁぁ!」
 叫びながら、マリーの腕に力が宿る。痛覚はないが、極めて重要機関である首が圧迫されていることを、ブレインが伝えてきた。
 「ぎゃー! マリー、腕が首を絞めているよ!」
 「マリア、落ち着きなさい」
 トラボルタに咎められて、ようやくマリーは顔を上げて、リンを解放した。
 「へ? あ、トラボルタ先生じゃありませんの。やだ、はしたないところをお見せしましたわ」
 立ち上がって、寝巻きのズボンについた埃を掃う。もっとも、廊下は綺麗に掃除されているので、汚れてはいないのだが。
 ともかく、息を取り戻したリンもふらふらと身を起こして、マリーの肩を掴んだ。
 「マリー、あのね、いい? 私はアンドロイドだから、首を絞められても苦しくはないけど、この辺りも機械だったりするんだ……。強い力を入れると、壊れるかもしれないの」
 「あぅ、ごめんなさい。リンが遠くに行っちゃったらって思うと、怖くて怖くて……」
 「本当に遠くへ召されるところだったよ」
 大きく息を吐き出すと、ミクとトラボルタが揃って、声を上げて笑った。
 「トラボルタさん、おはようございます」
 海色の髪を下ろしている少女の顔を、トラボルタが覗き込む。髪を結わっていないので、一瞬誰だか分からなかったようだ。すぐに頷いて、
 「やぁ、ミクも一緒だったのか。おはよう」
 「お仕事ですか?」
 「うん。カイトの新曲が大まかに出来上がったから、最終チェックをね。OKは出たから、午前中に家に帰って、仕上げをするんだ」
 「楽しみですわ、カイトさんの新曲。やっぱりバラードですの?」
 立ち上がってもなお腕にしがみついて離さないマリーが言う。トラボルタは頷いて、
 「そうだね、彼にはやっぱりバラードだと思うから。カイトが別のジャンルを歌ってみたいって言うなら、そっちも考えるんだけれど」
 「似合ってますもんね、バラード」
 青髪のアンドロイドを思い出しながら、リン。青年はそうだね、と笑って、少し落ちた眼鏡の位置を直す。
 と、思い出したかのように、リンが腕のマリーごと、一礼する。
 「案内してもらって、ありがとうございました。すっごく助かりました」
 「どういたしまして。それじゃあ、僕はこれで。マリアとミクも、またね」
 「はい、トラボルタさん」
 「ごきげんよう」
 挨拶を済まし、トラボルタが歩き出す。とても優しい青年で、リンはもう新しい友人ができたような心地でいた。
 そんなこちらの心境を察してか、ミクが笑う。
 「いい人でしょ」
 「うん、すっごく!」
 「あんなに心に響く歌を作れるんですもの、悪い人なわけありませんわ」
 太陽のように笑うマリーの言葉に、2人のアンドロイドは異論なく、素直に頷いた。
 話題を切って、ミクが妹分を部屋に促す。
 「ほら、そろそろ着替えないと、朝ごはんの時間が近いよ」
 少女3人が廊下から消え、爽やかな朝の空気が、屋敷を満たしていった。




 「なぁ、直るのか……?」
 そんなヤンの不安そうな声を、今日一日でこれほど聞くとは思わなかった。
 彼の持つ抱き人形が壊れたとかで、早朝に電話がかかってきたのだ。美鈴には連絡を取ったと言っていたが、彼女はまだ帰らない。渋滞にでも巻き込まれたのだろうか。
 太陽が高くなり始めた。作業用ベッドに寝かされた、桃色のロングヘアーの女性型アンドロイド。最近は抵抗が薄れてきたが、やはり娯楽用アンドロイドは進んで触る気にならない。
 ヤンが泣きそうな顔で抱えてきたKAMALOIDのブレインを嫌々調べていたが、立川はようやくディスプレイから視線を外し、冷めてしまったコーヒーを一口、嘆息した。
 「故障の原因は、循環液の腐敗だ。どれだけ長いことメンテナンスをしてなかったのか知らんが、せめて市販の循環液腐敗防止剤を飲ませておけば、ここまで酷くはならなかっただろう。
 だが、それより気になるのが……」
 俯くヤンに遠慮なく事実を告げていると、それを遮るように研究所のドアが開いた。家主の帰宅である。
 「あぁ、すまん。遅くなった」
 「構わん。それほど大きな故障じゃない」
 「調べていてくれたのか? 抱き人形なんて触りたがらないと思っていたが」
 「身内だからやってやっただけだ。誰とも知らん奴の頼みなら断っている」
 すっぱりと告げると、彼女はやはりなと苦笑した。すぐに気を取り直して、立川の後ろから画面を覗き込む。
 「あぁ、循環液がやられたか。一度排出して入れなおせばいいが、ボディにどれほどダメージがあるか調べないといけないな」
 「そっちはそれほど酷くもなかった。それよりも、秋山。気になる部分があってな」
 マウスを動かして、立川はブレインの情報を表示する。KAMALOID用の擬似感情プログラムがエラーを表示していた。
 「……? なんだ、ずいぶん前からプログラムが停止しているな」
 「ヤン。このアンドロイド、擬似感情を表示したことがあるか?」
 尋ねると、ヤンは肩を落として、手短な椅子に背中を預けた。
 「いや、そんな難しいこと言われてもよ」
 「あぁ、つまりだ。彼女は笑ったことがあるか?」
 美鈴が言いなおし、ようやく理解が及んだのか、俯いたそのままで、大男は首を横に振った。立川は遠慮なく溜息を吐き出し、
 「お前、こんなジャンクを買ったのか? 擬似感情表示ができない娯楽用アンドロイドなど、聞いたこともない」
 「……いいだろ、別に。こいつは、ルカはそれでも、ずっと俺のそばにいてくれたんだ」
 「当たり前だ。所有者がお前である以上、自分から傍を離れるアンドロイドなどいるものか。ここの連中を除いてだがな」
 淡々と告げる。我ながら心の冷たい人間だとは思うが、事実は事実だ。頭は悪いが相棒である男がジャンク品を掴まされたとなれば、多少頭にもくる。彼のための説教だと、立川は本気で思っていた。
 だが、すんなりと美鈴がそれを否定する。
 「あぁ、立川。ヤンはこのKAMALOIDを買ったわけじゃあないみたいだ」
 「……どういうことだ」
 ルカのボディを散々調べていた美鈴が、顔を上げて煙草に火をつける。
 「製造番号が無いんだ。この子……ルカといったか? 彼女は商品として扱われていなかった」
 「なに……? ではどこで」
 「拾ったんだ、工場で。ジャンクだから好きに持ってけって言われてよ」
 被せるように呟いたヤンは、突然立ち上がって、美鈴の肩を掴んだ。気おされて仰け反る女科学者に、必死の形相で頼み込む。ここまで必死な相棒の姿を、立川は見たことがなかった。
 「頼む、美鈴! タッチー! こいつを、ルカを、直してやってくれ!」
 「あ、あぁ。そんなに必死にならなくても、故障箇所を直すだけならすぐに終わる。だが、元々あったブレインの故障はどうする?」
 「……」
 当然の確認だと思ったが、ヤンはまたも俯いてしまった。肩を掴んでいた手が、だらりと地面を向く。
 「おい、ヤン」
 立川が声をかける。すると、ヤンは一度溜息を吐き出して、呟いた。
 「だめなんだわ」
 「なにがだ?」
 紫煙を吐き出す美鈴に聞かれて、ヤンはもう一度、嘆息する。
 「だめなんだ……。俺には、こいつの笑顔を見る権利がない」
 「何を言っているのか、理解できん」
 コーヒーを飲み干して、立川は白衣の襟を直した。らしくない相棒の姿に、なぜか落ち着かない。そんなこちらの気持ちを知らずに、ヤンは目を右手で覆う。
 「俺は……ルカを一度も、抱いたことがないんだ」
 「む……」
 美鈴が何かを察したのか、煙草を消す。そちらを見ずに、ヤンは続けた。
 「抱き人形が欲しかったのは確かなんだけどよ……。ルカを、そういう風に使えなかったんだ。こいつの存在する意味を、俺は無視して、傍に置くことしかできなかったんだ。
 しかも、しょっちゅう留守にして、独りぼっちにさせてよ。そんな酷いことしてきたのに、今更ルカに笑ってもらおうなんて、そんな勝手なことってねぇだろ?」
 「……」
 「それに、そのプログラムを直して、もし今までの暮らしをルカが忘れちまったりしたら……。俺の中にあった小さいけど幸せだった思い出も、なくなっちまうような気がしてよ。もし、そんな心配がいらないとしても……。
 俺はルカが好きなんだ。アンドロイドだとか、そんなの関係なしに、愛してるんだよ。俺が惚れてるルカは、愛想が悪くて無口だけど、いつも一緒にいてくれる、そんなルカなんだ。
 こいつがいきなり機嫌取るように笑ってきたら、俺はもう……」
 ついに肩を震わせてらしくもない涙を見せてしまったヤンが、小さく、すまねぇと言った。美鈴を見れば、突然の告白に驚いていたようだが、今では新しい煙草に火をつけ、苦笑いすら浮かべている。
 ともかく、立川は相棒に、いつもと何も変わらない口調で言った。
 「お前が恋愛について語りたがらない理由が、ようやく分かった」
 「……すまねぇな。話したくなかったわけじゃないんだけどよ」
 「いや、構わん。だが、なるほどな。擬似感情プログラムを修復して起動させれば、恐らく今までのアンドロイド然としていたそのKAMALOIDは、別人のように笑顔を振りまいてくるだろう」
 「あぁ、それは違いないな。いつぞやのカイトより酷いぞ、KAMALOIDの媚の売り方は」
 空気が読めているのかいないのか、美鈴が笑った。もっとも彼女のことだ、こちらの考えは見抜いているのだろう。
 それを見抜けるほど頭の良くない相棒に、立川は言った。
 「擬似感情プログラムによって、今までの活動記録――ようするに記憶だが、それが消えることはない。そこは保障する」
 「……あぁ」
 「だが、確かにこのKAMALOIDの擬似感情プログラムは質が低い。俺も起動させる気がまるでしない。これは提案だが――」
 一旦言葉を切った。ヤンが、うつろな目をこちらに向けている。
 「ちょうど、新作VOCALOID用に作ったマイクロチップが完成した。慣れれば楽なものでな、いつかできるだろうLENのボディ分も作ってある。
 そのKAMALOID、といっても、抱き人形としての機能も故障寸前みたいだが。ルカに『KOKORO』を入れたらどうだ?」
 「……!」
 目を見開いたヤンに、美鈴が肩をすくめた。
 「まさか、立川の口からその言葉が出るとはな。だが、確かにいいアイディアだ。
 ついでといってはアレなんだがね、次のVOCALOIDは女性型ジャズシンガーでな。ロングヘアーと美麗な顔立ち、抜群のスタイルという完璧なプロポーションで男性客を掴む予定だったんだ。フェイスがなかなかできなくて四苦八苦していたんだが、どうだろう。彼女にそれを頼みたいんだが」
 「な……なに言ってんだよ、こいつ抱き人形だぜ?」
 「使ってないんだろう? それに、『KOKORO』を入れれば、そういった役割を超えるとも思う。ボディもそのオリジナルを元に新しく作れば、完璧だ」
 「ルカが……VOCALOIDになるって……?」
 作業用ベッドに横たわるKAMALOIDを見て、ヤンが言葉を無くす。
 「修理代としては高いかもしれんが、どうだろう。もしそうなるなら、ヤンを彼女の専属マネージャーにするつもりなんだが」
 しばらく呆然としていたが、ヤンは突然大きな声で、ダメだ、と叫ぶ。
 「やっぱダメなんだよ! 例えそれが本物の心だったとしても、俺には……こいつの笑顔を見る権利なんかねぇんだ!」
 「おいおい、意地を張るな。VOCALOIDが嫌だと言うなら、無理にとはいわん。『KOKORO』だけ入れてやることもできるぞ」
 「そういうことじゃねぇんだよ!」
 なだめようと美鈴が手を伸ばすが、それを振り払って、赤いジャケットの大男は頭を抱えた。
 「ダメなんだよ……。ルカには、会わす顔がねぇんだ。こいつの笑顔を見る権利なんて……」
 「ヤン……」
 かける言葉を失った美鈴が、しばらく迷い、諦めたのか、煙草を咥えた。
 しばし、重い沈黙。誰か、例えばスリープモードでメンテナンス中のメイコやカイトが起きてくれれば、多少はマシになったのだろう。だが、そんな希望は持たないほうがいいようだ。
 仕方なく、本当に面倒くさかったが、立川は普段絶対に踏み込まない役割を選んだ。
 「おい」
 「……」
 ヤンからの返事はない。構わずに続ける。
 「お前にこのアンドロイド――ルカの笑った顔を見る権利がないかどうかは知らん。お前の感じている罪悪感や後ろめたさも分からん。
 だが、これだけは言える。俺は『KOKORO』プログラムに触れてから、アンドロイドにも心があることを知った。その経験から、たった一言だ。
 お前は、ルカの気持ちを、考えていない」
 「……あ?」
 掴みかかりそうな形相で、ヤンが顔を上げた。その肉食獣じみた視線を正面から受け止め、しかし立川は臆することなく、
 「笑顔を見る権利。そんなものがあるのかどうかは知らんが、お前にそれがないと仮定して、それはルカがお前に笑いかけたくないのに笑う場合に限ることなんじゃないのか? 擬似感情プログラムを用いて強制的に笑わせられる、そのことでなら納得もいく。ヤンの気持ちを汲んでプログラムを起動させない選択もある。
 だが、お前はなんと言った? 本物の心だったとしても、それが本心からの笑顔であったとしても、ルカの笑顔を見る権利がないと、お前はそう言ったんだ」
 「あぁ……そうだよ。俺にはそんな資格ねぇんだよ!」
 「だからお前は馬鹿だ」
 断言して、立川は椅子から立ち上がった。長い時間座っていたから、少し腰が痛む。伸ばしながら、ためらわずに続ける。
 「ルカが本心からお前に笑いかけたとして、どうしてそれをお前の権利云々で否定しなければならんのだ」
 「なに……?」
 「まだ分からないのか? お前が罪悪感から笑顔を見れないと駄々をこねて、お前に笑顔を見せたいと心から思うルカの気持ちを、ないがしろにしたと言っているんだ」
 「――!?」
 絶句。ヤンはまるで金縛りにあったかのように、その場から動かない。
 「まったく……。俺は自分でも自覚するほど無愛想だ。人付き合いなど、面倒で仕方がない。そんな俺でも分かることが、人と話すことが好きだと豪語するお前が、どうして分からん」
 「立川……。お前、そんな話もできるのか」
 呆けていた美鈴が、ようやくその一言を搾り出した。まったく失礼な物言いだと思ったが、そう言われても仕方のない生き方をしてきたのだ。鼻を鳴らす程度に留めておく。
 「どうだ、ヤン。それでもお前は、こいつの……ルカの笑顔を否定するのか?」
 「俺は……タッチー、俺は……」
 「見たところ、内部損傷は多数あるが、外部の傷はほぼゼロだ。お前、このKAMALOIDをよほど大事にしてきたんだろう。それこそ、自分の恋人のように。
 ……俺は歯が浮くセリフが嫌いだ。これ以上何かを言えば流行自殺に関係なく死にたくなる。だから秋山、後はお前に任せる」
 突然振られて、美鈴はそれでも愉快そうに笑って頷いた。何を言いたいかは伝わっただろうし、それが彼らしくないからこそ、笑ったのだろう。
 「あぁ、こいつはこう言いたいらしい。
 『それほど大切にされてきたルカが、ヤンを嫌いになると思うか? ヤンに笑顔を見せたくないと言うと思うか?』
 こんな感じだろう? 立川」
 「……ふん」
 黙って聞いていたヤンだが、作業用ベッドで眠るルカの冷たい頬を撫で、語りかけた。
 「ルカ……。俺、望んでいいのか……?」
 ぽつり、ぽつりと、小さく見える大男が呟く。
 「俺、お前と話してぇよ。本当は、お前の笑った顔を、俺のくだらない冗談で笑うルカの笑顔を、見たいんだよ……。
 俺、つまんねぇ男だからさ。あんまりお前のこと、楽しませてやれないかもしれねぇ。うまく、笑わせてやれないかもしれねぇ。でも、がんばるからさ。できる限り、ルカに笑ってもらえるように、がんばるから……。
 体ばっかでかくて頭悪いし、顔も良くねぇし……。こんな俺だけど、お前と……」
 ヤンが、崩れた。ベッドの前に膝を着いて、ルカに想いを告げる。
 「ルカ……。俺はお前と、幸せになりてぇんだ――――」
 最後は、嗚咽になっていた。彼がどれほどの苦悩を持っていたのか、それは立川には図りかねる。だが、気が優しいお人好しであるヤンのことだ。長年、ずっと隠してきたのだろう。
 相棒の泣き崩れる姿は決して面白いものではなかったが、人との馴れ合いを嫌う立川であっても、今の彼には泣くことが必要なのだと分かったので、じっと見守る。
 どれほど時間がたったのか、そろそろ頃合かと、美鈴が立川の背中を押した。
 「あぁ、この子のボディを直す。悪いが、しばらくヤンを」
 「わかった」
 頷いて、大男を無理矢理立ち上がらせる。少しは落ち着いたらしいヤンの肩を担いで、
 「寮に行くぞ。小腹が減った、何か作ってくれ」
 「……あぁ」
 美鈴が作業に取り掛かったのだろう、後ろで聞こえる物音を無視して、研究所の扉を出る。太陽の位置が、もう昼に近いことを教えてくれた。
 「そうだな、寝起きから頭を使った、甘いものがいい。フレンチトーストなどができれば、それで」
 「……悪いな、タッチー」
 嘆息の混じった、謝罪。余計なことを言ったかと、立川は咄嗟にフォローを入れた。
 「なに、起き抜けに思考をすることなどよくある。おかげで朝だけ甘党だ」
 「そうじゃねぇ、そっちじゃねぇよ」
 弱く笑って、ヤンが立川の手をどかした。もう自分で立てるということだろう。無理に留めず、立川も少し離れて歩く。
 「みっともねぇとこ見せちまったし、お前にもらしくないこと、させたからよ」
 「……何度も言うが、お前は馬鹿だな」
 言うと、ヤンの疲れたような笑い声が聞こえた。この程度で傷つくような根性無しではないと分かっているので、訂正もしない。
 ただ、当たり前のことを当たり前に告げるだけだ。
 「相棒のために、慣れないことをしてやったんだ。この場合、謝罪の言葉は適切じゃないだろう」
 「……あぁ」
 隣を歩くヤンの表情は、そちらを見ていないので分からない。だが、少しは心が晴れただろうことは伝わってきた。親友の心情くらい、声を聞けばなんとなく分かるものだ。
 「ありがとうな、タッチー」
 「……ふん」
 研究所の敷地内に作られた男性寮、部屋は4つだけだが、立川は自分の部屋のドアを開けながら、まずは温かいコーヒーだなと、そんなことを考えていた。




 バーボンハウスは、今日は休業日だった。といっても、休みの曜日が決まっているわけでもない。ようは、マスターである秋山将盆の一存で営業日が決まるだけなのである。
 基本的に年中無休であるが、少ない常連は時折予告なしに店をやらないことを知っているので、特に困ったこともない。
 そんなわけで、将盆は今日、バーボンハウスの常連であり友人であるドクオとブーンと共に、適当なファミレスで休日を過ごしていた。
 2人の青年とは年齢が一回りも離れているが、それでも彼らは同年代の友人であるかのように話してくれるので、将盆も彼らを友として接することができた。
 「はぁ……」
 ずいぶん前に運ばれてきたパスタを突付きながら、ドクオが何度目になるのか、大きな落胆の溜息をついた。
 「あぁー……」
 「ドクオ君、どうしたんだい?」
 ただでさえ陰気に見える外見だ。気の毒になるほどの落ち込みように、将盆が声をかける。しかし、ドクオは首を横に振って前髪を揺らすだけだ。
 代わりに、ブーンがいつもと変わらない朗らかな声で言った。
 「次のライブコンサートのチケット、ドクオは取り逃したんだお」
 「チケット? VOCALOIDのかい?」
 「そうだお。カイトの新曲発表とミクちゃんのライブが合同になってるやつ。ドクオはミクちゃんの大ファンだから、そっちが目的だったんだお」
 「あぁ……ミクちゃん……」
 くるくる巻いていたパスタが、ドクオの気持ちと共に崩れ落ちた。水にも手がつかずに、氷はすっかり溶けてしまっている。
 「僕は世俗に疎いから、よく分からないんだが……。彼らのコンサートというのは、そんなに人気なのかい?」
 「え、ショボン、それはさすがにぶっ飛んだ質問だお」
 自分としてはおかしいことを聞いたつもりはなかったのだが、ブーンの表情から、どうやらよほど世間離れした問いかけだったらしい。それでも律儀に、小太りの青年は答えてくれた。
 「VOCALOIDのコンサートチケットは、いつも即完売状態だお。特に最近、コンセプトが『アイドル』から『ココロ』に変わってから、そりゃもう大変な売れ行きだお。ブーンもドクオも、チケット取るのに四苦八苦だお」
 「そうなのか。ライブの日はいつも、大通りは大混雑だからね。うちにも少しはお客が流れてくれれば、店も楽になるんだがねぇ」
 「そりゃ無理ってもんだお。ブーンとドクオはバーボンハウスで飲むこと前提だから節約してるけど、大抵の人はグッズとかモリモリ買うから、帰りはみんな金欠だお」
 「君達が来てくれるだけ、ありがたいと思おう」
 「おっおっ!」
 苦笑気味に言うと、ブーンは声を上げて笑った。一方で、ドクオは憂鬱な顔のまま、溜息と共にミクの名前を連呼している。少々不気味にも思えてきた。
 「ドクオ君、そんなに見たいのなら、美鈴ちゃんに頼んであげようか? 彼女ならきっと、チケットの一枚くらいは取れると思うけれど」
 「おっ!? それまじかお、超お願いしたいお」
 いち早く反応したブーンに遅れて、ドクオの瞳にも一縷の光が宿る。だがすぐに頭を振って、
 「いや、ダメだ……。自分の手でチケットを取らないと、ファンとして納得がいかない」
 「意地張ってないでお願いしちゃえお」
 「いいや! 俺はただミクちゃんを見たいだけじゃない、一ファンとして! ミクちゃんやVOCALOIDコンサートに携わる人々に貢献したいんだ!」
 突然腕を振り上げて宣言するドクオに、周囲の視線が集まる。さすがに少し引いて、ブーンが頬を引きつらせた。
 「ちょ、落ち着けお。さすがにちょっと気持ちわりぃお」
 「何を言うか! ブーン、お前もミクちゃんのファンなら! 誰かの助けなど借りずにチケットを取るのが道理だと知っているだろう!」
 「いや、分かるけど、今のドクオは色々別の意味でキモいお」
 「ドクオ君、少し静かに」
 たしなめるも、彼はどこか狂った歯車を思わせる勢いで、さらに声を荒げた。
 「ショボン、お前も一度ライブを見れば分かる! 彼女の可憐さ、美しさ! その歌声に癒され、甘美な時間を過ごせば!
 あぁミクちゃん、俺の心のオアシス! 彼女がいれば世界が変わる! 色づく!」
 「ドクオ君」
 「メイコやカイトにはない可愛らしさ!! アクア色の髪、優しい瞳!! あぁもう完璧すぎ! ミクちゃん完璧!!」
 ざわつき始めたレストランで、将盆はとりあえず、テーブルを叩いた。太い腕が振り下ろされ、轟音にも似た音が響く。さすがに、ドクオの動きが止まった。
 「ドクオ君」
 「……はい」
 「ぶち殺すぞ」
 「すんませんした」
 大人しく席について、周りの興味もそれぞれの話題に移っていく。しばらくはドクオの話題になりそうだが、他のテーブルの話し声は、将盆たちの耳に届く頃には雑音になっていた。
 再び意気消沈したドクオを頬杖をついて眺めながら、将盆が言う。
 「しかし、それほどまでに素晴らしいステージなんだね。皆が熱中するのはそういうことか」
 「アンドロイドだけあって、ルックスも完璧だお。カイトとか超絶イケメン過ぎて、ちょっとくらいモテ成分を分けてほしいくらいだお」
 「はは。確かに彼は、いい顔立ちをしているね」
 青髪の好青年を思い出し、同意すると、ブーンは少し険しい顔をした。
 「だおだお。あれは卑怯だお。ロボットだからまだしも、人間だったら全男性の敵だお。
 そういえば、前に秋山博士が連れてたリンって子は、アンドロイドにしては芋っぽい顔つきだったお。抜群に可愛いのは間違いないけど、ミクちゃんたちみたいに2.5次元的ではなかったお」
 素朴な疑問なのだろうが、将盆は少し眉を寄せた。
 「2.5次元、という表現が良く分からないが……、そうだね。リンちゃんはこう、素朴なイメージがある。ミクちゃんやカイト君に比べて、田舎の純情そうな子みたいに見えるね」
 「そうなんだお。ま、あれはあれで可愛いから問題無いお。リンちゃんはステージには出ないのかお?」
 今もパスタを巻いては解いてを繰り返しているドクオを行儀が悪いと叱りながら、将盆はそれに答える。
 「うん、美鈴ちゃんにそういう気はないらしい。リンちゃんは彼女の妹というか、娘というか。よく『家族』と呼んでいるね」 
 「なるほどだお。それはそれで、面白いお」
 「僕もそう思う。アンドロイドも家族と呼べる、そういう関係を築けている彼女は、素晴らしい」
 「今度会ったら、ぜひよろしく言っといてほしいお」
 ブーンが言うが、それに将盆は呆れたような笑いを浮かべるしかなかった。
 「バーボンハウスにしょっちゅう来ている君達が、美鈴ちゃんやリンちゃんにあまり会わないのが不思議でしょうがないけれどね」
 「おっ? そんな頻繁に来てるのかお?」
 「あぁ。最近はリンちゃんとマリーちゃん、後はミクちゃんも遊びに来るようになった。お忍びみたいだけれど」
 「なんだと……?」
 ぴくりと、ドクオが反応した。フォークを皿に落として、目を光らせている。嫌な予感しかしなかったが、2人は彼の言葉を待ってやることにした。
 大きく深呼吸をして、陰気な青年がもう一度、聞いてくる。
 「今、なんて言った? バーボンハウスに……ミクちゃんが……」
 「そうだね、最近よく来ているよ」
 「……俺、住み着いていい?」
 「ダメだ」
 「ですよねー」
 今度はそれほど落胆もせずに、ようやくスパゲッティを征服にかかる。トマト味のパスタを腹に詰め込む親友を横目に、ブーンが口を開いた。
 「じゃあ、バーボンハウスに行ってれば、ミクちゃんともそのうち話せるかもだお。こないだはチラッと見えただけだったお」
 「普通に話せるさ。彼女はとてもいい子だ。仲良くなれると思う」
 「おっおっ、楽しみだお」
 「しかし……それでは……」
 いつの間にか、あっという間に食べ終わっていたドクオが、口をナプキンで拭いながら呟いた。ブーンが肩をすくめる辺り、またくだらないことで悩んでいるのだろう。
 彼の呟きが聞こえる程度に、耳を澄ましてみる。案の定、どうでもいいようなことでブツブツ言っていた。
 「ミクちゃんと友達に……捨てがたい、非常に捨てがたい。だが、それではもう、今のようにライブを楽しめなくなるんじゃないのか……? ファンとしてではなく、友人のライブとして見るようになってしまっては……。
 いや、それはそれでありかも? だって友達だし、ミクちゃんと。他の人らじゃまずあり得ないよな。バーボンハウスの常連でもないと。俺らだけの特権、いい。すごくいい。
 あぁでもやっぱり、一ファンとしてミクちゃんを見ていたい気もする。なんとか両立できないか……?」
 「一般的に、ファンより友達のほうが近しいという認識だと思うけれど、ドクオ君はそれじゃ不満なのかい?」
 「いや、不満ってわけじゃないんだけどさ」
 将盆に聞かれて、ドクオは顔をしかめる。妙なこだわりが邪魔をしているのか、なかなか頷くことができないようだ。
 「友達ってのは、いいもんだと思うぜ? まして、ミクちゃんとそうなれるなら最高だよ。
 でもさー、なんか違うっつーか……。俺はあの子のファンで、手の届かない存在を見上げてるっていうのが性に合ってるっていうかなぁ」
 と、ブーンがドクオの長い前髪に隠された目を覗き込む。
 「ドクオ、ドクオ」
 「あん?」
 思考を中断させられて、ドクオが不機嫌そうに返答した。それでもブーンは顔色1つ変えずにいる。親友である2人だからこその光景で、将盆は微笑ましく思った。
 小太りの青年が、人差し指を立てた。
 「ブーンの言う言葉を繰り返すんだお」
 「おう」
 「ミクちゃんと」
 「ミクちゃんと」
 素直に従うドクオに頷いて、ブーンは続ける。
 「お友達」
 「オトモダチ」
 「ワンモア」
 人差し指をドクオに向ける。意図の示すままに、前髪の奥でドクオが呟いた。
 「ミクチャント、オトモダチ」
 「もういっちょだお」
 リズミカルに、ブーンが促す。それに違和感なく乗って、
 「ミクちゃんと、オトモダチ」
 「いい感じだお、もう一度いくお」
 ウキウキと両腕を躍らせて、ブーンがリズムを取る。それに合わせて、ドクオが指をパチンパチンと鳴らし始めた。
 「ミクちゃんと、お友達」
 通りかかったウェイトレスが、すごい表情でこちらを見、急ぎ足で遠のいていく。将盆は彼女に深く頭を下げた。
 「さらに! もう一度!」
 「ミクちゃんと! お友達!!」
 「2人とも、やめなさい」
 一応言ってみるが、やはり青年たちは不思議な儀式を中止する気配はなかった。
 「ノッてきたお! ワンモアセッ!」
 再びざわつく店内。だが、ブーンとドクオは止まらない。そもそも、周囲のことなど眼中にない。
 「No1アイドル! ミクちゃんと! お友達!!」
 「オーライ、ドクオ! いい感じだお!」
 「オウイエッ! ミクちゃんと友達! フレンド!! イエスッ!!!」
 「ブーンの、言いたいこと、分かったかお?」
 あくまでリズミカルにブーンが尋ねると、ドクオは指を鳴らしながら、やはりリズムに乗って何度も頷いた。
 「おうよ! あの子とフレンド! 幸せMAX!」
 「ミクちゃんと友達! ワンダフルデイズ!!」
 青年達の声は、聞いているだけで楽しそうだ。ここが自分の家か、人の少ない場所ならば、そっとしておきたいところだが。
 溜息をついた。立ち上がらんばかりの勢いで盛り上がる2人には、大変申し訳ないと思いつつも、将盆は。
 振り上げた拳を、テーブルに叩きつけておいた。




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