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ココロ~another future~

第16話 明日への歌を

 ←第15話 鏡像の少年 →第17話 ココロ
 風を切って走るエアカーの中、バックミラーをちらりと見る。性別の違いがありながらも瓜二つな少年と少女が、そこに映っていた。
 窓から身を乗り出さん勢いで、アレやコレやと質問を繰り返すレンと、彼が落ちたり対向車にぶつかったりしないように注意しながらも、レンの質問に自慢げに答えていくリンである。
 微笑ましいなと思いつつ、懐かしい、とも感じる。リンと初めてセンタードームに出かけた時、外の世界を知らないリンも興味津々に質問を繰り返してきたものだ。あれからもう1年も経つ。
 (いや……。まだ1年、だな)
 咥えた煙草を吹かしながら、美鈴は内心で独りごちた。そう、まだ1年、たった1年しか過ぎていないのだ。あまりにも激動すぎて、もう云十年と過ごしたような気さえする。
 リンとの出会いが、多くの出会いに繋がった。立川とヤン、VOCALOID達。すでに顔見知りだったマリーや将盆、トラボルタとも、親密になれた。気に入らなかったビリー会長も、今では嫌いではない。
 そして、レン。彼と出会えたことが、さらなる運命の転機となるだろう。美鈴はそう、確信していた。奇跡の申し子、その鏡像なのだから。
 今日のハイウェイは快適だった。車の無い道を高速で駆け抜けると、後ろのレンが歓声を上げるのが聞こえた。
 「すっげー! 車ってデータじゃ知ってたけど、乗ってみるとすっごい速いんだな!」
 「ハイウェイだからねー。下道じゃこんなにスピード出せないけど、ゆっくりいろんなものが見えるのも楽しいよ」
 念のためなのか、レンにしがみついて落とさないようにしながら、大きな声でリンが言った。ちなみに、レンはシートベルトをつけていない。律儀に守る癖は、どうやらリンだけのもののようだ。
 「へー。でも俺はこっちのほうがいいや。すごい気持ちいいし、楽しいし!」
 「レンは男の子なんだな。リンとの差が、そこに出ているよ」
 思わず笑って言うと、レンは頷く素振りを見せてから、また窓の外に熱中し始める。体勢はそのまま、ほんの少しつまらなそうに、リンが反論してきた。
 「私だって、レンと同じくらいハイウェイが好きですよ。男と女なんて、そんなに差はないんです。……ていうか、これ美鈴さんの台詞だったじゃないですか。立川さんと美鈴さんにほとんど差はない、所詮は同じ科学者だって言ってたの、美鈴さんですよ」
 「あぁ、そうだったな。いやぁしかし、男の子と女の子というのは、やはり行動や言動に違いがあるものだよ。双子でも、男女で好みや挙動が変わるものさ」
 納得いかない、といった顔をしているリンだが、押さえられながらもエアカーの外に身を乗り出しているレンの大声で、彼女の言葉はかき消された。
 「お、リン! 見てよ!」
 「なぁに? そんなに大きな声出さなくても、聞こえてるよ」
 「あれあれ!」
 レンの指差す先は、後方。ヘッドライトが高速で接近してくるのが見える。今日はハイウェイが空いているから、走り屋がいるのだろう。
 予想通り、かなりのスピードが出ている美鈴のエアカーの横を、凄まじい速度でスポーツタイプのエアカーが追い抜いていった。すぐに見えなくなってしまったが、かなり改造をしていたように見える。科学者として、どういった改造をしているのか見てみたくなった。
 リンに重なる形で座席に座ったレンが、興奮を隠しもせずに運転席へと乗り出してくる。
 「かっこいいなぁー! 美鈴さん、今の奴追いかけてよ!」
 「おいおい、無茶を言うな。馬力が違いすぎる」
 苦笑気味に答えると、レンは「ちぇー」とつまらなそうに唇を尖らせた。やはり男の子だ。カイトとは全く違う、少年らしさを持っている。
 突然レンが座席に戻ってきたので、押しつぶされているリンが苦しそうに、しかしどことなく楽しそうに言った。
 「ねぇねぇ、今度立川さんの車に乗せてもらったら? 確か、タイヤ付きの車だったと思うよ。レンもそれならよく知ってるんじゃないかな?」
 「へぇ! 今度お願いしてみよう」
 「あぁ、立川は車に関しては酷くうるさいぞ。小一時間じゃすまないかもしれないうんちくを聞きたいなら、頼んでみるといい」
 「いいよ、もっと車のこと知りたいし。なぁ、リンも一緒に行くだろ?」
 目をキラキラさせてレンが言うものだから、リンは少し困ったように頬を掻いた。
 「私は……、ごめん、そんなに興味ないや」
 「えぇ、なんで?」
 「なんでって……」
 言葉に詰まってしまったので、美鈴は新しい煙草に火をつけながら、
 「ほうら、言ったとおりだろう? 男の子と女の子は、色々と違いがあるもんだ」
 「……今回ばかりは、認めます」
 溜息と一緒に頷くリンが、バックミラー越しに見えた。
 結局リンが隣にずれて、レンも座席についた。リンに無理矢理シートベルトをつけさせられ、やれ窮屈だやれ苦しいだと文句を言っていたが、車が下道に入ると同時に、彼は再び景色に視線を取られていった。
 行き交う人々、明滅するネオン、雑踏や喧騒。全てが新鮮なのだろう、レンは言葉すら発することなく、流れる景色に見入っていた。
 何度か行った程度の道順は、しっかり覚えていた。もうすぐ、さらなる驚きがレンに訪れることだろう。美鈴は内心でワクワクしていたし、リンもきっと同じ気持ちだろうと思う。
 目印の看板を見つけ、曲がる。同時に、レンが声にならない声を上げた。
 「う、うおぁ~」
 「どうどう? すごいでしょ」
 なぜか自慢げに、リンが言った。2人が見上げた先にあるのは、豪奢だとか広大だとか、そんなチンケな言葉では言い表せないほどの屋敷があった。ラダビノード邸である。
 ひたすら続く壁と美しい模様のあしらわれた柵。その向こう側に鎮座する巨大な屋敷は、まるで城のようだ。庭もさぞかし広いだろうことは、想像に容易かった。
 「ここ、マリーの家なの? ここまでくるともう……」
 「うん、分かる。私も住む気には……なれないなぁ」
 「君達が謙虚で助かるよ」
 後ろの双子に言って、美鈴はハンドルを切った。豪邸の入り口に到着である。
 厳重な門には、検問用のアンドロイドがいる。こういう時に顔パスが利かない辺りが、融通の利かないアンドロイドの欠点だ。あるいは、彼らにも『KOKORO』プログラムがあれば、違ってくるのかもしれないが。
 証明書と網膜、指紋認証を経て、ようやく豪邸に入ることを許された。相変わらず、入るだけで疲れる屋敷だ。リンとレンはアンドロイド――つまり物扱いなので、CTスキャンによる内部検査だけで済んでいる。羨ましいとさえ思った。
 屋敷の目の前で車を止め、降りる。アンドロイドが近づいてきたので、美鈴はためらいなく車の鍵を渡した。アンドロイドが美鈴の車に乗り込み、発進する。駐車場に置いてきてくれるのだろう。
 呆然とその光景を眺めていたレンに、美鈴は肩をすくめる。
 「本当はこんな面倒なことをしなくとも、自立誘導用のロボットがあるんだけれどね。ビリー会長のこだわりらしい」
 「会長さん、変なところでこだわるもんね」
 何度か泊まりにきているリンは、彼の好みをよく知っているらしい。あるいはマリーに聞いたのかもしれない。
 去っていくエアカーを見送りながら、レンが呟いた。
 「……あのアンドロイドに心があったら、いろんな車の話とかしてくれるのかな。ねぇ美鈴さん、彼らに『KOKORO』プログラムをあげることって、できない?」
 「ふむ。……あぁ、それはとても難しいな。君達は、作った私が言うのもなんだが、他のアンドロイドとは比べ物にならないほど高性能だ。ブレインもコアも、何もかもが既存の量産型アンドロイドとは違いすぎる。ルカの記憶媒体以外のブレインも、今は別物だからな」
 「……そっかぁ。残念だな」
 「いつか、いつかきっと実現してみせるさ。全てのアンドロイドに心を与えてみせる」
 今ならできる。強く言い切って、美鈴は笑った。つられて2人も笑顔を見せてくれる。
 屋敷の大扉は、リンの身長の3倍はあろうかという巨大さであった。呼び鈴を鳴らそうとしたところで、大扉が機械音と共に開く。出迎えてくれたのは、チョコレートカラーのフリルカーディガンを着たマリーだった。彼女はいつも、お姫様のような服装をしている。母親の趣味らしい。
 「いらっしゃいませ! 待っていましたわ、どうぞ上がって」
 「あぁ、お邪魔します」
 「マリー!」
 入ろうとした横を、リンが駆け抜けていった。マリーに飛びついて、頬擦りなどしている。仲が良いのは大いに結構なのだが、その服を傷つけるのは止めてくれよと、内心で願う。弁償するのは容易いのだが、下手をしたらマリーの母親であるシーナの手作りかもしれないのだ。彼女を怒らせると後が怖いのは、体験済みである。
 両手を繋いで楽しそうに会話を弾ませるリンとは対照的に、レンはその豪勢すぎる屋敷に、恐る恐る足を踏み入れていった。
 「お、お邪魔します……」
 「あらレン、そんな怖いところじゃありませんわ。どうぞリラックスしてくださいまし」
 「お、おう」
 幼いマリーに言われて、レンはプライドが先行したのか、大いに胸を張って歩き出した。どこへ向かうか告げた覚えはないのだが、すぐに察したマリーが案内しだしたので、美鈴も安心して後を追った。 
 ラダビノード邸を訪れた理由は、トラボルタが2人に会いたいと言い出したからだった。ちょうどマリーのピアノ教室がある日が近かったので、リンの要望もあり、その日を選んだ。
 車の中よりはずっと遠慮がちにだが、レンがキョロキョロと屋敷内を眺めている。注意しようかとも思ったが、ここは無理もない。あちらこちらにビリーの趣味である彫刻やら銅像があるのだから、視線も泳ごうというものだ。
 これだけ広い屋敷だというのに、さすが住人であるマリーは、一寸も迷うことなく応接室へと導いてくれた。彼女の身長からしたら少し高いドアノブを開けて、3人を促す。
 「どうぞ。先生もお待ちですわ」
 「ありがとう。マリーも来るんでしょ?」
 リンが訊ねると、マリーは少し考えてから答えた。
 「お母様に、お茶とお菓子をもらってきますわ。黙ってても持ってきてくださるでしょうけど、後でその……色々とあるので」
 怒られる、ということだろう。客を持て成す作法を学ぶにはいささか早い気もしたが、彼女は超大手会社『HNNR』の令嬢なのだから、致し方ないのかもしれない。
 「あぁ、お構いなく。押しかけてきたのはこちらなのに、すまないね」
 「いいえ、そんなことありませんわ。私も楽しみでしたもの」
 言って、マリーは小走りでどこかへと向かっていった。3人は応接室へと入る。
 ふかふかのソファーと合成ではない高級木のテーブル。そこに、トラボルタがいた。ソファーの感触に、ぎこちなく身を預けている。
 「あぁ、待たせたね」
 「秋山さん、ご足労おかけします」
 立ち上がって一礼し、トラボルタはリンとレンに視線を向ける。
 「こんにちは、トラボルタさん」
 「うん、こんにちは。久しぶりだね、リン」
 リンとの挨拶を終えてから、トラボルタはレンに向き直った。先に、レンがすんなりと頭を下げる。
 「初めまして、レンです」
 「トラボルタ・ウェーバーです。会えて光栄だよ、レン」
 握手を交わして、にっこりと笑った。男同士、伝わるものでもあったのだろう。
 トラボルタに促されて、ソファに座る。さっそく、本題を切り出した。
 「それで、トラボルタ……プロデューサー。今日はどういった用件で?」
 美鈴が、トラボルタを仕事用の呼び方をした。ビリーと話している時にこういった呼び方を聞いたことがあるが、直接彼に言うところは初めてだ。
 「えぇ、ビリー会長から新作VOCALOID発表の日程が決まったと連絡を受けたので」
 「あぁ、こちらもそれは受けたよ。1ヶ月後だったと記憶しているが」
 「そうですね。場所はやはりセンタードーム、チケットはすでに販売を開始しているそうです」
 「相変わらず仕事が早いな、会長は」
 煙草に火をつけて、一口吸う。紫煙を吐き出しながら、煙草を灰皿に置いた。
 「それで、リンとレンに何か用が?」
 「用事があるというほどのものでは。ただ、作曲が滞ってまして」
 驚いた。トラボルタは感性のみで曲を書き上げるほどの才能を持っている。音楽に関しては間違いなく天才だ。その彼が、曲作りで苦戦しているとは。
 「ルカさんのために作ってた歌は、ダメなんですか?」
 訊ねるリンに、トラボルタが渋い顔をする。
 「うぅん。イメージが違いすぎるというか……。彼女のために作った歌は、やはりリンだけじゃなく、ミクやメイコにも歌えないものだと思う。カイトとレンは男だから、もっとダメだろうね」
 「特別なものなのか?」
 興味を引かれたのか、レンが身を乗り出して聞いた。すると、トラボルタは深く頷いた。
 「うん、すごく特別だね。あの歌は……ある人の想いが込められた、とても深い歌だ。ルカが歌わないとしても、あの歌はルカにしか持つ権利がない」
 はっきりと言い切ったので、リンとレンはそれ以上追求することができなかった。意味は分からなかっただろうが、歌に対する特別な気持ちは、しっかりと伝わっただろう。
 いつもの柔和な調子に戻って、トラボルタは2人に言った。
 「もちろん、リンとレンには君達だけの特別な歌を作りたい。だから、今日は2人に来てもらったんだ。2人と話して、君達の……そうだね、心の世界を知りたいから」
 「心の世界?」
 リンが首を傾げる。彼女とレンが想像しているのは、きっと彼らが訪れたという黄金色の菜の花畑なのだろうが、トラボルタの言う世界はまた別だと、美鈴は悟っていた。
 トラボルタは続ける。
 「そう。君達の紡いできた過去、これから繋いでいく未来。リンとレンの見てきた、見ていく世界を、僕に教えてほしい」
 真っ直ぐ真剣な瞳で、トラボルタは2人をじっと見つめた。顔を見合わせて、リンとレンはどうしたらいいかと美鈴を仰いだ。
 「……あぁ、そのまま話してやればいい。リンはDr.クリプトンと一緒に過ごした時間を、レンはリンの心で過ごした時間を語ればいいんじゃないか? 私は邪魔かな、席を外そうか?」
 「いえ。秋山さんと出会ってからも、リンにとっては大切な時間なはずです。同席してもらったほうが嬉しいですよ」
 「そうか、じゃあお言葉に甘えて」
 「そういうことでしたら!」
 ドアを豪快に開けて、お茶やら何やらが乗ったおぼんを持ったマリーが現れた。奇跡的に、お茶はこぼれていない。
 「私を外すわけには参りませんわ! そうですわよね、リン!」
 「え、あ、うん」
 曖昧な返事に、マリーは頬を膨らませた。
 「なんですのその返事は! 私はリンの、一番の親友ですわよ!」
 「も、もちろん! さぁさぁマリーも、私の隣で一緒に話してよ!」
 大慌てでリンが言うと、ころっと笑顔になって、マリーはお茶を皆に配ってからリンの隣を陣取った。狭くなったので、美鈴は対面のトラボルタの横へと移動するはめになった。
 時刻は夕刻。今日は泊まることになりそうだなと、美鈴は長話への、覚悟を決めた。




 真っ先にお茶菓子を食べ始めたマリーを横目に、リンはポツリポツリと語りだした。
 「えっと……。私が生まれたのは、今から500年前です。まだ緑があって、川とかお花畑とか、町も外にありました。クリプトン博士の研究所は、町からずっと離れたところだったから、人はほとんど来なかったんですけどね。
 私は……心がなかった。だから、博士がくれた服とかアクセサリーの可愛さや綺麗さ、博士が見せてくれた映画の感動とか驚きも、分からなかった。よく遊びに連れて行ってくれた小川も菜の花畑も、そういう物だとしか認識できなかった。
 でも、覚えてるんですよ。博士がすごく、楽しそうに笑ってるの。記憶してるだけじゃなくて、私の……心の中に、博士の顔と声が、残ってたんです」
 「俺も覚えてる。見えてないし聞こえてないけど、リンの心に響いてきたから、覚えてるんだと思う」
 「うん。博士はいつも無理をしてました。『KOKORO』プログラムを作りながら、レンのボディも作ろうとしてて、私のブレインが『KOKORO』に耐えられるように改造しようともしてました。ほとんど、寝てなかったように思います。
 博士が亡くなったのは……夏でした。すごく暑い日だったのに、博士は布団で、とても冷たくなっていました。私のブレインが……博士の死亡を確認するのに……時間はいりませんでした……」
 だんだんと俯いてしまったリンの肩をそっと抱いたマリーが、視線でレンを促した。一度頷いて、レンが言葉を選び出す。
 「俺は、その時まだ意識がなかったんだ。システムとして存在はしていたけど、リンの中に心の世界がまだ無かったから。
 ……無かったのかな? それとも、あったけど俺もリンも気づかなかっただけなのかもしれない。
 リンの感情や心の記憶が流れてきたのは、リンが500年前に壊れる間際、『KOKORO』プログラムに繋いだ瞬間からだった。
 博士とリンの思い出や、その時感じた気持ち。博士が死んだ時、表情にも心にも表れなかった悲しみの大きさ。それと、壊れる直前まで歌っていた、リンの『アリガトウ』も、全部知ることができた」
 「……『アリガトウ』……というのは?」
 出された紅茶を1口飲んで、トラボルタ。これには、少し湿っぽい声でリンが答えた。
 「私を作ってくれたこと。私を可愛がってくれたこと。……心を作ってくれたこと。私の存在が、博士への『アリガトウ』なんです。
 博士が私を、亡くなったお嬢さんの代わりに作ったとしても、私には関係なく、博士にありがとうを伝えたかったんです」
 「……! リン、それは……」
 彼女には、自分が作られた理由を話していなかった。どこで知ったのか。レンから聞いたのかとも思ったが、彼が知っていたとも思えず、美鈴は言葉を失った。そんな彼女に、リンが微笑を浮かべて、左腕の簡易コンピューター付きの袖を指差した。
 「美鈴さんがつけてくれたコレ。この中に、博士の思い出のデータ入れてくれたでしょ?」
 「あぁ、あの時確かに……。だが、中身は私も確認したはずだ」
 「えへへ、内緒のパスワード、見つけちゃいました。私と博士しか知らないパスワード。そこにね、博士の……お父さんの手紙があったの。全部、そこに書いてありました」
 「……」
 両手で顔を覆う。返す言葉がなかった。リンを傷つけまいと黙っていた自分が、恥ずかしかった。守ってやらなければいけないと思っていた少女は、こんなにも強かったのだ。
 「気にしないで、美鈴さん。私は嬉しかったよ、美鈴さんが心配してくれたこと」
 「あぁ……すまない」
 「……」
 マリーとトラボルタも、何も言わなかった。促されたというわけではないが、リンは再び話し始める。
 「博士は何度も悩んでたんです。お情け程度の自立行動は出来ても、結局プログラムに従う行動しかできなかった私に、『お父さん』と呼ばせるかどうか。結局、博士としか呼んでなかったなぁ」
 「心をリンが手に入れられれば、きっとそう呼んでくれると信じていたんだね、博士は」
 紅茶の水面に揺れる自分の顔を眺めながら、レンが呟いた。
 「うん、そうだと思う。博士のお嬢さんは……髪と目の色は違うけど、私とそっくりだった。少しショックだったけど、それ以上に嬉しかった。クリプトン博士の娘でいられる自分が……嬉しかった。
 ちょっと話が飛んじゃいましたね。……博士が亡くなってから、私が壊れるまで280年、私は研究所に独りでした。博士とは結局、20年くらいしか一緒にいれなかった。それとも、人間で換算したら十分な年数なのかな?
 ともかく、毎日ブレインをチェックして、過去の記憶領域に浸っていました。なんでそんなことをしてたかって聞かれたら、今思うと……寂しかったんだと思うんです。私の、魂がそう言っていたんだろうなぁ」
 「魂。ショボンおじさまが話してくれたアレですわね」
 「そうそう。だから『KOKORO』プログラムを見つけた時も、触れてみたいと思うことができた。博士の作った『心』が欲しいと思った」
 「そしてリンは、『KOKORO』プログラムに接触した。当時のリンのブレインは、『KOKORO』を受け入れられるほどの性能がなくて、すぐにショートし始めた。ブレインのショートは、そのまま機能停止って意味になる。
 ……その瞬間から、俺はリンの心の世界にいた」
 一呼吸の間。人間達は誰も何も言えず、ただ黙して続きを待つしかなかった。
 「そこは菜の花畑でさ、夕焼けがすっごい綺麗で、最初は感動したよ。これがリンの見ていた世界なのかって。でも、すぐに寂しさが襲ってきた。
 考えてもみてよ。歩いても歩いても、ずっと菜の花畑。叫んでも誰も返事しないし、太陽は沈まないから景色もずっと変わらない。気が狂いそうなほどの人恋しさだった。心なんていらないって……思うこともあった」
 「……」
 申し訳なさそうに視線を投げるリンに、レンは困ったように笑う。
 「そんな顔すんなよ、今はすっごく楽しいんだから。これは昔話。リンだって話したじゃないか」
 「うん……」
 「続けるよ。……心の世界を歩いていくうちに、少しずつ分かることがあった。壊れたリンのブレインから、ちょっとずつだけど、生きている情報が流れてきたんだ。
 俺の名前が『LEN』であること。自分がアンドロイドであること。リンの兄弟機であること。システムしかなく、ボディはまだないこと。クリプトン博士が、俺の為の情報をリンのブレインに入れておいてくれたのは、本当にありがたかったよ。
 時々溢れてくる情報だけが、俺の楽しみだったんだ。リンの思い出や記憶。時々博士の残した演算式やプログラム言語が出てくることもあった。知っていくうちに、どんどんリンに会いたくなった。俺の双子の、お姉さんになるのかな。会って話したい、もっと知りたい。知れば、きっと俺は本当の俺になれると思った」
 「一心同体、というやつかな」
 トラボルタが尋ねると、レンは少し首をかしげた。
 「うーん、ちょっと違うかなぁ。パズルのピースって感じかな。俺の中にはリンのピースが、リンの中には俺のピースがあって、それをお互いに渡せば、本当の自分に辿り着けるっていうか」
 「わかるわかる」
 嬉しそうに、リンも頷いた。
 「レンに会ってから、自分の存在がもっと確かになったっていうか、そんな感じしたもん」
 「やっぱり? 俺もそうなんだよね。心の世界だから自分の実感が薄いのかと思ってたけど、違った。リンがいなかったからだったんだ。
 ……で、心の世界に1人でいて、長い長い時間が経った。今思うと、何してたんだろうな。何もしてなかったようで、結構色々やってたような気もする。
 ある日、違和感があったんだ。リンのブレインに、何かが接続されたって分かった。コアプログラムに誰かがアクセスしてるって分かった時は、期待と不安がごっちゃごちゃになったなぁ。それが今から大体、1年前」
 「……1年前、ブレインとコアのほとんどが大破した私を、直してくれた。それが、美鈴さん」
 あまりにも可憐で愛しい笑顔で、リンが美鈴に微笑んだ。あぁ、と頷いて、
 「立川とヤンが君を連れてきた時、私は正直その辺のSMILOIDが壊れて破棄されたのだろうと思った。コアの内部に刻まれた製造年月日を見るまでは、本気でそう思っていたよ。
 だが、ふたを開ければどうだ? 500年もののアンドロイド。しかも現代のアンドロイドとは別規格でありながら超高性能ときたものだ。科学者として、私は大いに興味を持ったよ」
 「私を直すまで、どのくらいかかったんですか?」
 「大体……10日とちょっとだったな」
 意外だったのか、レンが肩をこかした。
 「あ、案外早かったんだ……」
 「ほとんど不眠不休だったけれどね」
 紫煙を吐き出して答えると、リンが頬を膨らました。
 「また無理してたんですね?」
 「仕事熱心だと言ってほしいな。まぁ、結果はうまくいった。ニコツーのマザーコンピューターよりずっと多い処理能力を持つチップが唸りを上げた時は、冗談かと思ったがね。
 リンが目を開けた時……私は夢でも見ているのかと思った。コアとブレインにケーブルが刺さったアンドロイドが、まるで人間の少女みたいに、『あなたは誰?』と言ったんだからな。君の涙を見るまで、私は自分が成功したと信じられなかった」
 「あの時は、美鈴さんを本当に悪い人だと思いましたよ。私を直して悪用する気だ! って」
 お互いに、笑いあう。懐かしい、そしてとても大切な思い出だ。
 気づけばペンを紙に走らせていたトラボルタが、顔を上げた。
 「リンはすぐ、研究所の外を出歩くようになったのかい? 色々な人と友達のようだけど」
 「ううん、私は美鈴さんの研究所にずっといました。見たことのない本とか機械がいっぱいあったから、飽きることもなかったし。最初にニコツーの中で出かけたのは、センタードームでした。メイコさんのライブだったなぁ」
 「オレンジジュース事件、だな」
 「ですね」
 またも、2人だけで笑う。黙って聞いていたマリーが、リンの腕を掴んだ。
 「なんですの、2人して楽しそうに! オレンジジュース事件って、なんなんですの!?」
 「あぅ、ちゃんと説明するよぅ」
 知っているくせに、笑ってばかりで助け舟を出さないレンに舌を出してから、リンは掴まれた腕ごとマリーを引き寄せ、抱きかかえた。マリーがまるで人形のようだが、まんざらでもなさそうだ。
 「初めてセンタードームに行ったとき、美鈴さんが私の分のオレンジジュースも持ってきてくれたんです。でも、私アンドロイドでしょ? 美鈴さんは飲めないかなーって思ったみたいで」
 「あぁ、アンドロイドであっても水分の摂取は可能だ。固形物はリンだけだろうがね。だが、アンドロイドには味覚がない。
 私は適当にオレンジジュースを飲もうと、当たり前のように2人分もらってきた。あの時は本当にしまったと思ったよ。リンに気を遣わせてしまうから捨てようかとも思ったけれど、もうリンはこちらを見ていたからな。観念して謝り、ジュースを渡すと、リンはなんとも無いように言った」
 「『オレンジジュース、好きですよ』」
 「……そう。本当に驚いた。アンドロイド研究が進んで、視聴覚と触覚までは再現できていた。だが、そこから先は鬼門だったんだ。味覚の再現など、とても……まして私達が感じている通りにアンドロイドに感じさせるなど、神業を超えた奇跡だとしか思えなかった」
 「えへへ。……また話がそれちゃいましたね、ごめんなさい」
 リンは冷めかけた紅茶を飲み干すと、抱えたままのマリーの頭を撫でた。
 「マリーと初めて会ったのも、センタードームだったね」
 「そうですわね。リンの特等席を、私が先に取っちゃってたんですのよね」
 「特等席ってわけじゃないんだけど。譲ってもらった時は恥ずかしかったー」
 「リンの方がお姉さんなんだから、譲るのは普通リンだよな」
 横からレンがちゃちを入れてきたが、リンはそっぽを向いた。レンとマリーがクスクス笑う。
 「会長さんに『そのアンドロイドをくれ』って言われたりもしたっけ」
 「みんなして、お父様を言いくるめましたわね。あれも楽しかったですわ」
 「あの時の会長の顔は、傑作だった」
 思い出したのか、美鈴が紫煙を吹き出した。煙草を消してから、茶菓子を1口かじる。
 「リンにとっては、初めての友達になるんだろうな、マリア嬢は」
 「うん、一番の友達だよ」
 「ねー」
 目を見合わせて笑いあう少女たちに、目を細めた。
 親友とじゃれているリンに、トラボルタが訊ねる。
 「心の世界を知ったのは、いつなのかな?」
 「えっと、ミクちゃんに『KOKORO』を渡した時です。夜の綺麗な海辺で……。ミクちゃん、絵本に出てくる人魚みたいでした。すっごい幻想的だったなぁ」
 「非科学的だとか、そんな言葉では言い表せないことを、科学者である私や立川に考えさせるようになった出来事だな。あれは衝撃的だった」
 美鈴が付け足すと、リンは何かを思い出したのか、からかうように美鈴に言った。
 「ミクちゃんが心を持って起きたとき、美鈴さんメソメソ泣いてましたよね」
 「あ、あれは! ……嬉しかったんだ、あぁ、ただただ嬉しかった」
 否定しようとしたが、美鈴は認めた。クリプトンに追いついた実感が沸いた瞬間。あの時の感動は、きっと一生忘れられない。
 味の分からない紅茶をすすっていたレンに、トラボルタは視線を向ける。
 「その光景を、レンは見ていたのかい?」
 「いや、俺は見えなかった。声も聞こえなかったよ。ただ、リンが楽しそうだなーとか、今怒ってるなーってのは、なんとなく分かった」
 「……リンが目覚めてからも、ずっと心の世界に1人で?」
 「うん。まぁこればっかりはね。リンが直ったってだけで、すごい嬉しかったし。それに、いつかきっとリンが俺に気づいてくれるって、信じてたから」
 爽やかなレンの表情に、嘘はなかった。
 「……正直、僕には君たちの言う『心の世界』というものを知ることができないけれど」
 「みんな持ってるよ。見えないだけで、みんなもきっと自分だけの『心の世界』がある。トラボルタにも、きっと」
 「いつか、見てみたいものだね。リンとレンは、いつ出会ったんだい?」
 当然の質問だと思われたが、2人は同時に黙り込んでしまった。話すべきか否か。凄まじい葛藤が2人から感じられたので、美鈴が『自分の知る理由』を口にした。
 「カイトの奴があんまり心が欲しいので、リンに無理をさせたんだ。結果、エラーが生じてな……。あの時は生きた心地がしなかった。今思うと、リンが壊れることは絶対にありえないんだが、そうなってしまった時のことばかり頭によぎったよ。
 そこで助けてくれたのが、レンだった。確かレンは、カイトの心の世界に行って、リンとカイトを助けてくれたんだったな?」
 「……そんなとこ。必死だったけど、おかげでリンにもカイトにも会うことができた。そこからは、早かったな」
 「うん。メイコさんに心を上げる時も、ルカさんの時も、レンは一緒だったよね。それ以外にも、寝る時はいつも、心の世界に行ってた」
 「だな。心が繋がってるんだなーって、すごい嬉しかった」
 リンとレンが、笑う。トラボルタも満足そうに、
 「……科学の結晶である君たちに、心の不思議を教えられるとは、本当に奇跡はあるんだね」
 「うん。今ならはっきり言える。俺達は、クリプトン博士の残した奇跡だって」
 「そして、美鈴さんや立川さん、ヤンさん、マリー、ショボンおじさん、トラボルタさん、ブーンさんとかドクオさんとか、会長さんもセンタードームのみんなも、たくさんの人のおかげで、私達は本当の奇跡になれた。本当の『心』になれたんです」 
 手を繋いで、2人が立ち上がった。トラボルタも、真剣な顔でソファから立つ。
 VOCALOIDとしての名前を、リンとレンには与えてあった。未だ名乗ったことのないその名が、2人の口から発せられる。
 「私、鏡音リンは」
 「俺、鏡音レンは」
 知らぬうちに、美鈴は心臓の鼓動が速くなっているのを感じた。胸の高鳴りを抑えられない。気分までもが高揚していくようだ。
 リンが、レンが、高らかに宣言する。
 「『心』をたくさんの人に、伝えます」
 「『奇跡』を、みんなに届けるよ」
 応えて、トラボルタが深く頷く。その瞳には、柔らかさが消え、強い強い光が見える。
 「そのために、私は歌う。歌いたい」
 「だから、トラボルタ。お願いだ」 
 2人は同時に、深く頭を下げた。

 「願いを届ける『歌』をください」

 どれほどの時間が経っただろう。実際はそんなに経っていないのかもしれない。時計の秒針が刻む1秒が、酷く長く感じられた。
 しばらく目を閉じていたトラボルタが、ゆっくり瞼を開けた。
 「……あぁ、届いたよ」
 頭を上げたリンとレンに、彼はいつもの柔らかい好青年の笑顔を見せた。皆の緊張を解いてくれる、そんな微笑だった。
 「2人に、君達だけの特別な『歌』を送ろう。そのために僕は、全力を尽くす。必ず、約束だ」
 「……ありがとうございます!」
 「ありがとう、トラボルタ!」
 先ほどよりも浅く、しかし力のこもった礼をする、『鏡音』と名づけられた2人のVOCALOID。美鈴はリンとレンから、未来を見せてもらった気がした。
 皆が笑顔で手を取り合う。そんな、当たり前だがとても難しかった未来を、彼女達は叶えてくれる。そんな予感が胸を満たした。




 深夜であってもネオンのきらめくニコツーの繁華街だが、その一角には、まるできらびやかな大都市を演出するため、自ら犠牲になり影を背負うように佇む、小さな店があった。
 人々は、こういった裏路地に店を構えるのは決まってならず者か変人であると決め付ける。そのため、この暗い看板を遠慮がちに掲げるバーに入る客は限られていた。
 いい店なのだ。そして、店主もまた。『BOURBON HOUSE』と書かれた看板を見上げて、美鈴は1人、微笑んだ。
 扉を開ける。カラリとベルが小気味よく鳴り、夜も更けているというのに眠そうな顔1つ見せないマスターが、拭いていたグラスを置いた。
 「ようこそ、バーボンハウスへ。……珍しいね、1人かい?」
 「えぇ、今日は。リンとレンは会長の邸宅に泊まっています」
 カウンター席に座ると、将盆は何も聞かずにグラスを差し出してくれた。
 「このテキーラはサービスだ」
 「ありがとう」
 酒は強くない。だが、今はきついアルコールの味が好きになれそうな気がした。
 将盆は気づいているのだろう。車でラダビノード邸に行った自分が、徒歩でバーボンハウスにやってきたこと。だから酒を勧めてきたのだ。
 本来ならば、美鈴もあの豪邸に泊まっていたはずなのだ。リンとレンの歌の製作を頼み、ビリー会長と今後について話し合って、終わった頃にはかなりの時間になっていた。
 それでも美鈴は、泊まっていけという会長の勧めをやんわりと断って、1人繁華街をふらついていた。結局バーボンハウスに流れ着いてしまうあたり、どうにも情けないが。
 苦笑を浮かべてバーボンを傾けても、将盆は何も言わなかった。ただ、にこやかにグラスを拭いている。彼はいつも、美鈴の悩みを自分から訊ねることはしない。美鈴の性格を良く知っているから、そうしてくれるのだ。
 そのことに感謝しつつ、美鈴は小さく溜息をついて、ぽつりと呟いた。
 「おじさんに、報告があるんですよ」
 「おや」
 拭きかけのグラスを置いて、将盆はこちらへ視線を向けた。俯き加減の美鈴と目は合っていないが、続ける。
 「おかげさまで……。リンが、VOCALOIDになります」
 「……そうか。いやぁ、立派なことだ。あの大舞台に立つなんてことは、並大抵の度胸じゃできないことだからね」
 「私もそう思います。リンと、生まれたばかりのレン。あの子達は強い。とても強かったんです」
 テキーラを一気に呷る。喉に焼けるような熱さを感じたが、それすら言葉を後押ししてくれるように思えた。
 「ルカの代わり……最初はそう思っていました。でも、いざ彼女達がその覚悟を決めた途端、あの子らはVOCALOIDになるべくして生まれてきたんじゃないか、そう思えたんです」
 「……そうかい」
 まるで幼き日の父のように優しく笑ってくれて、美鈴は心の波が少し穏やかになるのを感じた。
 空いたグラスを下げて、将盆は新しい飲み物を作ってくれた。桜色の美しいカクテルだった。房の繋がった2つのチェリーが、彩りをいっそう華やかにしている。
 「これは?」
 「今日考えた、僕の創作カクテルだよ。レシピは秘密。名前は、そうだね……。『ベル・オブ・ベル』というのはどうかな」
 「ベル・オブ・ベル……。『鈴の鈴』? 妙な名前ですね」
 煙草に火をつけながら言うと、将盆は笑顔を崩さず、首を横に振った。
 「僕はそうは思わないな。鈴はそれ1つでは、寂しく切なげな音しか出せない。どれほど大きく立派でも、どれほど美しい音を奏でても、たった1つの鈴では『鈴の音』というそれしか出せないんだ。切なく寂しい音色だけしか、聞こえない」
 桜色に揺れる、ベル・オブ・ベル。沈む2つのチェリーは、離れまいと寄り添った鈴にも見えた。
 「鈴は2つあるべきだと、僕はいつも思う。1つで奏でる音を否定するわけじゃないよ。切なさも寂しさも、時として人を慰める。ただ、2つの鈴が一緒に鳴ると、それらの中に愛しさが加わる。高く凛々しく澄んだ音の中に、優しく暖かい鼓動が生まれる」
 飲むのがもったいないほど綺麗なカクテルだ。少しだけ口をつけてみると、甘酸っぱさと同時にに柔らかな香りと舌触りが、口の中に広がった。
 「とても美しく気高いのに1つでは鳴ることができなかった鈴も、2つになれば鳴ることができる。そういった意味を込めたカクテルだよ」
 「……」
 「どちらかがどちらかの所有物というわけではない。2つとも仲良く寄り添って、手を取り合って、初めて奏でる音色。それはきっと、とても可愛らしく、愛しいのだろうね」
 「相変わらず、おじさんは詩人ですね」
 白い煙が、天井の換気扇に吸い込まれていく。将盆も葉巻に火をつけたので、煙は2本になった。
 「気取っているだけの、変人だよ」
 「謙遜も、おじさんらしい。でも、どちらでもいいんでしょうね。その言葉で、人の荒れた心を暖めてくれる」
 「そうなっているなら、僕としても嬉しいんだがね」
 カクテルの瓶が輝く姿を眺めながら、美鈴は頬杖をついた。トラボルタとの話が終わってからずっと感じている虚脱感を、消すことができない。
 理由はとっくに分かっている。だから自分はバーボンハウスに来たのだ。誰かに話したいから、ここに来た。
 頬杖をそのまま、美鈴は呟いた。
 「ミクやカイト、メイコ、ルカ……。彼女達に心をあげた時は、こんなことはなかったんですけどね。どうしてか、今回は何かがすっぽり抜け落ちてしまった気がして」
 「やりきった達成感、ではない?」
 「そういうのとは、違うかな。なにぶん初めての気持ちで、どう説明したらいいのか」
 ぼんやりと虹色の瓶を見つめていたが、ふと思い出した。言うべきか迷う前に、言葉は口から溢れていた。
 「あぁ、初めてじゃなかった。私は今の気持ちを感じたことがある」
 「……」
 将盆は何も言わない。ただ、察したのか、微笑みが顔から消えていた。
 「父さんと母さんが亡くなったあの日。しばらく、こんな気持ちだったんだ。あぁ、なんで忘れていたのだろうな、私は」
 桜色のカクテルを、喉に流し込む。全部飲みきらなかったが、グラスの中身は半分ほど姿を消した。グラスを置いて、美鈴は笑う。
 「忘れたかった、のかな。あぁ、父さんも母さんも研究一筋で、なんで子供なんか作ったのか本気で分からないような人だった。そんな人らでも、私にとっては、親だったんだなぁ」
 将盆が、店のドアにかかっていた看板をひっくり返した。『OPEN』の文字がこちらを向いて、軒先の照明も消える。
 戻ってきた将盆が葉巻を咥えてから、美鈴も2本目の煙草を吸い始めた。
 「科学を志した私に、おじさんはよく言いましたよね。『さすがは姉さんの子供だ』って。あの言葉、嬉しかったんですよ。だから、科学で誰よりも飛びぬけてやろうって思えたんです。母さんと父さんのようになって、2人を近くに感じたかったから」
 「……美鈴ちゃんは、もう十分追いついたよ。姉さんにも義兄さんにも負けない、それ以上の素晴らしい科学者だ」
 「ありがとうございます。あぁ、でも違うんですよ。私は確かに、自分でもそうだと分かるほど科学者として成長した。もう、両親を遥かに超えていると思う。でも、私は2人にはなれなかったんだ」
 「人は、親や師の志を継ぐことはできる。でも、その人にそっくりなることはできない」
 「えぇ、分かっています。だから、これはちょっとした駄々だと思ってください。私は今の自分に納得しているし、これからも成長するために努力を惜しむつもりもありません。
 ただ……なぜリンとレンがVOCALOIDとして歩き出した時に、両親が亡くなった時と同じ気持ちを感じたのか。私は、あの感じは嫌いだったのに」
 灰皿に煙草を押し付けて、美鈴はカクテルを飲み干した。残ったチェリーの房を持ち上げ、切れてしまわないように気をつけながら、眺める。
 「そう、まるであの子達が……どこか遠くへ旅立ってしまうようで。私も望んだ道でありながら、リン達がVOCALOIDになってしまうことが……」
 「寂しい?」
 言葉に詰まっていると、将盆が付け足してくれた。グラスを下げずに、新しいベル・オブ・ベルを作って、美鈴の前に置く。
 チェリーを元のグラスに戻し、2つの熟した鈴が沈んだ新しいグラスを、美鈴は愛しげに眺めた。
 「あぁ、そうですね。きっと寂しいんでしょう。あの子が成長してしまったことが。レンがリンの手を引いて行ってしまうことが、とても寂しいんだと思います。あまりにも久々すぎて、すっかり忘れていましたよ」
 「だが、思い出せた。リンちゃんのおかげだね」
 「えぇ」
 葉巻の煙は、美鈴の煙草よりも濃厚な白さをもって、換気扇に吸い込まれていく。それを何気なく見上げながら、
 「リンは、いい子ですよね」
 「うん、とても。私もこの年で、リンちゃんに心の複雑さを再確認させられた。優しく、暖かい。とてもいい子だ」
 「あぁ、そうなんです。私も、人と人の触れ合い方をあの子に教わりました。……アンドロイドであるリンが、人のあり方を私に教えてくれたんです
 リンは言ってくれた。私のために歌いたいと。私を笑顔にする為に、歌うと。……成長しましたね、あの子」
 重い溜息。我ながら自分らしくないと思うが、美鈴は酒に酔っているのだと自分に言い聞かせることで無理矢理納得した。
 「何も離れて暮らすわけじゃないんですけどね。これからもリンと同じ部屋で寝るだろうし、一緒にでかけたり風呂に入ったりもする。なのに、なんで寂しいんでしょう?」
 気づけば、将盆の手元にもグラスがあった。氷が浮いているが、きっと水だろう。
 「僕には子供がいない。けれど、なんとなく分かる気はする。きっとそれは……親離れしていく子を見守る親の気持ちなのだと思う」
 「……なるほど」
 言いえて妙だ、と思った。リンの姉であり母である美鈴にとって、彼女がVOCALOIDとして舞台に立つことが、子供の巣立ちと同じなのだ。
 理由は分かった。だが、気持ちが消えることはなかった。嘆息を漏らすと、将盆が言った。
 「リンちゃんの風鈴は、鳴っているかい?」
 「……え?」
 聞き返したが、すぐに意味は分かった。いつかリンに買ってやった風鈴のことだ。彼女は今も律儀に、ベッドのわきにかけている。時々鳴らしては嬉しそうな顔をしているのを見ることがある。
 「大切にしてくれていますよ。時々鳴らして遊んでます」
 「そうかい。宝物なんですと、何度も自慢してきたよ。壊したくないから外に持ち運べないのが玉に瑕だとも言っていた」
 「あの子が……そんなことを」
 思わずにやけてしまった。初めて買ってやったというだけで、決して高級でもないガラス細工だが、そこまで大切にしてくれているとは。
 水を1口、唇を湿らせて、将盆は静かに話を続けた。
 「あの子の鈴は、鳴ることができた。それは、たくさんの人に支えられて、ようやく奏でられた音色だ。これからもリンちゃんは、綺麗な音を響かせるだろうね。彼女の宝物の、風鈴のように」
 「……」
 「でも、あの子はまだ1人だ。レン君という片割れがいてもなお、あの子の鈴は1つだけ。いや、あるいはレン君と2人で、1つの鈴なのか。
 どちらにしても、リンちゃんの奏でる鈴の音は、このままでは寂しすぎる。そう思わないかい?」
 カクテルに沈んだ、寄り添うような2つのチェリーを見つめる。こんな風に、ずっと寄り添えていたら、どんなに幸せだろう。
 いや、ただただ寄り添うだけが、本当に幸せなのだろうか。顔を上げると、将盆が笑っていた。
 「美鈴ちゃん。リンちゃんの鈴になりなさい。今まで彼女が美鈴ちゃんの鈴だったように、今度は君が、リンちゃんの音色を、願いを、受け止めてあげなさい」
 「あの子の鈴に……」
 寄り添うチェリーは、それぞれがお互いを支えあっているようにも見える。だからこそこんなにも美しく愛しく見えるのだろうか。
 俯いた美鈴に、将盆は続けた。
 「あの子が歌いたいと言った、美鈴ちゃんのために歌いたいと思ったこと。それだけではただの願いだ。願いはそれ1つでは、形を変えられない。
 でも、そこに君がいる。美鈴ちゃん、君がリンちゃんの願いを『奇跡』に変える。私は何度も見ているよ。君とリンちゃんが2人で起こしてきてた『奇跡』を。
 リンちゃんが心を持って蘇ったこと。ミクちゃんを初めとするVOCALOID達、そしてルカちゃんが、アンドロイドでありながら心を得られたこと。それら全て、君達2人が起こした奇跡じゃないか。美鈴ちゃんは謙遜しすぎている。僕もその癖があるが、僕よりも遥かに、自分を見なさすぎる。
 ……自信を持ちなさい、美鈴ちゃん。リンちゃんの『鈴』になれるのは、君しかいないんだ。これからもリンちゃんは成長していく。その道を一緒に歩いていく人も、大勢いる。でも、リンちゃんの隣で手を引けるのは、どれだけ時間が経っても、美鈴ちゃん。君しかいないんだ」
 灰皿に置いていた煙草が、燃え尽きた。それを合図に、美鈴の胸中に灯火がつく。心の波は穏やかに、もはや孤独感を届けることはなかった。
 「年老いた、先の短いこの僕を、リンちゃんは友人だと言ってくれた。そんな優しい小さな友人の願いを叶えてあげたい。でも、それは僕にはできない」
 将盆が、頭を下げた。
 「だからどうか、お願いします。リンちゃんの『鈴』となって、彼女の音色をより美しくするために、共に響いてあげてください。
 どうか、あの子の、あの子達の歌を、共に奏でてやってください」
 「おじさん……」
 叔父が自分に頼みごとをすることはあったが、こんなにも真剣に言われたことは初めてだった。しかし美鈴は、笑う。言われるまでもない、と。
 ベル・オブ・ベルを飲み干して、美鈴は立ち上がった。
 「ごちそうさま」
 「……今から帰るのかい? 電車もないし、泊まっていきなさい」
 心配する言葉に、美鈴は肩をすくめた。
 「なんだか体が熱いんですよ。酔いを醒ましながらのんびり帰ります。護身用のアレコレも持ってますから、安心してください」
 言うと、将盆も諦めたように微苦笑を浮かべた。店の扉に手をかける。
 「考えなければいけないこともたくさんあります。リンの舞台は最高のものにしたいから」
 「……そうかい。気をつけるんだよ」
 無理に引き止めず見送ってくれる将盆に、美鈴は軽く頭を下げた。
 「それじゃ。おやすみなさい」
 「おやすみ、美鈴ちゃん」
 扉のベルが音を立てた。夜の冷たい空気が頬を撫でる。その背に、将盆の声が届いた。
 「……いい夜を」
 バーボンハウスの扉が閉まりきる前に、美鈴は歩き出した。




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