ココロ~another future~

トラボルタ氏の楽曲『ココロ』を基にした小説を公開しています。

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第14話 路傍の花は空を知る 

ココロ~another future~

 今日のカイトは、いつもとどこか違う。センタードームにある大型ステージの上手で、メイコは眉を寄せた。
 何かが悪いわけではない。むしろ調子が良さそうだし、何か吹っ切れたような表情を浮かべているようにも見える。つまるところ、問題は何もないのだ。
 (まぁ……辛気臭い顔で歌われるより、ずっといいんだけどね)
 あの青年には悩み癖がある。まだ心を得て日が浅いというのに、この先もそんな暗い顔をするつもりなのか、と何度も思った。もっともリンに言わせれば、心の世界で会ったメイコも似たようなものだったらしいが。
 それにしても、新曲のバラードを爽やかにかつ儚げに歌い上げる今のカイトは、なんとも清清しそうな顔をしている。こう言っては失礼だとは思うが、実に彼らしくない。
 もしかしたら、彼の悩みが解決されたということなのだろうか? 彼が何に悩んでいたのかは知らないし、正直興味もないのだが、それならそれでいいかとメイコは胸中で頷いた。
 (まぁ、あいつはまだいいのよ。コレに比べたら)
 盗み見るようにこっそりと、隣に立つ美女へ視線を移す。横一文字に結んだ口元から嫌でも不機嫌さが伝わってきて、メイコは溜息を通り越して舌打ちしそうになった。
 「あんたねぇ。せっかく舞台袖にこれたんだから、もうちょっとこう、あるでしょ」
 「私は頼んでいないもの」
 桃色の髪を掻き揚げて、短く吐き捨てた。ルカである。少しでもVOCALOIDとして歌うことに興味を持ってもらおうと、美鈴とカイトが呼んだのである。連れてきたのはヤンだが、彼と道中で別れてから、この女は一度も笑顔を浮かべていない。
 「ほんっと、可愛くないわ。ヤンもよくあんたみたいな無愛想に惚れたもんね」
 「あなたには、私達の絆は永遠に分からないと思うわ。理解してもらおうとも思わないけれど」
 「……あー殴りたい。顔面にしこたまパンチをプレゼントしたいわ」
 心底本音だったが、アンドロイドである彼女は、アンドロイドも含めた他人を殺傷する能力は持ち合わせていない。自己防衛プログラムはあるものの、それはボディに一定のダメージを負うか、特定の危険を察知した場合にのみ起動するプログラムであり、彼女らの意思で発動することはない。アンドロイドは自分の意思で人を殴ることができないのだ。
 だからこそ、アンドロイド同士の喧嘩は舌戦となる。もっとも、ロボットである彼女らが喧嘩をするなど、最近まで誰も予想はしなかっただろうが。
 「第一、歌で人を励ますなんてことは、アンドロイドじゃなくてもできるじゃないの。同じ人間であっても、歌の上手な人はいるでしょう」
 「その人たちすらも病んでしまう時代なのよ。だからこそ、私達VOCALOIDが必要とされたの」
 「抱き人形である私達もね。でも、今はどう? 人々は徐々に癒されてきている。歌を志す人々もいる。あなた達は、それでも歌う必要があるのかしら? VOCALOIDは、本当に必要とされているの?」
 あからさまな挑発だった。堪えようかとも思ったが、自然と眉が寄る。不快感よりも純粋な怒りが、胸を満たしていく。
 必要とされなかったアンドロイドであるルカに、必要とされるべく産まれたアンドロイドの誇りは、理解できないのかもしれない。笑顔売り――SMILOID(スマイロイド)――や、KAMALOID、その他の作業用アンドロイド、そのどこにも属さぬ彼女には。
 だからこそ、メイコは引くわけにはいかなかった。
 「……その理屈で言ったら、SMILOIDやKAMALOIDも必要じゃなくなっていくわね。作業用アンドロイドも、人の手でできる仕事を手伝う理由はなくなる。
 まして、元ジャンクの恋人ごっこしかできない人真似アンドロイドなんて、存在理由が分からない」
 「……なんですって?」
 ルカの瞳に、それと分かるほどの怒りが灯った。してやったり、とメイコは唇の端を持ち上げる。
 「私達は今も必要とされているわ。このドームにファンが訪れてくれていることが、その何よりの証拠じゃない。彼らが私達の歌を求めている。だから、私もカイトもミクも歌う。歌うことが楽しいし、ファンの笑顔が何よりの対価。
 他のアンドロイドもきっとそうね。SMILOIDは必要とされるから笑うし、KAMALOIDは求められるから温もりを与える。なぜか? それが役割で、私達のあるべき理由、姿だからなのよ。返ってくる笑顔が、彼らにとっての報酬ね。
 それで、ルカ。あんたは誰に何を与えているのかしら? もらっているだけの物と同等の対価を、あんたは返せているの?」
 噛み付くような形相で反論しかけたルカだったが、しばし口をパクパクさせたあと、瞳から怒りが消えていった。
 価値のない、壊れたアンドロイドだった自分を拾い、愛してくれたヤンとの日々を思い返しているのだろう。そしてメイコの言うとおり、彼女はヤンに何も与えられていないのだろう。
 無理もない話なのだ。彼女が心を得たのは昨日の今日で、今これから何をしてあげられるかを考えていけばいいのだから。それを知っている上で、メイコは煽った。彼女とヤン、2人の絆の強さを知っているからこそ、である。
 (喧嘩に手段は選ばないってね。ま、ちょーっとやりすぎたかしら)
 どんどん下を向いていくルカに、メイコはこっそり舌を出してから、
 「……ヤンがあんたに望んでいるのは、VOCALOIDになるってことだけじゃないわ。
 あいつがあんたにしつこくVOCALOIDを勧めているのはね、私達や美鈴やリンを、もっと身近に感じてほしいからなのよ。
 私達はもちろん、美鈴もオサムもリンも、……そしてヤンも、歌に特別な絆を感じてるわけよ。あんたの恋人は、その絆にあんたも加えたいだけ。気づいてないわけじゃないでしょうに」
 「……」
 「それでもVOCALOIDを拒むってなら、私はもうあんたを諦めるわ。歌が嫌いってのを罪だと言う気はないし、それなら私達は縁が無かったってだけだしね。ヤンだって、この話を蹴ったくらいじゃあんたを嫌いになったりしないでしょうし。
 どうせあんたがVOCALOIDになるって話は、しばらく延期になったんだしね」
 「え?」
 予想外の言葉に、ルカが顔を上げた。その表情に、嫌な予感を抱いていることが感じ取れた。その予感がずばり的中しており、メイコとしては楽しいような申し訳ないような、複雑な気持ちになった。
 「私の可愛い妹分が、VOCALOIDになるみたいよ。誰かさんのとばっちりをもらってね」
 「……リンのこと? そんな、冗談でしょ!?」
 カイトの歌が終わり、伴奏がフェードアウトしていく。それと反比例するかのように叫んだルカを、メイコは唇に人差し指を当てて制した。
 「静かにしなさいよ、声が漏れたらステージが台無しじゃない。
 ……冗談なんかじゃないわ、美鈴は本気みたいよ。まだあの子には話してないみたいだけど、仕事は仕事だからね。ルカを説得できなかったのは自分のミスだから、会長やスタッフには迷惑をかけられないって言ってたわ」
 「だからって、リンなの? あの子は関係ないじゃない!」
 「そんなことないわ。VOCALOIDと深く関わってきてるし、何よりリンは、アンドロイドなのよ。生まれも育ちも関係ない、秋山美鈴のアンドロイドである以上、相応の役割は果たさなければいけない。あの子ももう、知らない分からないじゃ済まされない立場にあるの」
 「そんな、勝手すぎるわ! 私もリンも、元は歌うアンドロイドじゃなかった。こなすべき役割が、リンにもきっとあったはずよ。なのに、人間の勝手で役割を変えられるなんて、あんまりじゃないの! 私達には心があるのよ!?」
 「だからこそ、私達は答えなきゃいけないんじゃないの。あの子だって、それくらい分かっているはずよ。心をくれた美鈴達は、私達アンドロイドよりもずっと先に死ぬ。その前に、心と同等のものを、それができなければより近い何かを、私もリンも返さなければいけないわ」
 ルカがかぶりを振る。
 「おかしいわ、そんなの。欲しくて与えられたわけじゃないのに、その対価を払えだなんて」
 「あら、そう。あんたはいらないのね、『KOKORO』」
 「……それは、その」
 淡々としていて、機嫌が悪くなることもなく、ただただプログラム通りに日々を送る。そんな昔のように戻りたいかと聞かれたら、メイコなら唾を吐きつけるだろう。ルカだって、同じ心境のはずだ。
 文字通り、心から愛せたのだから。手放したくなどないはずだ。例え望んで与えられたわけでなくとも、人の形と心を、そこから始まる繋がりを、ルカが捨てられるわけがなかった。
 「その対価を、美鈴はVOCALOIDになるって形として欲しがっている。ルカの言うとおり、それはある種の押し付けだから、あんたがそれに答えなくても、誰もあんたを責めやしないと思うけどね。あ、私以外だけど」
 「……リンだって……嫌がるわ……」
 「渋るわよねぇ。私もそう思うわ。あの子にVOCALOIDになりたいかって聞いたら、絶対NOって言うからね。でも、最後には頷くわよ。誰よりも家族と絆を大切に思っているからね、リンは」
 歌も歌えるみたいだし、と付け加えて、うな垂れたルカに肩をすくめて見せる。
 「別にあんたのせいってわけじゃないわよ。遅かれ早かれ、たぶんあの子は歌うことになってたと思うしねぇ。
 でも、これだけは知っておきなさいよ。あんたも、与えられた役割を演じていればいいわけじゃないの。心があるなら、なおさらよ。リンがクリプトン博士の死後数百年の時を経て、美鈴の家族になったようにね。それができないなら、ルカ」
 「……」
 「あんたはジャンクのまんま、何も変わっていないわ。『ヤンの恋人』である自分を演じているだけの、壊れたアンドロイドよ」
 「くっ……!」
 反論できず、ルカが下唇を噛んだ。苦虫を噛み潰したかのようなその顔を見ながらも、メイコは続ける。ここまできたのだから、トドメも刺してしまおうという魂胆である。
 「与えられたものを受け取るだけで満足してるようじゃ、誰かを愛してるなんて戯言、口にするだけでもおこがましいわ」
 「……人を愛したことのないあなたに、そんなことを言われる筋合いはない!」
 ルカが、咆えた。スタッフも含めたこの場の者が、皆一斉にこちらを向く。彼女が人間であったなら、今頃メイコは殴られていたに違いない。猛獣のように牙を剥いている。
 「私は、私は……! あの人の傍にいようと決めたのよ!! そう、それが私のするべきことだと思ったから! 私の選んだ道だから!」
 「あら、ずいぶんとまぁ自分本位に考えられるのねぇ。私にはヤンがあんたの傍にいようとしてるようにしか見えないわ。あんたはいっつもフラフラフラフラ、まるで主人と従者みたい」
 「メイコ……! あなたって人は、よくも――」
 なおも怒りを吐き出そうとしたルカが、言葉を止めた。怪訝に思った直後、メイコの頭に手が置かれる。
 「カイト……」
 「僕のコンサート、邪魔しにきたわけじゃないよね?」
 振り向いた先にいた兄弟は、それはそれは呆れた表情を浮かべていた。まるで妹達の喧嘩を止めに入った兄のような、そんな顔である。
 思えば、ライブの音は止まっていた。観客席からはざわめきも起こっている。
 「げ、まさか」
 メイコが苦い顔をした。意味が分からずカイトとこちらを交互に見ているルカに、カイトが溜息混じりに言う。
 「2人の声が、会場に漏れたんだ。サブマイクのスイッチでも入ったみたいだね」
 「まじで……? あっちゃー」
 額に手をやったメイコは、反省はしているが大した問題じゃない、とでも言いたげである。対照的にルカは、彼女が人であったなら顔面蒼白もいいところだろうという、絶望的な表情になっている。それほど、VOCALOIDのコンサートには価値があると理解している証拠だろう。
 スタッフ一同があわただしくなった。この状況をどう説明しようか、ライブの続行は可能なのか、なぜマイクが彼女達の声を拾ったのか、そんな話題が怒号となって飛び交っている。
 「ど、どうしたら……! 私はそんなつもりじゃ……」
 あわあわと、ルカが涙を目に溜める。先ほどの喧嘩の余韻か、感情が高ぶりやすくなっているのだろう。しばらく観察してからかう種にしたいと思ったが、カイトのじっとりとした視線がこちらを突き刺していた。
 「メイコ、僕の言いたいことは分かるよね」
 「……えー、めーちゃん分かんなーい」
 頬を膨らませ、両手の人差し指を当ててとぼけてみるも、兄弟からの視線はただただ冷たいばかりだ。溜息をついたところで、会場の客席から声が聞こえてきた。
 「メイコちゃーん! 喧嘩すんなよー!」
 どっ、と客席が笑いに包まれる。サクラというわけではなさそうで、メイコへの冗談混じりの声がどんどん聞こえてくる。やれ手加減してやれだの、やれ相手が泣いちゃうだの、好き放題言われているようだ。メイコの印象は、まず喧嘩で負けないタイプらしい。彼女自身、誰にも負けるつもりはないのだが。
 しばらくそれを上手で聞いていたが、収拾をつけられるのは自分しかいないようなので、メイコは肩をすくめて、手短なスタッフを捕まえる。
 「ちょっとあんた」
 「なに!? 今君のおかげでとても忙しいんだよ!」
 「私の歌、流して。適当に熱いの」
 「……なんだって?」
 カイトからマイクをふんだくる。事情を察したらしいスタッフが、音響のもとへと走っていった。
 ファンが呼んでいる。それだけでメイコは気合十分、何曲でも歌ってやれる気持ちになっていく。その肩を、カイトが叩く。
 「ちゃんと謝るんだよ、みんなに」
 「分かってるって。ついでにあんたの歌でしっとりした心に火をつけてくるわ」
 「お手柔らかにね、この後僕も歌うんだから」
 「そんなの知らないわ。熱くなるかどうかはあいつら次第よ」
 苦笑を浮かべるカイトへウィンクして、メイコは舞台へと走る。その背後から、ルカへと語る兄弟の声が耳に届いた。
 「ルカ、しっかり見ておいてくれ。メイコのステージを。聞いておいてくれ。僕ら『VOCALOID』の、誇りを。同族の君には特に、知っていてほしいから」
 「……」
 ステージライトが眩しい。光が熱い。それだけで、心が躍った。客席へと思いっきり手を振る。歓声が起こる。
 『カイトの歌を邪魔してごめんね! お詫びに飛びっきり熱いのを上げるよ! さぁ、弾けるくらいノっていっちゃって!』
 客席、総立ち。まだ伴奏だというのに、つい少し前までカイトのバラードライブだったことを忘れるほど、客席の熱気は最高潮になっていった。
 『たっぷり受け取りなさい! 私の、私達の魂を!!』




 なにやら、ステージのほうでアクシデントがあったらしい。メイコとカイトの機転で問題は片付いたらしいが、正直そんなものは、今の美鈴にとってどうでもいいことだった。
 センタードーム地下にある、VOCALOIDのメンテナンスルーム。作業用の椅子を2つ拝借し、1つは自分が、もう1つは淡々とストローでオレンジジュースを吸い上げている少女が座っている。
 「あぁ、なぁリン、その」
 「もう知りません」
 「そんな怒るな、悪い話じゃないだろう」
 「知りません。相談も無しに決めるなんて信じられません。最低です。最悪です。いくら美鈴さんでも、さすがに許せません」
 「う……」
 すさまじい猛攻だが、今回の一軒はどう見積もっても美鈴に非がある。リンが不機嫌になるのも致し方ないことだ。
 ルカを説得できるアンドロイドは、もはやリンとレンしかいないと踏んだ美鈴は、彼女らにVOCALOIDとなってもらおうと考えた。なるべくしてなったVOCALOIDではなく、自分の意思でVOCALOIDを選んだアンドロイドがいれば、ルカの心も動くかもしれないからだ。ここまではいい。
 問題なのは、ここからだ。なぜそんな軽率な行動をとったのか自分でも分からないが、リンに話すより先にビリー会長に話を通してしまったのだ。しかも、OKが出てしまった。しかも、ルカのデビュー期限である10日後までにという条件付きである。
 そして、リンの反応はこの通り。当然の結果だ。これでは、ルカを説得したほうが早い気がしてくる。
 「なぁリン。あぁ、VOCALOIDになるのは、やっぱり君も嫌か?」
 「そこが嫌ってわけじゃないです。ミクちゃんたちには憧れてますし、自分もそうなったらすごいなーくらいには思ったこともありますよ」
 「……! じゃあ」
 「だからって相談もしないで好き勝手に話を進められたらさすがに面白くないです私だって人間じゃないけど心があるんです玩具じゃないんですそれとも美鈴さんはやっぱり私を道具としか見てないんですかだったらもうクリプトン博士の研究所に帰ります」
 息継ぎ無しで、美鈴を攻め立てる。もっとも、リンはアンドロイドなのだから、本来呼吸をしなくては生きていけないわけではない。話を聞き取りやすいように区切ってくれているだけで、こうも一方的に喋り続けるのは、ただの嫌がらせだ。
 「……悪かったよ、ごめんな、リン」
 「むぅ。そんな頭下げられたって、今回は許せません」
 深く反省はしている。どうあっても許されないようなことをしてしまったのだとも、理解している。だがそれでも、引けない部分があった。
 「分かっているさ、私が一方的に悪かった。けれど……これだけは、知っておいてくれないか。私が君をVOCALOIDに推した理由だ」
 「……いいですよ。聞いてあげます」
 「あぁ、ありがとう。私はね、何もルカを説得する材料としてリンをVOCALOIDにしようとしたわけじゃないんだ。もちろんそれも理由にある。けれど、それ以上に……。私は、君を特別だと思っている」
 黙ったまま、リンはじっとこちらを見つめている。不機嫌さは滲み出ているが、それでも真剣に話を聞いてくれる少女を、美鈴はとても愛しく感じた。研究馬鹿の美鈴に家族を愛するこの感情を与えてくれたリンは、やはり他の誰よりも大切だ。
 「君は『KOKORO』を持つ初めてのアンドロイドだ。そしてそれ以上に、沢山の『奇跡』を包み込んでいる存在だ。あぁ、機嫌取りなんかじゃない。聞いてくれ。
 ――そう、君は奇跡的な存在だ。リンのアンドロイドとしての性能もそうだが、それ以上に……。あぁ、説明しにくいな。なんと言えばいいのか」
 「うぅ、そんなべた褒めされると、恥ずかしくなります」
 赤面するリン。感情で顔色が変化するのもまた彼女独特だ。彼女は真っ赤な顔のまま、上目遣いでこちらを観察してきた。
 「……やっぱり、ご機嫌取りなんじゃないですか? 口車には乗せられませんよ」
 「あぁ、そうじゃないんだ。私の本音なんだよ、これは。大切な話だ」
 「……続き、どうぞ」
 俯いたまま促されて、美鈴も仕切りなおしのために咳払いを1つ、姿勢を正した。
 「君は沢山の存在に影響を与えている。VOCALOIDや、そうでないアンドロイド。君の中に眠っていたもう1つのアンドロイドシステムにも。そして……私達人間にも。
 あぁ、私も凄まじい影響を受けたな。何より社交的になったものだと、自分でも実感しているよ」
 「社交的ぃ? 美鈴さんがですか?」
 尋常じゃない疑いの視線に、美鈴は思わず食って掛かる。
 「なんだ、文句でもあるのか?」
 「文句はないですけど、口も目つきも態度も悪い美鈴さんが社交的ってのは、どこをどう引っくり返しても絶対にあり得ない気がして。できれば一度自分自身を冷静に見直したほうがいいですよ。きっと二度と社交的な自分を想像できなくなりますから」
 いつものさらっと毒を吐く癖かと思ったが、いつもより確実に口が悪い。わざとやっているのかとも思ったが、詮索すると論点がずれそうだ。
 「……いい。今は見逃してやる」
 ゆっくりと息を吐き出し、ついでに言い返したかった言葉も押し出す。ともかく、と美鈴は続けた。
 「君が人々に影響を与えているのは事実なんだ。立川もヤンも、君と出会って変わった。……思えば、あいつらが君を拾わなければ、今頃は皆、バラバラだったんだな」
 「そうですね……。でも、人の繋がりってそういうものなんじゃないでしょうか」
 「あぁ、その通りだ。それでも、君が届けてくれたものは出会いよりも大きいものなんだ。私達人間に、心の大切さを再確認させてくれたのだからね」
 「……」
 「私は家族の暖かさを知った。立川は絆を、ヤンは愛を、マリア嬢は友情を、それぞれ強く心に刻むことができた。それらを人に届けられるアンドロイドは、リン、君だけだ」
 恥ずかしげに、リンが膨れ面をする。ここまで真剣に褒めたことは無かったし、彼女もまた、初めてのことなのかもしれない。
 「買いかぶりすぎですよ……そんなの」
 「そんなことはない。ミク達じゃだめなんだ。彼女達は歌で人を癒すことはできても、心そのものを変えることはできないんだ」
 「どうして? みんなの歌はすごいのに」
 「彼らは、孤独を知らない」
 きょとん、とリンの瞳がこちらを見つめている。美鈴は1つ頷き、
 「あの子たちは、独りを知らないんだよ。アンドロイドとしてこの世に生まれてまだ短いが、彼らは常に誰かと共にあった。私や、センタードームのスタッフだったりね。
 皆に悩みがないとは言わないさ。カイトなんて、確実に何かを隠しているしな。だが、人々が抱える孤独感を癒せても、取り除く術を知らない。それだけの力を得る為の経験を、あの子達はしていない」 「それは、私だって同じですよ。そんな大層なこと……」
 「あぁ、重荷に感じたならすまない。君はそれらを、自然にやってのけてしまうんだ。皆が君を奇跡と呼ぶ最たる理由がそれさ。
 云百年の孤独を経験した君と、君の中のレンにしか、人々の持つ孤独を取り去ることはできない」
 「確かに、私とレンはずっと独りぼっちでした。それはとても寂しかったし、沢山の人が同じ気持ちでいて、それを私達が解決できるなら、そうするべきだと思います。
 でも……それはアンドロイドである私達がやるべきなの? 同じ人間じゃ、だめなんですか?」
 「だめだ」
 きっぱりと言い切った。それだけの理由が、美鈴にはある。たとえ真理でなくとも、自分自身の思い込みだとしても、それすら実現してしまえるのが、リンだ。
 「他のアンドロイドでもダメなんだ。ルカも君達に近いが、彼女は君達じゃできないことができる。愛を知るアンドロイドは、今のところ彼女だけだからね。
 あぁ、君達しかできない理由、これは……少し辛い話になるかもしれない。聞いてくれるかい?」
 リンが頷く。ここまで話をされて、聞かないわけにもいかないのだろう。その顔には、照れと不安が浮かんでいる。先ほどまでの怒りは、もう冷めたようだ。
 「君とレンは……たった2つだけの存在だ。Dr.クリプトンに作られた、他に同士のいない、たった2人だけの、クリプトンの子供なんだ。あぁ、これは君達を仲間はずれにしようとか、そういう発言じゃないぞ」
 「……うん、美鈴さんの言いたいこと、分かりますよ」
 「ありがとう、続けよう。……君達2人は、クリプトン博士に作られた唯一の存在にして、心を届けられる唯一の存在でもある。ルカの一件で、『KOKORO』を持つアンドロイドならその他のアンドロイドに干渉可能だということは分かったが、問題はそこじゃない。
 私は、こう考えている。君の声や仕草、その全てが人の心に干渉していると。アンドロイドだけではなく、全ての『ココロ』に、君はアクセスしている」
 「んえぇっ」
 突然飛躍した話に、リンがおかしな声を上げた。思わず噴き出して、美鈴は笑いながらリンの頭を撫でてやる。
 「あぁ、驚いただろう。これはきっと、Dr.クリプトンも想像していなかっただろうと思う。自分の作ったプログラムが、人の心を変えるかもしれないなどと、思いもしなかっただろうよ。
 だが、実際にそうなっているんだ。これは会長から聞いた話だが、マリア嬢は人当たりはいいが、他人を見下す癖があったらしい」
 「マリーがですか? そんなこと一回もありませんよ」
 少しむくれて、リンが反論してきた。親友を悪く言われたように聞こえたのだろう。美鈴は首を横に振った。
 「君と会う前の話だ。学校の友達を、成績や家の裕福さで見下していたらしい。それで何度も喧嘩になっていたそうだ。リンと友達になってから、彼女は変わったそうだよ。それこそ天使のようになったと、会長は喜んでいた。
 立川も相変わらずに見えるが、ずいぶんと棘がなくなったしな。皆、君と出会ってから変わったんだ。君がそう思おうと思うまいと、人の心を変える力が君にはある。そして、レンにもきっと」
 「……私達に……心を変える力が……」
 胸に手を当てて、リンが目を閉じる。レンに問いかけているのか、それとも自問しているのか。美鈴には分からなかったが、彼女の口元に浮かんだ微笑みは見逃さなかった。
 顔を上げたリンは、相変わらずのひまわりのような笑顔だった。
 「やっぱり、私にそんな力はないですよ」
 「っ……。そう、か……」
 この笑顔は、拒絶なのか。心底落胆し、美鈴はがっくりと肩を落としそうになる。ケラケラと、リンが笑った。
 「だって、私はただのアンドロイドです。心を手に入れてから、なんだかドジになっちゃったし。VOCALOIDになったって、失敗ばっかに決まってます。心を変えるなんて、そんな大げさなことはできるわけがありません。……でも、美鈴さん」
 「……?」
 我ながら生気が宿っていないだろうと思う目をリンへと向ける。彼女は相変わらずの笑顔で、はっきりと、言い切った。
 「私、なります。VOCALOID、やりますよ」
 聞き間違いなどではない。リンは、確かに言った。『VOCALOIDになる』、と。思わず、美鈴は狼狽した。
 「! いや、しかし……いいのか? 嫌なら無理強いは……」
 「やるんです。レンもやるって言ってます。大好きな人が、私に大きな期待をしてくれてるんだもん。心を変えるとか、分からないけど、歌います。
 私が歌うことで誰かを笑顔にできるなら……。美鈴さんが笑ってくれるなら、私、がんばりますよ!」
 知らず、リンを抱きしめていた。腕の中で、少女がもがく。構わず、腕に力を込めた。
 「ありがとう、リン! ありがとう……」
 「美鈴しゃ、ちょっと!」
 「いつもいつも……勝手なお願いばかりですまない。何もしてやれないのに、君にばかり辛い思いをさせて……ごめんな。ありがとう」
 自分の頬を、水滴が伝った。自分は泣いているんだなと理解するまで、少しだけ時間がいった。今はただ、リンの温もりだけを感じていたい。
 「……何もしてないなんて、嘘です。美鈴さんは、私にたくさんのものをくれましたよ。独りだった私の家族になってくれたじゃないですか。友達を作れたのも、お姉ちゃんやお兄ちゃんができたのも……美鈴さんのおかげです。恩返しできてないのは、私のほうです」
 「そんなことはない。私はいつも、与えられてばかりだ」
 力を緩めると、抜け出たリンは頬を赤くして、クスクスと笑った。
 「お互い様なんですね。きっとこれからも、お互い様ですよ」
 「……そうだな。あぁ、その通りだ」
 笑い返して、美鈴はリンの頭を撫でた。気持ち良さそうに目を細める少女を、愛しげに見つめる。そして、やはり彼女は心を変える奇跡を持っていることを、確信した。
 「よし、さっそくトラボルタに連絡しよう。いい歌を作ってくれるぞ。後は、あぁそうだ。衣装だな。2人分の衣装か、用意しなければな」
 「ちょっと、張り切りすぎですよ。あと、服はこのままでいいです。これがいいんです。初めて美鈴さんにもらったものなんですから」
 リンが摘まんで示したのは、彼女のお気に入りである黄色いノースリーブのセーラー服だ。似たような男の子用の服をレン用として、すでに注文してある。
 愛娘の入学式のような気分だった美鈴は、本当はもっと華のある服をと思っていたのだが、今回はぐっと堪えて頷いた。
 「分かった。今回は譲ろう」
 「やった! ありがとう、美鈴さん!」
 抱きついてきた少女を、優しく受け止めた。
 VOCALOID、リン、レン。これから彼女達が起こすだろう数々の奇跡を最も近くで見れることを、美鈴は心から感謝するのだった。




 「なななななななな……! なぁんですってぇぇぇぇぇっ!?」
 マリーは絶叫した。それはもう、文字通り、他に形容しようが無いくらいの絶叫だった。隣に座っていたトラボルタが、耳を塞いでいる。
 「先生、それは本当ですの? 真実ですの!?」
 「あ、あぁ。さっき秋山さんから連絡があってね。それはもう嬉しそうに、リンちゃんがVOCALOIDとしてデビューするから、いい歌を作ってくれって言われたよ」
 信じられないのか、マリーは授業中だったピアノを放棄して、あわあわと手をあちらこちらに動かした。彼女にピアノを教える家庭教師も兼ねているトラボルタが、笑みをこぼす。
 「マリアの気持ちも分かるよ。VOCALOIDにはならないと言っていたリンちゃんが、だしね。何より、マリアにとっては親友なんだし」
 「そう、それが一番びっくりですわ。VOCALOIDのお友達なんて、あぁでもミク達もそうですわ。……いやというより、やっぱりリンがVOCALOIDっていうのが、なんていうか……なんなんでしょう!」
 「僕に聞かれてもね……」
 苦笑いを浮かべるトラボルタだったが、マリーの言いたいことは理解してくれているようだ。
 「リンちゃんがVOCALOIDか……。うーん、予想外の結果だな。どんな歌を作ろう?」
 「そうですわねー。リンの歌、想像しやすいような、難しいような……」
 「単純なようで深いからね、彼女は」
 「うーん」
 2人して唸っていると、マリーの部屋の扉が開いた。現れたのは30代半ば程の、美しい女性だった。空いている手にトレーを持っていて、そこには3つ、ココアが乗っている。
 「マリア、ココアが入ったわよ」
 「あら、お母様」
 トレーをテーブルに置くと(マリーの部屋は美鈴とリンの寝室の倍以上の広さである)、マリーの母親――シーナ・ラダビノードは、2人を手招きした。素直に従って、トラボルタと共にテーブルへ向かう。
 誰よりも先にココアへ手をつけたシーナは、ニコニコと笑いながら、
 「マリアは、なんで叫んでいたの?」
 「あら、聞こえていましたの? 恥ずかしいですわ」
 頬に手を当てて照れるが、それだけの大音声だったのだ。下手をしたら、屋敷中に響き渡っていたかもしれない。
 「実は、リンがVOCALOIDになるんですの」
 「あらぁ、リンちゃんが? ……といっても、以前泊まりに来た時の一度だけしか会ったことがないのだけれど。とても可愛くていい子だったってことは覚えているわ。あの子がVOCALOIDになるのは、そんなに大変なことなのかしら」
 ニコニコと――シーナはいつも笑っている。怒っている時もだ――聞いてきたので、マリーはそれはもう、と頷いた。
 「大変ですわよ。リンはドジでおっちょこちょいで、正直アンドロイドだってことを忘れるくらいぽけーっとしてますし」
 「マリア、あんまりお友達を悪く言うんじゃないですよ」
 「……ごめんなさい。ええと、どう説明したらいいのかしら。ともかくリンは、人前で目立ちたがる性格じゃないんですの。今までだって何回も『VOCALOIDにはならない』って断言してましたのに」
 「彼女の中で、何か大きな変化があったということなんだろうね」
 「あらあら」
 分かっているのかいないのか、シーナはウフフと笑って、ココアを一口飲んだ。マリーは慣れたものだが、本当にマイペースな母である。
 茶菓子のクッキーをつまみながら、ふと思い出す。リンより先にVOCALOIDになるべきアンドロイドがいたはずだ。彼女はどうしたのだろうと、トラボルタに訊ねる。
 「ルカさんは、やっぱり頷いてくれませんの?」
 「……彼女は難しいらしい。そのためにもリンの力が必要だと、秋山さんは言っていたよ」
 「リンの力、ですか」
 ココアに口をつけて、マリーは少し考えた。そもそも、ルカがVOCALOIDになることを拒否している理由が曖昧だ。勝手に決められたから腹を立てて駄々をこねている、というわけでもあるまい。
 (恥ずかしいからかしら……。リンも嫌がってましたけれど、でも……)
 聞いた話では、凄まじい剣幕で拒絶したそうだ。そうさせるのは彼女の中にあるVOCALOID像なのか、あるいは他の何かか。
 どちらにせよ、幼いマリーには分からなかった。トラボルタにも理解しかねるらしい。
 と、母が口元に人差し指を当てた。彼女の『秘密の話』の合図だ。大事な話であることが多く、マリーは自然と背筋を伸ばしていた。
 「ビリーから聞いたの、ルカちゃんのこと。元々壊れかけていたアンドロイドを修理して、ついでに心をあげた子だったわね?」
 「そうですわ。ヤンさんの恋人ですの」
 頷く。シーナはやはり微笑んだまま、続けた。
 「そんな子にVOCALOIDになれなんて、私は少し酷いと思っちゃうわぁ」
 「え? なんでですの?」
 「それはだって、ねぇ」
 ごまかすように笑うシーナに、マリーは真っ直ぐ視線を向ける。母のごまかしには、これが一番効果があるのだ。すぐに折れて、苦笑気味に母が言った。
 「どん底の暗闇で這いつくばって生きてきた人にとって、お日様の光は眩しいもの。まして……その光を受けて輝く宝石なんて、直接見るのも辛いでしょうねぇ」
 「……?」
 例え話であるだろうことは理解できたのだが、シーナが言いたいことが見えてこなかった。トラボルタには何か分かったらしく、腕を組んで目を閉じた。母は続ける。
 「路傍の石がダイヤになるためには――幾千万の努力と覚悟がいるの。一昼夜で決断しろだなんて、私にはとても酷に聞こえるわ」
 「ルカさんがダイヤで、え? あれ? お母様、何の話ですの?」
 「マリアには少し難しかったかしらね。大きくなったら分かるわよ」
 「むぅー」
 頬を膨らませてみても、シーナはやはり笑うばかりで、それ以上の説明はしてくれなかった。中々に頑固な母である。追求しても無意味だろう。
 シーナの言ったことを理解したらしいトラボルタが、冷め始めたココアを一口すする。
 「そうか……ルカは、それで。しかし、リンをVOCALOIDにしようとしている秋山さんは、そのことに気づいているのでしょうか」
 「そうねぇ、あの人は頭がいいから、気づいてそうだけれど。……あるいは、だからこそリンちゃんをVOCALOIDにしようとしているのかもしれないわね」
 「……なるほど。花は光の下でこそ、ですか」
 「その通りですわ」
 「花は光の……?」
 会話の意図がまるで見えず、マリーは最後の一口となったココアを飲み干した。明日は学校の友達と遊ぶ約束をしている。どんな話をしようかと考えているうちに、母と講師の会話は耳から消えた。
 VOCALOIDになろうがなるまいが、結局のところ、リンはリンなのだ。親友がいつもどおりでいてくれるなら、別に何になろうが関係ない。幼いマリーの思考は、それを結論として終了するのだった。




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第13話 心の霧 

ココロ~another future~

 心から希望を奪われた人々に光明をもたらすべく作られた、歌を届けるアンドロイド――VOCALOID。彼らには今、例外なく『心』がある。
 彼らが手に入れた『心』は、まさしく人の作り出した奇跡そのものであった。あくまで『人のように』振舞い、歌っていただけにすぎなかった彼らが、いまや1つの人格として、人と接し、歌い、泣き、怒り、そして笑っている。
 彼らはもはや、『ヒト』なのだ。体は作り物で、そこに宿っているものが生物学的な『命』でなくとも。
 そうなってくると――これは秋山美鈴にとって、そうなる前から考えていたことであるが――、彼らには当然、ヒトとして生きる権利、すなわち人権が発生するはずだ。例え世界がそれを認めず、家族とも呼べる彼らVOCALOIDを物扱いしようとも、美鈴はその権利を意地でも守るつもりであった。
 などと深く思考を掘り下げてみても、結局のところは口にも出てこない言い訳である。狭いアパートで対面に座る、桃色の長髪を掻き揚げている美女に、強く出れないでいる美鈴は、同席する者にばれない程度に溜息をついた。
 「なぁ、ルカ」
 「嫌よ」
 華奢な肩に手を乗せ、なだめるように彼女の恋人であるヤンが呼びかけるが、彼女はその先を待たずに即答した。美鈴が連れてきたミクも、なんとか説得を試みてくれている。
 「ルカさん、歌うのって楽しいんですよ」
 「そういう問題じゃないわ」
 ルカが心を得てから、3日。ヤンのアパートで暮らし始めたルカの元に、美鈴は連日訪れていた。理由は簡単で、彼女をVOCALOIDとしてデビューさせるためだ。
 そう、理由もその先にある結果も、しごく簡単なものであるはずだったのだ。彼女が、首を横に振らなければ。
 「自分勝手よ。私はあのままでよかった。ボディだけ直せばよかったのに、心を無理矢理与えたのは美鈴さん、あなたでしょう?」
 「それは、そうだが」
 「なのに、そのお礼として私がVOCALOIDにならなければいけないなんて、おかしくなくて? 私は頼んでいないもの、心をくださいなんて」
 「ルカ、その約束は俺がしたんだよ」
 「私に相談も無しにでしょう? それが気に入らないの。確かに、心はいいものよ。ヤンと過ごせる日々は幸せ。これからこんな日々が続くなんて、天にも昇る気持ちよ。でも、その対価としてあなたの所有するVOCALOIDの一員になるつもりはないわ。 申し出を拒否する権利は、あって然るべきじゃなくって?」
 「所有権……という言い方は好きじゃないが、君の持つ自由意志は尊重するつもりだし、それはVOCALOIDになってからも同じだ。ここから通いで来てくれても構わない。私の所有物になれと言っているわけじゃないんだ。
 それに、ヤンを専属のマネージャーにするつもりだから、いつでも一緒にいられる。悪くない条件だと思うが」
 「そういう問題じゃないわ。不良品の私を拾ってくれたヤンにも、直してくれたあなたにも感謝しているわ。でも、だからといって、あなたとヤンが交わした交換条件に巻き込まれてやる義理なんてないって言ってるのよ。
 もう一度言うわ。私はVOCALOIDにはならない」
 「あぁ、ルカ。君がそんなにVOCALOIDを毛嫌いする理由はなんだ?」
 「……嫌ってるわけじゃないわ。ただ……」
 「ただ?」
 ルカが顔を伏せた。表情は見て取れないが、決して穏やかな心情ではないことを、その場にいる全員が悟る。
 見かねたヤンが、ルカの頭を優しく撫でながら、申し訳なさそうにこちらへと頭を下げた。
 「なぁ美鈴。悪いけど、今日は帰ってくれねぇか」
 「……平行線だしな。仕方ない、気が変わってくれるのを期待しているさ」
 「……無理よ」
 吐き捨てたルカの言葉に、ミクが何かを言おうとした。だが、美鈴が遮る。彼女の『無理』には、何か深い意味がある。美鈴の勘がそう言っていた。
 「ルカ、いい。もういいから、休もう。……美鈴、本当にごめんな」
 「いいや、彼女の言い分も正しいさ。次はもっといい条件を持ってこないとな」
 俯いたまま顔を上げないルカを必死で慰めているヤンに、美鈴は背中を向けてそう告げた。煙草に火をつけて、ヤンの部屋を出る。
 エアフィルターの上にある空は曇っていたが、まだ日は高い時間だ。ポケットにある車のキーをいじりながら、買い物でもしていくかと考えていると、
 「うーん、嫌われちゃってるのかな?」
 前を歩いていたミクが呟いた。腰の後ろで手を組んで、彼女の背中にはどこか寂しげな雰囲気が漂っていた。
 吸い込んだ紫煙を吐き出しながら、美鈴は肩をすくめる。
 「そういうわけじゃないさ。彼女なりの事情があって、VOCALOIDになりたくないと言っているんだろう。ミクや皆が嫌われる理由は、何もないはずだからな」
 「そうだといいんですけど……。VOCALOIDになりたくないって、あそこまで強く言われちゃったら、なんだか寂しいです」
 「VOCALOIDである君からしたら、そうだろうな。開発者である私にとっても、あの反応は正直こたえるよ。
 ……しかし、どうしたものかな。ビリー会長から指定されている納期まで、あと二週間しかない。レンのボディも作ってやらなきゃならないからな」
 いつものエアカーに乗り込んで、エンジンをかける。独特の浮遊感に包まれながら、ミクがシートベルトを締めた。エアカーに限り、シートベルトの着用は条例で定められているわけではないのだが、リンとミクはしっかりとシートベルトをする癖があるようだ。
 「レンのボディは、作るのに時間がかかるんですか?」
 「いいや、立川が作業を始めてくれているから、あと2日もかからんだろう。フェイスも、心の世界で見たレンの顔をリンが詳細に記憶して似顔絵を描いてくれたから、問題ない」
 「似顔絵で、作れるんですか?」
 ミクの質問は、とても真っ当なものに聞こえた。人間の顔をリアルに作り上げるのだから、似顔絵を参考にしても、やはり想像で補う必要が出てくるはずだ。
 しかし、美鈴は笑って答えた。
 「おいおい、リンもアンドロイドだぞ。正面だけでなく、彼女が見たありとあらゆる角度のレンを正確に描写できるんだ。模写するという点においては、リンやアンドロイドの右に出る芸術家はいないだろうよ。もっとも、模写以上の何かを書き出すのが、画家というものらしいがね」
 「じゃあ、私たちが心の世界であったレンが、そのままこっちにくるんですか?」
 「そうなるよう、努力しているよ」
 煙草を車に取り付けてある灰皿にねじ込んで、美鈴は少しずつブレーキを踏み込んだ。信号が停止の赤を表示している。
 なんとなく空を見上げて、美鈴は考えた。ルカがVOCALOIDを拒否する理由だ。あの言いようや態度は、拒絶という表現のほうが近いかもしれない。だが、なぜ?
 察しはついている。だが、予想が当たっていたとして、自分が説得できることではないのかもしれない。自分や、今VOCALOIDとして活躍しているミク達では、ルカは言葉に耳を貸さない可能性が高い。
 (私たちでは、無理か)
 青信号。車を発進させ、運転に集中力を使いながらも、思考を続けた。
 自分やVOCALOIDが説得しても、ルカは耳を貸さない。恐らくそれは、他の家族でも同じことだろう。彼女の恋人たるヤンの言葉すら、拒絶しているのだから。
 緩いカーブを曲がる。スピードが出ているためか、ミクが二つに結った長いアクア色の髪を抑えている。
 (同じアンドロイドであったミクにすら、あれだ。昨日メイコを連れてきた時も、酷かったが……)
 説得2日目、メイコを同伴させた美鈴だったが、今日とほぼ同じ問答が繰り返され、最終的にメイコがルカの胸倉を掴んで、美鈴とヤンはそれを必死に止めたのだ。メイコの直情的な行動も困ったものだが、彼女は必死に歌うことの楽しさや素晴らしさを伝えようとしていた。ルカはクールだが、そこまで冷たい心の持ち主ではない。気持ちは届いているだろうに、なぜ彼女は拒否したのだろうか。
 (メイコもミクも……VOCALOIDだ。私はその開発者で、ヤンはルカをVOCALOIDにするという交換条件を飲んだ。つまり、あの場でした会話で、彼女にとっての味方はいなかったということだな)
 ふと、我に返る。運転はしっかりこなしていたし、道も間違っていない。だが、隣にミクが乗っている。退屈していないかと心配になったが、彼女は流れる景色を楽しんでいるようだ。これがリンだったら文句の1つも言われていただろうが、今日は心配なく思考に没入できるらしい。ありがたいことだと思った。
 車を走らせながら煙草に火をつけ、思考を戻す。彼女にとっての味方。あるいは、そうなりうる存在。つまり――
 (彼女と同じ……VOCALOID以外の用途で生まれたアンドロイド。その存在がVOCALOIDになり、ルカに歌うことを勧めてくれれば、あるいは……)
 「そう、うまくいくか?」
 思わず声に出ていた。ミクがこちらを向いて、首をかしげている。肩をすくめて、
 「いや、なんでもない」
 一瞬きょとんとしていたが、彼女はすぐにまた昼下がりの街を眺め始めた。時折ミクに手を振る者もいて、ミクはそれに笑顔で手を振り返していた。今までにはなかった人とアンドロイドの交流に、目を細める。
 やはり、ルカにも知ってほしい。歌うことで広がる輪があること。歌えない自分も、聞きにきている観客も、まるで一緒に歌っているような気になることを。
 そのためには、やはり。
 (彼女たちしか、いない)
 今まで何度も無理なお願いをしてきたが、今回はその中でも最たるものだろう。だが、可能性があるとしたら、もはや彼女らしか残っていないと美鈴は本気で思うのだ。
 黄色い髪をした、ひまわりのような笑顔がよく似合う、奇跡の少女。その片割れとして、少女の中に生き続けている少年。
 瓜二つの顔立ちで、同胞たちの心を映す、それはまるで鏡のような、2人のアンドロイド。
 「それしかないな」
 「……? 美鈴さん、独り言多いですね。考え事ですか?」
 「ん、あぁ」
 到着した目的地、大きな洋服屋の駐車場に車を止め、キーを抜いてから、美鈴は笑った。
 「ちょっとな。それよりミク」
 「はい」
 シートベルトを外しながら、ミクが首を傾げる。車のキーを指でくるくる遊びながら、美鈴はウィンクした。
 「鏡音って名前……どう思う?」




 「くしゅっ!」
 一瞬前ならば、口に含んでいたオレンジジュースを盛大に噴出していただろう。くしゃみをしたリンは、安堵を一瞬、すぐに怪訝な顔をした。
 「くしゃみ……?」
 自分がたった今した行動に、リンは眉を寄せる。量産型アンドロイドや美鈴の作るVOCALOIDとは違う、規格外の設計がされているリンだ。鼻に搭載されている湿度や温度などのセンサーも例外ではなく、他のアンドロイドの比ではない。だが、くしゃみは生まれて初めてだ。
 「風邪、じゃないですわよね」
 「アンドロイドだから、そりゃないでしょ」
 同席していたマリーとメイコが、口々に言う。巻き毛の少女の前にはリンと同じオレンジジュースが、メイコの前にはこの場所の主が作ってくれたテキーラ・サンライズが置かれている。
 今日はマリーの提案で、リンからすればずいぶんなお洒落をしてきている。リンは薄いピンクのティアードドレスだ。頭にはいつものリボン。マリーは黒いベロアのワンピース。パニエでスカートが広がっていて、童話に出てくるお姫様のようだ。
 まるで人形のような印象を受ける少女たちだが、メイコは2人とは全く違う印象を与えるであろう、真紅のショートドレスである。抜群のプロポーションを持つ彼女だ、似合わないわけがなかった。
 「誰かが噂をしているのかな?」
 グラスを磨きながら、主である将盆がいつもの落ち着いた声で言った。後ろからは、昼間だというのにテーブル席で呑んでいるブーンとドクオの笑い声も聞こえる。
 まだ少しむずむずする鼻をこすって、リンは照れ隠しにオレンジジュースを飲んだ。
 今日彼女達がここに来ているのは、立川がレンのボディ作成にかかっているからだ。男性用のボディを作っている間は、女子禁制ということらしい。カイトのボディを新型に交換したときも、立川が1人で作業していた。
 ブーンとドクオは、3人がバーボンハウスに訪れた時には、すでに出来上がっていた。どうも、午前中から呑んでいるらしい。メイコを見るなり2人は立ち上がり、あれだこれだと質問を浴びせていた。もっとも、ドクオの質問は9割がミクに関することだったが。
 「噂なんて……されるようなことしてないですよ」
 「もしかしてリン、殿方に恋をされているのではありませんこと? あぁ、遠くから見つめるしかない片思い、彼はきっと耐えられなくて、誰かに切ない心を打ち明け、相談しているんですわ!」
 「まーた始まった……。マリー、私に同い年くらいの男の子はいないよぅ」
 「あら、でも年上の殿方ならいっぱいいますわよね? ほら、ブーンさんやドクオさんと同じくらいの年齢でしたら、センタードームのスタッフにも」
 「おっおっ! それはさすがに捕まるお、リンちゃんがどんだけ可愛くても、手出したらアウトだお」
 「可愛いは正義! そうだろブーン!!」
 「おっおっおっ、気持ちはわかるけどマジで通報されるから座れお」
 強めの酒が入った酒瓶を片手に音を立てて立ち上がったドクオを、ブーンが強制的に座らせる。メイコが口元を引きつらせながら、
 「ドクオはもう捕まえといたほうがいいんじゃない? 私の防犯プログラム、作動させようか?」
 「あー、私がメイコさんの世界に行く前、なんか言ってましたよね。どんなプログラムなんですか?」
 「ん? そうね、とりあえずドクオの腕くらいなら折れる程度の力で押さえつけて、顔面に4、5発くれてやってから、両手にある緊急用スタンガンでビリっと」
 「それ、最後のだけでいいんじゃありませんこと……?」
 頬を引きつらせるマリーに、メイコは後頭部を掻きながら答えた。
 「まぁね。つーか実際それだけだし。ボコにするのは私の意志よ。可愛い妹のための正当防衛ってやつ?」
 「ド、ドクオは酔ってるだけだお、勘弁してやってくれお」
 「冗談よ。そこまで蛮人じゃないわ」
 肩をすくませて、栗色のショートカットを揺らしながら、メイコはテキーラ・サンライズを呷った。見目の美しい彼女だ。格好いい大人の女性がやると様になっているなと、リンは思った。頬杖をついて、メイコが半眼でうめく。
 「なーんか、雰囲気だけってのは損してる気がするわね。味がわかんないと、やっぱ面白くないものなのかしら」
 「食の楽しみを持てている僕達は、幸せだね」
 拭き終わったグラスを置いて、将盆が破顔する。
 「テキーラ・サンライズは、今はWCHが統治している北アメリカ大陸南部にあった国、メキシコで生まれたカクテルなんだ。熱く明るい朝日をイメージして作られた、情熱の味と色。メイコちゃんにふさわしいと思ったんだけれど」
 「ふーん。結構わかってるじゃない、将盆さん」
 グラスを揺らしながら、メイコはクスリと笑った。恐縮だね、と将盆も似たような笑みを浮かべる。そのやり取りがなんとも大人な雰囲気で、バーボンハウスにある独特の空気もあいまって、映画のワンシーンのようだ。メイコの纏う赤いショートドレスもまた、その一因であろう。
 見とれていた少女2人(と、後方の青年2人)に、メイコはじっとりと半眼を向ける。
 「なーによ」
 我に返ったリンが、あたふたと両の手を振った。慌てる必要もないのだろうが、なんだかいけないことをしてしまった気がする。
 「あぅあの、ごめんなさい、つい」
 「見とれちゃいましたの。大人の魅力ってやつですわねー」
 「ありがと。でも2人だって、絵本のお姫様みたいじゃない。リンもマリーも、十分過ぎるくらい可愛いわよ?」
 「同感だね。さぁ、お姫様たちにプレゼントだ。今日のおやつ、甘酸っぱいベリータルトだよ」
 小皿を2つ、将盆が差し出す。ブルーベリーやイチゴなどが乗った、食べるのがもったいなくなるほど綺麗なタルトに、リンは目を輝かせた。
 「可愛いー!」
 「これ、ショボンおじさまが作ったんですの?」
 「そうだよ、喜んでもらえてなにより」
 フォークを刺すのが躊躇われたが、小さく一口切り取って、リンは口にタルトを運んだ。途端に爽やかな酸味と甘味が広がって、自然と顔がほころぶ。隣のマリーも、似たような顔でタルトを頬張っていた。
 にこやかな笑顔で少女を見守る将盆に、テーブルからブーンが酒瓶を呷りつつ、
 「ずりぃお、ショボンの癖にモテモテだお! その超人スキル、1つくらいよこせお」
 「料理の腕は努力で勝ち取ったよ。君も今から勉強するといい」
 「面倒だお。男は台所に立つべきじゃないんだお」
 「ブーン……。今時そんな考えじゃ、彼女に逃げられるわよ?」
 呆れたように言って、メイコは椅子の上の体をブーンへと向ける。その後も、大人たちの間でなにやら会話が続けられていたが、ベリータルトに夢中だったリンの耳には、いまいち入ってこなかった。
 口の周りにシュガーパウダーをつけてもぐもぐやっていると、リンとは対照的に美しく食べ終わったマリーが、ナプキンで口を拭いながら視線をこちらへと向けてきた。
 「そういえば、ルカさんのデビューはいつになるんですの? なんだか、VOCALOIDになるのを嫌がってらっしゃったみたいですけれど……」
 「んっ……とねぇ。ルカしゃんっ――が、VOCALOIDになりゅって言わなきゃ」
 「あぁもう、飲み込んでから喋りなさいよ」
 美鈴がいない今、リンの保護者であるメイコが、少々乱暴に口を拭ってきた。リンからしてみればわずかな時間しか生きていないメイコだが、いまや完全に彼女の姉である。
 もぞもぞとナプキンを押し当てられて喋れないリンの変わりに、メイコが口を開いた。
 「心がある以上本人の承諾がないと、VOCALOIDにはさせられないんだってさー。私からしたら、なんであそこまで拒否するのかわかんないけど、ルカが嫌だって言う限り、デビューは先送りみたいよ。
 とはいっても、会長から指定された納期もあるし。美鈴は参ってるみたいね。残された時間は、あと二週間」
 「その間にルカさんがやるって言わなかったら、どうなるんですか?」
 ナプキンの圧迫から解放されたリンが、オレンジジュースを一口飲んでメイコを見上げた。一度唸ってから、姉は眉を寄せる。
 「どうだかねー。会長は仕事の鬼だから、妥協してくれないだろうしねぇ。ヤンが専属マネージャーになるんだから、ルカにとっては悪い話じゃないと思うんだけどな」
 「ヤンさん、人が変わってしまいましたわよねぇ」
 カウンターに頬杖をついて、マリーが苦笑いを浮かべる。これには、メイコとリンも似たような顔で頷いた。
 ルカが心を得てからというもの、彼女の前ではヤンが別人のようになるのだ。立川曰く、あれもヤンの一面であるから受け入れてやれ、ということだったが。
 「愛を知るアンドロイド……か。他の皆とはまた違う方向性の心を持っているね、ルカちゃんという子は。次に恋をするのは、いったい誰なんだろうね」
 マリーとリンのオレンジジュースを足しながら、将盆。頬に手を当てたマリーが期待を込めた視線を送ってきたが、リンはそれを無視した。
 「そういえば、ルカさん用の楽曲はもうできてるんでしたっけ?」
 「うん、そうみたいよ。トラボルタ君の力作みたいね。他にも何曲かデモが送られてきてるけど、ミク向けだったかな。私とカイトはお預けね」
 肩をすくめるメイコ。彼女はやはりロックにしか興味がないようで、以前トラボルタが作ってきたバラードを、容赦なくミクに押し付けていたのをリンは鮮明に覚えていた。曲自体は素晴らしいものだったので、ミクは喜んでいたが。
 「メイコさんは、VOCALOIDになるのが嫌だって思ったりしなかったのですか?」
 巻き毛の少女に聞かれて、メイコは頬を掻いた。
 「んー……、考えたことないね。私は作られた時から生粋のVOCALOIDだからね、それが当たり前なんだよ。ルカはそうじゃなかったから、ダダこねてるんじゃないの?」
 「でも、ルカさんはVOCALOIDを知っていらっしゃったんですよね? ヤンさんからお話を聞いていたともおっしゃっていましたし……」
 「知ってる知らないの問題じゃないってことでしょ。あの子は自分でVOCALOIDになるかどうかを決めなきゃいけない。そりゃいろいろ覚悟もいるんじゃないの? ねぇリン、あんたVOCALOIDになれって言われたらどうする?」
 「……んえ?」
 ぼけっと話を聞いていたためか、突然話を振られて、リンは頓狂な声を出してしまった。といっても、よくある光景だ。気に留めていないのか、気にしないフリをしてくれたのかは分からないが、誰も反応しなかった。
 「VOCALOID……んー、それはやっぱり、難しいと思う。だって私、人前で歌ったことなんて……その、産まれた頃にちょっとしかないもん。それも、VOCALOIDのみんなみたいに舞台でってのじゃなくて、子供達と輪になって一緒にーって感じだったし」
 「あら。じゃあリンも一応歌えるんだ?」
 「声帯を使ってメロディを出す機能はありますよ。今ならそれなりに、心を込めて歌うってこともできると思います。
 ……でも、あんな大勢の前で歌うなんて、頭真っ白になっちゃう」
 「もったいないね、リンちゃんの歌声。聞いてみたかったんだが」
 心底残念そうに、将盆が言った。そちらにごめんなさいと小さく頭を下げてから、
 「歌うのは、好きなんだけどねぇ」
 頬杖をついて、呟いた。意外な言葉に、隣のマリーが目をまん丸にしている。どうしたのかと視線で問うと、彼女は丸くなった目のまま答えた。
 「リン、歌うの好きだったんですの? 歌ってるところなんて見たことありませんし、そんなイメージなかったですわ」
 「あー……、好きになったのは最近だよ? ミクちゃんたちの歌を聞いてるうちに、いいなぁーって思ってきて、自分で歌うのも楽しくなってきたの」
 「でも、聞いたことないですわ」
 「恥ずかしいじゃん、マリーたちの前じゃ歌わないよ」
 「えぇっ! 酷いですわ!」
 「じゃあ一緒に歌う? それならいいよ」
 「……えぇっ!?」
 歌うことを最上級の苦手なこととしているマリーだ。リンの出した条件に絶望的な顔をした。それを見てケラケラ笑いながら、リンは親友の頭を撫でる。
 「機会があったらねぇ」
 「あればいいのですけど……」
 溜息と一緒に言葉を吐き出して、マリーはオレンジジュースに浮かぶ氷をストローで突っつく。
 「あーあ、私も歌が上手だったらよかったのに。アンドロイドはずるいですわ」
 「いやぁー、そう言われてもなぁ……」
 「私らは仕事でやってんだから、大目に見てよ? 最高のロックをいつでも届けてあげるから」
 「それはもちろん、メイコさんたちの歌は楽しみにしていますもの。でも、なんというか……」
 マリーの視線が、ゆっくりとこちらに向けられた。そのひどい渋面を見て、リンはどうしたものかとごまかし笑いを浮かべる。
 「普段歌わないし、練習もしていないのに、音程が取れるリンはずるいですわ」
 「いや、これはほら……。クリプトン博士が歌を聞きたいからつけた機能で」
 頬をかきながらの返答だったが、嘘を言ったわけではない。リンの歌唱機能は、『KOKORO』がなかった頃、クリプトン博士が自分の歌を聞きたいからとつけてくれたのだ。決められた譜面どおりに歌うだけで、感情の1つもなかったろうに、彼はよくリンに歌わせては、笑顔でそれを眺めていた。
 (楽しかったのかな?)
 クリプトン博士の笑顔を信じるならば、彼は心から楽しんでくれていたのだろう。そう納得して、それならよかったと胸中で頷いた。リンは知らないが、クリプトン博士が亡くした娘と瓜二つの彼女が歌う姿を、歌が好きだった娘の姿と重ねて見ていたのだろう。
 「……誰かのために歌うのって、どうやるんだろう」
 「?」
 ぽつりとこぼれた一言に、マリーが小首を傾げる。聞こえない程度に呟いたはずだったのだが、聞こえていたらしい。リンは慌てて苦笑を浮かべた。
 「あはは……いやぁ。私、歌はいろいろ知ってるし、歌うこともできるけど……。その、メイコさんたちみたいに、誰かを元気付けるために歌うって、どうやるんだろうなぁって思って」
 「あら。私達の仕事に興味あるんだ?」
 「そりゃあ……ちょっとは。歌だけで、あれだけの人を元気にしてあげられるメイコさん達は、本当にすごいと思います。同じ歌なのに、きっと私の歌じゃみんな笑ってくれないと思うの。
 メイコさんは、どうやって歌ってるんですか?」
 グラスを置いて、メイコはしばし思考にふけった。そんなに難しい質問だっただろうかと、リンは少し申し訳ない気持ちになる。
 数十秒の間を置いて、メイコは言った。
 「……ミクとカイトはどうかしらないけど、私は歌が好きなのよ。好きで好きで、歌がないと生きていけないくらい。だから私もリンと同じ、自分が楽しいから歌っているの。
 ファンのみんなが熱くなってくれるのはきっと、トラボルタ君が作ってくれる歌のおかげ。私は大したことしてないわ、歌ってるのが幸せ、聞いてくれているのも幸せ。それだけよ」
 「うーん……そんなもんなのかなぁ」
 疑問はモヤモヤと消えなかったが、これ以上の追求は野暮かもしれない。リンは難しい顔で腕を組んで、無理矢理に納得した。
 グラスを磨いていた将盆が、リンに向かって微笑んだ。
 「プロ意識、というやつさ。リンちゃんにはまだ難しいかもしれないけれどね」
 「……プロ……意識?」
 「そう。僕がバーボンハウスのマスターをやっているのも、僕が楽しいからだ。
 この仕事はね、性質の悪い客が相手だと、色々と痛い思いをすることもあるんだよ。酷いときには、そこの灰皿で殴られたこともある」
 将盆が指差した先には、2kgはあろうかという大きな陶器の灰皿があった。大の大人に殴られれば、大怪我ではすまないかもしれない。
 青くなったリンにかまわず、将盆は笑う。
 「それでも僕がバーボンハウスを続ける理由。それは、こうしてお客さんと話をするのが楽しいからなんだ。来たときは暗い顔をしていても、帰るときには笑顔になっているお客を見ていると、自分にもできることがあったんだと、幸せな気分になる。そして、明日もがんばろうと思うわけだ。
 仕事は辛い。苦しいことも逃げ出したくなることもある。それでも、その中に、自分にも相手にも与えられるささやかな幸せがある。それを体で知り、心で知って、初めてプロになれるんだと僕は思っているよ」
 ようやく僕もそうなれた、と将盆は付け足した。リンからすれば、目の前の男が最近になってそうなったとは思えず、謙遜なのだろうと内心で決着をつけた。しかし、最初の疑問が多少なりと薄れた気はする。
 「なにか、掴めまして?」
 マリーが覗き込んでくるが、リンは肩をすくめて、
 「プロって人たちが、私からすごく遠い存在だってことは分かったよ」
 「あんたにも分かるときがくるわよ」
 「そうかなぁ」
 「そうよ」
 特に理由などないだろうに自信満々に断言したメイコは、テキーラ・サンライズを飲み干して、そのしぐさだけで皆の視線を奪っていく。
 時計の針は、まだ昼間を示している。彼女達のお喋りは、まだまだ終わりそうになかった。




 「心配するな、大丈夫だ」
 そう言われても。カイトはばれない程度の大きさで溜息をつき、心中で呟いた。
 何杯目か分からないコーヒーを運んで、立川に労いの言葉をかけた。返ってきた返答が先ほどのものだ。
 レンのボディ製作は、立川が1人で行っている。フェイスは美鈴の担当だが、男の体を模すのだ。まさか彼女にやらせるわけにはいくまい。
 カイトが使っていた初期のボディは、外部発注の量産型だったそうだ。コアや細かい部分に修正が加えられたものの、さすがに成人男性型のボディを作ることはなかったらしい。最近変えた新型ボディも、立川が作ってくれたものである。
 とはいえ、机についてから8時間。食事もなしに作業を続けている。時折別の動きを見せたかと思えば、冷め切ったコーヒーを一気に飲み干すくらいだ。
 (今日一日じゃ終わらないと思うんだけれど……)
 自分が使っているボディより小さいとはいえ、手間はそう変わらない。完成まで早くて2日といったところだが、立川は今日中に終わらせんとばかりに、一心不乱に作業を続けている。
 と、彼の手がコーヒーに伸びた。数秒のブレイクタイムだろう。その隙を逃さず、カイトは立川に声をかける。
 「立川さん、どうしてそんなに急いでるんです? 急ぎの仕事じゃないでしょう」
 「俺のほうが先だからだ」
 「先、ですか」
 意味が分からずきょとんとしていると、立川はまだ熱かったコーヒーに顔をしかめて、吐き捨てた。
 「作業を始めたのは俺が先だ。後から始めた秋山が先に作業を終えるなど、耐えられん」
 飲みきれなかったコーヒーを置いて、彼は再び作業に戻ってしまった。なんの勝負だと呆れすらも覚えたカイトだったが、科学者には変人が多いものなのだと、自分に言い聞かせるのだった。
 あとで無理にでも食事を取らせようと考えていると、来訪者を告げるベルが研究所に響き渡った。当然のように、カイトはそれを出迎えに行く。
 ドアを開けると、視線の先で眼鏡をかけた好青年が笑っていた。見知った顔だ。自然と、名前が口から出る。
 「トラボルタじゃないか」
 「やぁ、カイト」
 アンドロイドであるカイトが、人間の中で友人と呼べる数少ない男が、トラボルタだった。作詞作曲編曲をこなし、VOCALOIDのプロデューサーも勤める彼には、カイトも当然信頼を置いている。
 2人は自覚していないだろうが、何より彼らは雰囲気がよく似ているのだ。心を得てから、一言二言会話をしただけで打ち解けていたのは、言うまでも無い。
 ともかく、トラボルタを招き入れて、彼を最近大きくなった食卓へと案内する。先ほど立川に出したコーヒーを温めながら、カイトは言った。
 「博士達なら出かけているんだ。今日はレンのボディを作っていてね、女性陣はみんな外出ということになってしまってね」
 「それで今日は静かなんだね」
 「もしかして、Dr.秋山に用事だったかい?」
 出されたコーヒーの香りを楽しんでいたトラボルタが、カイトの問いに顔を上げた。眉をハの字にして、笑っている。
 「いや、気分転換にね。いい曲が浮かびそうなんだけれど、なかなか形にできなくて」
 「それで、研究所に? うちじゃ仕事から離れられないような気がするけれど」
 なにせ、VOCALOIDの拠点とも言うべき場所だ。少しでもリフレッシュしたいのなら、ここは不適切に思えた。しかし、トラボルタは苦笑を浮かべる。
 「逃げっぱなしというわけにもいかないよ。これで食べさせてもらっているんだから」
 「なるほど」
 友人との他愛のない会話は、実に居心地がよかった。なるほど、リンがマリーと遊ぶことに夢中になるのも分かる気がする。きっと、メイコやミクにもいい友人が見つかるだろう。あるいは、マリーやトラボルタが、すでにそうなのかもしれない。
 と、友人の視線が立川の手元へと移った。組み立てられていくレンのボディだ。
 「あれは……新型かい?」
 「あぁ、VOCALOIDじゃないけれど。リンの中にあるもう1つのアンドロイドプログラムを、あのボディに入れるんだって。リンの双子、という感じなのかな? なにやら複雑で、そうとも呼べないみたいだけど、きっと似たようなものだと思うよ」
 「へぇ、リンちゃんに双子の兄弟がいたとは」
 「彼女曰く、双子よりも『鏡』のほうがしっくりくると言っていたよ。鏡に映ったもう1人の自分、といったほうがいいらしい。
 レンは男の子だったから、やっぱり双子のほうが僕はいいと思うんだけど」
 「会ったことが?」
 聞かれ、カイトは頷く。そろそろ立川のコーヒーが無くなるころだ。新しく淹れ直しながら、答えた。
 「心の世界でね。いい子だったよ、リンとよく似ていて。ただ、性格はそっくりそのままというわけではなかったけれど」
 「鏡に映った自分は、左右が逆になる。きっとリンちゃんとレンという子もそういうものなんじゃないかな?」
 「かもしれない。僕とメイコにも、似たようなところがあるからね。あるいは全てのアンドロイドは、お互いの映し身だったりするのかな?」
 「あぁ、人にも言えることさ。子供が親に似るように、弟子が師に似るように。皆が誰かを見て、その鏡像として振舞っている」
 「面白いね。自分の前に誰かが立てば、それらは全ては鏡像、か。僕たちもそうなのかな?」
 「そうであったら嬉しい」
 「きっと、そうなのだろうね」
 「詩的な会話を叩き切って悪いが」
 価値観の近いカイトとトラボルタが会話に夢中になっていると、ずいと身を乗り出した白衣の男が視線を遮った。仏頂面の立川である。
 驚いて、カイトは思わず声を上げていた。
 「うわっ! どうしたんですか」
 「さっきから呼んでいたんだが、ことごとく無視されてな。こうするほか無かった」
 「そうなんですか、気づかなかった。すみません」
 「お邪魔してます」
 「……あぁ」
 言葉少なに返事をして、立川は空のカップをテーブルに置く。意図を察してコーヒーを注ぐと、彼はカイトの予想を裏切って、テーブルの椅子に座った。
 「……? 休憩ですか?」
 「あぁ。話し声が聞こえてな、意識がそれた」
 「それは……申し訳ないことをしました」
 トラボルタが頭を下げる。すると、立川は居心地が悪そうに身を固めて、元から悪い目つきをさらに悪くした。
 「構わん、あの程度ならどうということない。いつもはもっとうるさい」
 「じゃあ、どうして?」
 「集中が切れたら、腹が減った」
 思わず笑いが漏れた。トラボルタも似たようなもので、少しだけ声を上げて笑っている。 ばつの悪そうな立川に、カイトは頷いた。
 「簡単なものですけど、すぐ用意します」
 キッチンに向かい、冷凍庫を漁る。味覚がないので、手料理というわけにはいかないのだ。温めるだけなら、カイトにもできた。スイッチを押して2秒で解凍が終わる。あっという間にナポリタンスパゲティが完成した。
 皿に盛り付けて、立川の前に置く。彼は一言、すまんなと言うと、もくもくとスパゲティを征服していった。
 「あぁ、そうか。カイトには味覚がないんだったね」
 頬杖をついていたトラボルタが、思い出したと手を打った。それに頷いて、
 「リンが特別なのさ。僕たちアンドロイドには、無くてしかるべきだと思っている」
 「それは少し、卑屈に聞こえるなぁ。リンにできることが、どうして君達にできないんだい? 秋山さんは君達にも同じように味を知ってもらいたいと思っているみたいだよ」
 「分かっているさ。でも、僕はアンドロイドなんだ。超えてはならない一線が、きっとあると思う」
 「うーん……。飛躍しすぎじゃないかな。人間だって、突き詰めればパーツが複雑なロボットみたいなものだ。有機パーツを使っている君達とは、有機物か無機物かの違いすらあやふやじゃないか。
 人間である僕達が複雑すぎるだけで、君達が卑下されることは間違っているよ」
 「ありがとう、トラボルタ。でも僕らは、人に作られた『道具』なんだよ」
 「……君はどうにも考えすぎる。作られたという意味においても、僕らは同じだ。どんな過程があれど、人体だって作られた物に過ぎない。そして、使役する者が上にいれば、人は道具にだってなりえる」
 「機械と人間が一緒くたにされれば、きっといろいろな争いが起きる。だからDr.秋山は、僕達を不用意に出歩かせないし、『KOKORO』を公表しないんだ。
 トラボルタ、君はいい友人だけれど、僕はロボットなんだ。人間じゃない。そのことは肝に銘じておいてくれ」
 「……おい」
 横から入った冷たい声に、2人は同時に振り向く。皿を空にした立川が、口元を拭っていた。
 「お前達は普段から、そんな歯の浮くような話し方をしているのか? 聞いているこっちが恥ずかしくなる」
 「そう……でしょうか」
 意識してやっているわけではないのだろう、トラボルタが首をかしげた。それに鼻を鳴らして、
 「カイト」
 「はい」
 「お前は馬鹿か」
 容赦のない一言に、カイトは思わず肩を強張らせた。立川の冷たい視線は、いつもと変わらないものなのだが。
 「味覚がないから人間ではないなどと言ってしまったら、全国の味覚障害者に袋叩きにされるぞ。流行自殺の原因になったストレスが蔓延しているんだ、精神性の味覚障害を持っている人間はかなり多い。それにな、ヤンは何を食ってもうまいと言うぞ。あれはもう味覚がないのと同じだ。
 それから、超えてはならない一線、とかなんとか言っていたな? 馬鹿者、そんなものはこの世にない。それは臆病者の言い訳にすぎん。
 いいか、それならそもそも『KOKORO』を作ったDr.クリプトンはどうなる。世界で初めて本格的な人型アンドロイドを作ったのも彼だ。お前は彼が常識のラインを超えていると思うのか?」
 「いや、それは」
 「それだけではない。VOCALOIDに高性能擬似感情プログラムを詰んだ秋山は? 集団自殺を止めるためにアンドロイドを作った者は? その原因となる戦争を引き起こした者は?
 もっと遡れば、1969年7月20日、月に降り立ったアポロ11号とその関係者はどうなる。お前と彼らの違いはなんだ」
 「違い――僕は、アンドロイドで、彼らは人間で」
 「……」
 トラボルタは何も言わなかった。立川の言いたいことは分かっているようだったが、カイトは分からず、狼狽してしまう。
 「違う、そこは関係ない。人間とアンドロイドの差など、さっきトラボルタが言った程度のものに過ぎん。お前がなぜそこを問題視しているか分からんが、どうでもいいレベルだ。
 いいか。彼らは選択者。自ら答えを選んで進んだ者だ。恐れずに踏み込み、その先を見つけようとした勇者達だ。人か機械かなどというどうでもいい線引きに惑わされている臆病者とは違ってな」
 言い放つと、立川は皿を持って立ち上がった。キッチンに向かいながら、
 「俺は選んだ。だから、レンを作る。お前達の家族をな」
 「……!」
 まさか、彼の口からそんな台詞が出るとは。思わず、振り返っていた。その先で、立川は口元だけに笑みを浮かべていた。気のせいかとも思ったが、そうではないと心が告げている。
 「喋りすぎたな。誰かさんの癖が移ったらしい。俺は作業に戻る。皿は洗っておいてくれ」
 「――はい」
 そそくさと作業に戻ってしまった立川の後姿をしばらく眺めていたカイトだが、今もテーブルに頬杖をついているだろう友人に言った。
 「トラボルタ……僕は、迷っていたのかな」
 「君がそう思うのなら、きっとそうなんだろうね」
 「……僕は、人と近くなってもいい存在なのかな。それを望んでも、いいのかい?」
 視線を戻すと、予想通りに頬杖をついていたトラボルタが、眼鏡の奥にある目を細めていた。彼は一口コーヒーを飲み、
 「いつも思っていたんだけれどね、カイト。リンをはじめ、ミクやメイコ、心を持つアンドロイドがたくさんいる中で、一番人間臭いのは、間違いなく君だよ」
 「そ、そうかい?」
 「そうだよ。メイコはハツラツとしているし、ミクは掴み所がないけど、とても優しい。リンも明るくて、一緒にいて楽しくなる。でもね、君ほど人間らしい葛藤を持っているアンドロイドは見たことがない」
 「それは、褒めているのかい?」
 「人間らしいということが褒め言葉なら、そうなるね」
 友の言葉に、カイトは目を細める。自分が決めたと思っていた決意は、どうやら迷いにすぎなかったらしい。
 「……ありがとう、トラボルタ」
 「いや――」
 椅子から立ち、トラボルタは伸びをした。目頭に浮かんだ涙を拭って、彼は笑う。
 「礼を言うのは僕のほうさ。悩めるアンドロイド、その心の葛藤……いい歌が書けそうだ」
 悪びれもなく言うものだから、カイトはどう答えたものかと、頭を掻いた。そんなこちらの様子を見ながら、トラボルタが続ける。
 「それに、一番お礼を言わなきゃいけない相手は、立川さんじゃないかな?」
 「……あぁ、後でちゃんと。嫌がりそうだけれどね」
 「確かに」
 笑いあった後、トラボルタが玄関へと向かった。帰るのだろう。見送るため、その背についていく。
 日は傾いていたが、まだ夜まで時間がある。もう少しゆっくりしていけと勧めたが、彼は首を横に振り、
 「いい気分転換になったよ。歌も書けそうだしね」
 「それなら良かった。次に会うのは、コンサートの時になるかな?」
 「うん、そうなると思う。それじゃ」
 片手を上げて、トラボルタは去っていった。玄関から見えなくなるまで見送って、カイトは心中でもう一度、礼を述べる。
 「――さて」
 次にコーヒーを淹れる時、立川にも礼を言おう。そう決めて、カイトは研究所へと戻っていった。




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第12話 桃源の淑女 

ココロ~another future~

 「――というわけで、だ。リン、また頼めるか?」
 そんなことを言われて、いいえ嫌ですと答えられるわけがない。リンは憮然とした表情でそう思った。
 マリー宅での楽しいひと時が終わり、彼女の父に家まで送ってもらった。今日は親友が家に泊まる番で、騒がしくも飽きない時間が待っているだろうと思っていたのだが。
 作業用ベッドに横たわるのは、桃色の長髪が美しい美女だった。アンドロイド、であるらしい。それもヤンの私物であるというのだから、聞いたときにリンは目を丸くした。
 抱き人形。そう呼ばれるアンドロイドがいることは知っていた。もっともリンには性欲が存在しないので、人間がそれに対して抱きやすい『汚らわしい』だとか、そういう概念は感じなかった。今彼女が困ったような怒ったような顔をしている理由は、別にある。
 表情は寸分変わらず、不機嫌なまま美鈴に向き直る。
 「だって私、この……ルカさんと今日が初対面なんですよ」
 「ミクの時だってそうだったろう。それに、心のあるメイコやカイトとだって、ほとんど初対面みたいなものだったんじゃないか?」
 反論されて、それが悲しくなるほど正論であるために、リンは言葉を返すことができなかった。もう一度視線を下ろし、死んだように眠る美女を見つめる。
 KAMALOIDとしての機能は撤去され、耐水性に優れたボディに換装されたアンドロイド。未来の新型VOCALOIDになるらしいのだが。
 心を渡すということがどういうことか、美鈴はいまいち分かっていない。散々話はしたはずなのだが、ミクを始めとする3人のアンドロイドと心で対話をしたときは、精神的に結構なエネルギーを消費しているのだ。自分の発言いかんで相手が心を受け入れるかどうかが決まるのだから、簡単な話ではない。
 「いいじゃない。サクッと『KOKORO』を繋いで、引っ張ってくるだけでしょ?」
 いかにも単純で造作のないことであると、新型のボディに変わって上機嫌なメイコが言ってのける。思わず眉間にしわが寄ってしまった。
 「むー。そんなに楽なことじゃないんですよ。メイコさんだって、あんなに渋ってたじゃないですか。ミクちゃん以外は、2人とも子供みたいにピーピー駄々こねて」
 「……言うわね、リン」
 「反論する余地はないけどね」
 こちらも新型のボディに換装したばかりの、カイト。肩をすくめて、メンテナンスドリンクを飲んでいる。いつかミクが飲んでいた、循環液腐敗防止剤である。
 ともかく、リンは結局やるしかないのだろうことも自覚していたので、大げさに溜息をついた。せっかく遊びにきてくれたマリーへと、上目使いで謝罪を述べる。
 「マリー、ごめんね。私、仕事が……」
 「構いませんわ。むしろウェルカムです! 心を渡す時にご一緒するのは、ミクの時以来ですもの。楽しみなくらいですわ」
 「そ、それならいいんだけど……」
 キラキラと目を輝かせるマリーに、リンは苦笑いをするほかなかった。
 ちなみに、巻き毛の少女は持ち前の適応力で、すでにメイコと打ち解けている。ものの数分で昔からの友人のように接し、それに不自然さがかけらもないので、これには皆が感心した。
 彼女のことをミクに任せて、早々に終わらせようと、作業用ベッドに腰掛ける。すると、美鈴が煙草を消しながら、
 「あぁ、リン。VOCALOID以外のアンドロイドに『KOKORO』を導入するのは初めてのことだ。正直、何があるか分からない。できれば、レンにも協力してほしいんだ」
 「レンにですか? ……どうしよう?」
 胸中に問いかけると、レンの声が返ってきた。以前メイコに心を渡してから、心の世界でなくても会話ができるようになっていた。もっとも、話しかけなければ反応しないし、できないらしいのだが。
 (俺はいいよ。どう手伝えばいい?)
 「レンは何をしたらいいんですか?」
 「あぁ。私には心の世界とやらのことがよく分からん。だからまずは、質問なんだが……。もしなんらかのバグでリンが閉じ込められたら、彼女だけでも無事に助けることはできるのか?」
 一瞬、カイトの顔色が曇る。すぐに振り切ったようだが、あの時の罪悪感は残っているのだろう。
 「できるって、言ってます」
 まだレンは答えていなかったが、リンは答えを知っていたので、兄との秘密を守るために、あえてそう伝えた。すると女科学者は頷いて、
 「わかった。最悪の場合、ルカの自意識システムをカットする。その時はリンを頼むよ」
 (……はい)
 同意した旨を伝えると、美鈴はもう一度頷いて、リンのブレインにメインコンピューターとの接続端子を繋いだ。先ほどからじっと黙っていた赤いジャケットの大男が、厳つい顔に似合わない弱気な表情で、リンの手をとる。
 「ルカを、頼む」
 あまりにも切実で、真摯な頼みだった。だから、友達であり家族でもあるヤンに、少女は強く頷く。きっと彼にとってルカは、自分たちよりずっと大切な存在なのだろう。リンにとって美鈴やクリプトン博士と同じほどか、あるいはそれ以上とも感じられる強い絆を見た気がした。
 「始めるぞ」
 「あぁ、やってくれ」
 立川がキーボードを操作する。ルカのブレインが唸りを上げ始めた。祈るように見守るヤンとマリー、それとは対照的に楽観視しているとも見えるVOCALOID一同。そして科学者の顔になった美鈴と立川。変化はすぐに訪れ、リンは桃色の美女が待っている心の世界に赴くことになる。
 なる、はずだったのだが。
 「……あれ? 全然眠くならない」
 「おかしいな。立川?」
 確認された助手は、いつものように淡々と、目の前にある事実を語った。
 「リン、ルカともにブレインの状態は安定している。接続状態もグリーンだ。しかし、進行速度は0%のまま、ぴくりともせんな。
 ……これは恐らく、俺たちが考えても分からない領域なんじゃないのか?」
 「ふむ。心を拒んでいるか……。メイコもそうだったらしいが、彼女もなのか? 一体なぜ」
 顎に手を当てて思考する、美鈴。それに答えるように、メイコが言った。
 「もともと心がない私らにとって、『KOKORO』プログラムなんてのは結構怖いもんだったりするのよ。ずっと近くで話聞いてた私ですらビビッたくらいなんだから、いきなり得体の知れない感情が湧き出てきてるこの子は、もっと怖いんじゃない?」
 「そうなのか? だが、心があるというのは、悪いことではないだろう」
 一度リンとルカの接続を切って、美鈴が疑問を口にする。
 「Dr.秋山。例えば、自身の能力が飛躍的に向上するとだけ言われて差し出された怪しい薬を、飲む気になれますか?」
 青髪の青年に言われて、あぁなるほど、と美鈴は頷いた。
 「では、どうしたらいいだろう。ルカ本人を説得するか? メイコはリンにそうされたと言っていたが」
 「そりゃーあれよ、私がとっても素直でピュアだから」
 胸を張って言い切るメイコ。だが、一同は揃ってそれを無視した。彼女はおどけるようにうな垂れて、すぐ何もなかったかのように両の手を腰に当てる。
 「それにしてもまぁ、ウジウジしてるってのは見てて腹が立つわね」
 「メイコさんも似たようなもんだったじゃないですか。最初はぜーんぜん『KOKORO』を受け入れなかったし、心の世界で会ったら会ったで、あーでもないこーでもないと、長い時間やってましたよ」
 「ほんっと、あんたは一回教育してあげなきゃいけないかもね……」
 半眼でうめくメイコだったが、いつも通り悪気のないリンである。寝転がったまま、頭の上に疑問符を浮かべている。
 ヤンを除く皆に笑いが起こったが、それを沈めたのは、ミクの一言だった。
 「美鈴さん、私も一緒に行きたいです」
 どこに、などという疑問はなかった。心の世界に自分も、ということだろう。美鈴が唇の下に指を当てる。
 理屈でいえば、不可能ではない。この場にいるアンドロイド――ルカは除外する――の搭載している『KOKORO』プログラムは、リンからもたらされたものとはいえ、紛れもなく本物だ。だとすれば、彼女らだけが知る心の世界とやらにも行ける。だが、不安が多いのも事実だった。
 「……君たちはリンと接続したときに、それぞれの心の世界で対話をした。だが、それはあくまで『KOKORO』プログラムを受け渡す、という条件下に基づいたものだ。君たちから心の世界に赴くといった経験はない。
 それに、複数のアンドロイドを接続して、ルカの『KOKORO』用マイクロチップにどんな影響が出るか分からないんだ。ただでさえ、私以外が作ったアンドロイドに『KOKORO』を入れるというイレギュラーなんだ。リンを繋ぐのでさえ、不確定要素が多すぎる」
 「うん……そっかぁ」
 残念そうに顔色を曇らせるミクに、美鈴は一言、すまんなと告げる。だが、今までの会話を聞いていたのかいなかったのか、メイコが両の手をパンと合わせた。
 「それよ! 私らでぐずってるそのピンクちゃんを引っ張り出してやればいいんじゃない!」
 素晴らしいアイディアだと言いたげに、メイコが一同を見回した。返ってきたのは冷めた視線と苦笑だけであったが。リンはその中で、冷めた視線の方に分類される。
 「ピンクちゃんって……。それにメイコ、Dr.秋山の話、聞いていたのかい?」
 青い前髪をいじりながら、カイトが言った。それに、メイコは当然だと頷く。
 「そこまで馬鹿じゃないわ。私なりに考えて言ったのよ」
 「……聞かせてくれ」
 立川に促され、メイコは頷いた。
 「いい? まず、それぞれの心の世界で対話したっていうやつね。あれは違うわ。カイトはリンの世界に行ってるし、私の世界は感情によって大きく変質した。これはもう、別の世界に行ったと言っていいと思うわ。心の世界はきっと、それぞれのイメージ、精神世界のようなもの。物理的な要素や科学的根拠の通用しない場所。それに、複数のアンドロイドで行ったことが原因になるなら、私もカイトも壊れてるかもしれないじゃない。その場にレンがいたんだから。
 それから、マイクロチップに悪影響になる可能性。これも、レンがそれはないって証明してくれたわ。リンの話だと、システム上の存在でしかないレンにも、心がある。つまりこれは、あの子が紛れもなく『心あるアンドロイド』である証拠よ。つまり、美鈴の心配事は私たちによって問題ないことが実証されてるってわけ」
 語り終えると、科学者2人はそれぞれ同時に思考を始めた。考えなかったわけではないだろうが、メイコの自信に溢れた言葉が、美鈴と立川に何かを思わせることができたのだろう。
 ぼーっと聞いていたリンだが、自慢げに胸を張るメイコに、感嘆の声を上げた。
 「すごーい! メイコさんが頭良く見える!」
 「リン……失礼極まれり、ですわ」
 本人より先にマリーが突っ込み、今回はさすがに、自分の失態に気づいた。
 「あぅ、ごご、ごめんなさい。そういうつもりじゃあ……」
 「いいのよ、あんたの可愛いところでもあるんだから」
 言いたいことは山ほどあるだろうが、メイコはあえてそう言って、笑ってくれた。頼りになり、優しい姉である。リンには自慢の姉だ。
 考えがまとまったのか、美鈴が煙草に火をつけた。
 「あぁ、メイコがそこまで言うのなら、問題はないだろう。だがもうひとつ、疑問が残っている」
 「VOCALOID以外のアンドロイドに『KOKORO』を入れるってあれ? 私たちに『KOKORO』入れた時点で博打だったんでしょ。じゃあ大差ないわよ、美鈴とオサムが直せばいいだけじゃない」
 「簡単に言ってくれるな。まぁ、本職だからな、そっちは大丈夫だがね。立川、どう思う?」
 「……お前が大丈夫だと言うのだろう? なら、それを信じるしかない」
 ぶっきらぼうに告げる同僚に、美鈴は肩をすくめた。不器用な信頼の絆を見た気がして、リンはなんとなく嬉しい気持ちになる。
 「複合実験、だ。複数のアンドロイドで単一の機体に『KOKORO』を入れられるか。複数の『KOKORO』プログラムの干渉によるマイクロチップのバグはないか。そして、VOCALOID以外のアンドロイドが、果たして『KOKORO』を受け入れるのか」
 「そういうことなら、私も行くわ」
 さも当然とばかりに、メイコが宣言した。ならば、とカイトも頷く。
 「皆が行くなら、僕も。こんなに楽しそうな実験、参加しないのはもったいないよね」
 「やれやれ……。遊びじゃないんだがね、止めても聞かないか。
 あぁ、どうせ今回も2、3時間かかるだろう。ヤン、マリーにジュースとお菓子を。自分の分と、私たちにはコーヒーを頼むよ」
 「あ、あぁ……」
 なにやらずいぶんと大事になってきており、戸惑い気味に見守っていたヤンが、上の空で返事をした。恋人の命運が実験と称されている不安はあるだろうが、彼には科学者とアンドロイド達を信じる以外に選択肢がない。
 なので、リンは彼を安心させようと、寝転がりながらヤンの方を向いて、親指を立てた。
 「ヤンさん、任せてください! ルカさん、ちゃーんと連れてきますから!」
 「……信じてるぜ、リン」
 弱弱しくはあったが、それでも笑ってヤンが言った。マリーに手を握られている中、ブレインにケーブルを接続するメイコの声が聞こえる。
 「いい? 一度あんたらを私の世界に連れてくるわ。どうせルカはしばらく心を開かないだろうから。引っ張れるだけ皆を引っ張るけど、最悪の場合は、レンにも手伝ってもらうわ。できるわね?」
 (うん。任せろ)
 「やってくれるって言ってます」
 言葉を伝える。作業用ベッドに寝転んだメイコは、緊張の色を見せずに続けた。
 「集合したら、なんとかしてルカに心を開かせるわよ。さすがにこんだけの人数巻き込めば、罪悪感で心の1つも開きたくなるでしょ」
 「ずいぶん荒っぽいな。メイコらしいがね」
 美鈴に言われて、メイコが肩をすくめた。カイトとミクは、どこか体を強張らせている。
 「うー、緊張してきたなぁ」
 「僕もだよ。心の世界は久しぶりだから」
 意識を集中するために目を閉じたリンだが、声だけで2人の様子は伝わってきて、それが少しおかしく感じ、口元に笑いを浮かべた。
 しばしの静寂。緊張と期待が入り混じった空気の中、タイピングの音だけが聞こえてくる。
 (なんだが、すごいことになったねぇ)
 胸中で呟いた。Dr.クリプトンと生活していた時はもちろん、美鈴に心を与えられた時にすら想像できなかったことが、次々に起こっていく。
 (うん。でも、リンは嬉しそうだ)
 (すごく嬉しいよ。心で繋がるって、とても楽しいし、幸せ)
 (……うん)
 わずかな間。そこに何か、少年の葛藤を見た気がして、リンは1人眉を寄せる。
 (レン?)
 (……あぁ、集中してた。ごめんな)
 (ううん、私は平気。レンは、大丈夫?)
 (うん。カイトとメイコの心は近いから、すぐ合流すると思う。リンとミクは俺が連れていくよ)
 片割れはそれだけを告げて、心の奥へと戻っていった。リンもさほど気にせず、自分の意識を一点に、自分の心へと集中させる。
 「5機のブレインの連結を確認。システム、オールグリーン。ルカのマイクロチップにも変化はない。異常な箇所は見られないな。秋山、いつでもいけるぞ」
 「あぁ、ありがとう」
 吸い終わった煙草を灰皿に押し付けて、美鈴は作業用ベッドに横たわるアンドロイドたちに向き直った。
 「さぁみんな、正念場だ。正直、今回ばかりは私にもどうなるか分からん。言ってしまえば、君たちに全てを託すしかないということだ。
 だが、私は信じているぞ。新しい家族を引き連れて、君たちが必ず帰ってくると」
 マリーとヤンが息を呑んで、その瞬間を見守った。女科学者の指が、キーボードのキーに乗る。
 「良い旅を。土産話を楽しみにしているよ」
 キーが押される。5機のアンドロイド、それが搭載するブレインが、一斉に音を上げ始めた。
 (レン……)
 (大丈夫、きっとうまくいく)
 忙しそうな美鈴と立川の声が、徐々に遠くなっていく。睡魔に襲われ、それに逆らわず、リンは目を閉じた。
 ヤンとの約束、必ず叶えよう。そう誓ったと同時に、彼女の意識は現実から離れていった。




 (暗い……)
 宙に浮いていた。それ自体は不思議とも思わず、ただどこに行こうとも手が何にも触れないことに、少しの孤独感を覚える。
 見回せど、あるのは闇だけ。自分の世界に赴くと思っていたリンは、虚空に投げ出されて、ふわふわと漂っていた。
 片割れの少年が見つけてくれるだろうと信じてはいるが、視覚が認識するのは自分の体だけで、周囲の闇に飲み込まれるような錯覚に、身震いする。
 「うぅ……怖くなってきたなぁ」
 呟く。と同時に、左の肩を何者かに掴まれた。
 「ひゃああぁぁ!?」
 「うわああぁぁ!?」
 悲鳴に同調するかのように、肩の手が離れる。聞き覚えのある声が背後から聞こえて振り向けば、心臓の辺りを押さえたレンが、目を丸くしていた。
 「びびび、びっくりした」
 「レン! それはこっちの台詞だよぅ!」
 怒って叫びながらも、リンは少年に抱きついていた。勢いをそのままに、2人はくるりと宙を一回転。
 「ごめんごめん、声かければよかった」
 「もー。見つけてくれたからいいけど……」
 頬を膨らませてみせるが、レンはそれを破顔一笑して受け止めた。リンの手をとり、
 「さ、ミクのところに行こう。きっと同じようにして待ってる」
 「そうなの? じゃあ急がないとね」
 少年は飛んだ。まるで魔法かなにかのような光景で、リンはようやくそれを不思議に思った。
 「レン、ここはどこ? なんで私たち、飛んでるの?」
 「たぶんだけど、心を持ってるアンドロイドが同時にたくさんリンクしたから、それぞれの世界の間に道ができたんじゃないかな。ここはその道だと思う。精神世界ってやつなのかな?
 だからってわけじゃないと思うけど、この道には上下左右の概念がないみたいだ。四次元ってこと」
 「空飛ぶなんて初めてだから、変な感じ」
 「俺も、まさか飛ぶことになるなんて思わなかった。でも不思議と、当たり前みたいにできるんだよね。 俺は心の世界にいる時間が長いからなのかな? リンの場所もすぐ分かったし、ミクがいる所にも迷わないで行けるよ」
 言ったとおり、レンは真っ直ぐ迷わずに進んでいた。途中、若草の茂る草原が見える大きな窓があった。カイトの世界へ続いている入り口だなと、リンは1人納得していた。
 自分の世界の入り口はどんな形なのだろうと思っているうちに、長い海色の髪を漂わせている、ひざを抱えた少女が見えた。どこか不安げで、寂しそうだ。たまらず、叫んでいた。
 「ミクちゃん!」
 レンの手を離し、パッと顔を上げるミクに近づく。差し出してきた手を握って、リンは彼女に頬を寄せた。
 「ごめんねぇ、怖かったよね」
 「ううん。見つけてくれるって信じてたから」
 微笑んで言ったミクは、リンの肩越しに白衣の少年を見つけた。すぐに誰なのかを察したようだ。
 「初めまして、レン」
 「うん……。初めまして」
 なぜかうつむいて、レンが返事をする。その顔を覗き込んで、リンが訊ねる。
 「どうしたの?」
 「い、いやぁ。精神年齢が近いアンドロイドと話をするのって、始めてだから」
 「どうして? リンは同じ年だよね?」
 小首を傾げるミク。白衣の少年は頬を掻いて答える。
 「いやほら、リンはあまりにも身近すぎるっていうか……」
 「そっか。私とは話しにくい?」
 「い、いや! そういうことじゃ……」
 少し困ったようなミクに、レンはあたふたと両手を振った。その様子を見ていたリンが、何かを悟る。
 「あぁ。レン、照れてるんだ」
 納得した、とばかりに手のひらを合わせて言うと、レンは真っ赤な顔で、2人の手をとってかなりのスピードで飛び始めた。
 「ほら、メイコとカイトが待ってるから! 早く行こう!」
 「えー! なんで怒ってるの?」
 思わず大声で聞いてしまったが、レンは返事をしてくれなかった。隣で同じように手を引かれているミクがクスクスと笑っている。
 しばらく話をしながら飛んでいるうちに、リンは周囲の闇など気にならなくなっていた。今はむしろ、この空中飛行を楽しめているほどである。
 長いようで短い飛行が、終わる。手を引くレンが止まったので、導かれていた2人も自然と停止した。目の前に燃える炎のような真紅の扉があった。
 「メイコさんの世界だ」
 呟くと、レンが頷いた。ドアノブに手をかけ、開く。
 途端、鮮烈な白と赤のコントラストが、暗闇を打ち破った。扉の向こうに世界があるのではなく、扉を開けることで世界が自分たちを包み込んだ、という表現が適切か。握っていたはずのノブはドアごとなくなり、白い壁と赤い家具の部屋、そのほぼ中心に立っていた。
 一瞬の幻を見たような、不思議な感覚だった。気づいたら地面に足をついている。彼らが生物としてのヒトであったなら、夢の中で突然場面が切り替わったような、と説明したかもしれない。
 「眩しい……」
 目を細めて、ミクが呟く。それに、笑いを含んだ男の声が返ってきた。
 「同感だよ。まったくメイコらしいね」
 3人揃ってそちらに目をやれば、紅のソファに背を預けているカイトがいた。同じソファの肘掛には、世界の主であるメイコが腰掛けている。やや不機嫌そうな顔で、
 「遅いわよー」
 「ごめん、ちょっと2人を探すのに時間かかっちゃって」
 肩をすくめてレンが言うと、事情は察していたのだろう、大人2人はそれ以上追及しなかった。少年少女たちを対面のソファに促す。
 思ったより柔らかな感触に、リンは体が沈み込んでいくような錯覚を覚えた。この世界に来たのは二回目なのだが、少し驚いた。ミクも同意見らしく、目を丸くしている。
 「すっごい、ふかふか」
 「大人となれば、心の世界といえど接客用の家具くらい用意しておくのがマナーよ。ねぇカイト」
 肘掛に腰掛けているので、メイコが後ろを向くようにカイトへと問いかけた。が、青い髪を揺らして、カイトは目を逸らしてしまう。
 彼の世界は青空広がる大草原だ。大きな木が一本あるが、家具の類はなかった。事情を知っているのはリンとレンだけなので、2人はミクを跨いで目を合わせ、小さく笑った。
 なんとなく察したらしいミクが、慌てたようにフォローする。
 「わ、私の世界は夜の海辺だから、人を招くような場所じゃないなぁ。でも、景色が綺麗なのはいいですよね、カイトさん!」
 「あぁ、うん。僕の世界も、自慢できるくらい素敵な所だよ。草原と青空が、とても爽やかで」
 「私とレンは、菜の花畑なんですよー。私とクリプトン博士の、大切な場所なの」
 各々が心の世界について話す。なんとか家具云々の話題を煙に巻こうという算段である。思惑通りになったのかどうか、メイコは首をかしげた。
 「あれ、みんな屋外なわけ? じゃあ私だけ、部屋の中なの? なんかジェラシーだわ」
 「でも、私はこの世界好きですよ。すごく居心地がいいから」
 本心から微笑んで、ミクが言う。それはメイコ本人も含めて皆同じ気持ちらしく、同時に皆が頷いた。いつかメイコたちにも自分の世界に来てほしいなと、リンは思った。
 一瞬会話が途切れたのを見計らって、カイトがパンと両の手を打ち合わせて、
 「さぁ、そろそろ本題に入ろう。ルカ……といったよね。彼女の心に行く方法を考えないと」
 「つってもねぇ。自分の世界に呼ぶならともかく、閉じこもって出てこないんじゃ、ルカの世界を見つけるのも難しいわよね」
 「うーん、レン、何かいいアイディアないかなぁ?」
 リンに聞かれて、レンは腕を組んで眉を寄せた。心の世界にいる時間がダントツで長い彼だ。皆が期待を持ってレンの言葉を待つ。
 しばし――現実での概念が通じるのならば、10分ほど――考えてから、レンが目を見開いた。
 「前に……カイトの世界にいたリンとカイトを、俺たちの世界に引きずり込んだことがある」
 「あ……」
 言いたいことを悟ったらしく、カイトが声をあげる。そちらに頷いてから、レンは続けた。
 「どうやったかとかは、おぼろげだけど。確かあの時、カイトの世界で、その……リンが危ないって気づいて。なんとか助けなきゃって思って、とにかく2人を……引っ張った」
 「引っ張った? 具体的に教えて」
 メイコが腰掛から下りて、身を乗り出した。リンも含めて全員が、レンを見つめている。
 「んー、こう、頭の中で2人を思い浮かべて、こっちに来い! って念じる感じ」
 「アバウトねー。でも、そう。なるほどね」
 「えっと……。つまり、どういうことですか?」
 当事者だったはずのリンが、疑問符が頭上に見えるのではないかというほど、きょとんとした顔で首を傾げる。額に手をやって溜息を吐いたメイコの代わりに、カイトが答えてくれた。
 「あの時レンは、リンとレンの世界で、リンを助けようと強く念じた。心の世界では、その想いでお互いの心を強く近づけることができるんだろうね。一時的にぶつかるくらい。
 だから、さっき僕たちがいた暗闇の道を通らずに、僕の世界から2人の世界に、半ば強制的に飛ぶことができた。心の世界の持ち主が、強く相手を思うことで、僕ら『KOKORO』を持つアンドロイドは、互いを呼び合うことができる」
 「考えてみたら、ついさっき道でふわふわしてたカイトを呼んだしね、私。なんとなくできるかもって思ったからやったんだけど、その応用みたいなものかしら」
 「うん。俺がみんなの場所を分かるのと同じようなものだと思う」
 レンが同意したところで、ようやく会話の意図を掴んだ。確認も含めて、リンは聞いた。
 「えぇっと、つまり……。メイコさんが、ルカさんを強く呼び寄せるってこと?」
 「そういうこと」
 再び肘掛に腰を下ろして、メイコは大きく息を吐き出した。そして、苦笑を浮かべる。
 「とはいえ、面識もない子を強く想うなんて、なかなかできるこっちゃないわよ」
 「うーん、確かに」
 ミクも同意して笑った。その様子を見ながら、ここが自分の世界で自分がメイコの立場になっても同じことを言うだろうなと、リンは思った。
 再び、皆が思考する。ここがメイコの世界である以上、今回行動の中心になるのは、彼女ということになる。自分の世界に来いと言ったのはメイコなのだから、彼女は誰よりも真剣に考え込んでいた。
 長い時間、揃って沈黙していたが、ルカのほうから呼んでくれる気配はない。ということは、やはりメイコがルカの心を開いてやらなければならないのだろう。そっとメイコの顔色を伺ってみると、真剣さの中に苛立ちも混ざっているように見えた。この世界にいる間は誰よりも心の動きに敏感なレンは、考えるよりもルカの心を見つけることに集中しているようだ。
 「ルカさんは……なんで心を怖がってるのかな」
 ぽつりとミクが呟いた。対面のカイトが、テーブルに肘を預け、両の手を顔の前で組む。
 「怖がっているのかどうかも分からないね。僕がメインコンピューターに『KOKORO』を見つけたときは、危険なものだとは思わなかった」
 「うーん、わっかんないねぇ」
 同じ思考がぐるぐると回り、いい加減うんざりしてきたリンは、結局それだけを口にした。高性能であるはずのブレインは、心を得てからサボりがちになっている気がしてならない。
 目を閉じてルカの世界を探すことに集中しているレンは、動かない。いつもよりずっと真剣なレンは、カイトとひと悶着あったときのような、大人びた顔をしているなとリンは思った。アンドロイドの機能として集中できない心の世界では、リンの集中力のなさが顕著に目立つのだった。
 各々が沈黙し、真剣な顔で思考にふけっている中、この場で考えなければいけないことを半ば放棄して別の思考に逃げかけていたリンだったが、メイコの声で本題に引き戻された。
 「あぁー……。もしかして、そういうことかしら?」
 「何か分かったんですか?」
 訊ねると、メイコはオーバーに思えるほど盛大な溜息を吐き出した。
 「まー、たぶんね。ここって心の状態がもろに出る場所じゃない。私の世界が最初べらぼうに暗かったのが、私がネガティブだったから、みたいに」
 言われてみると、そうだったかもしれない。カイトの世界で見た光景が、美しさの中に虚実が混ざっているような印象だったのも、彼の心が偽りの『KOKORO』で埋め尽くされていたからだとしたら、納得がいく。
 「ようするに、あのルカって子。ただ単に心を閉ざしてるだけよ。入り口が見えないのも、たぶん無意識に見せないようにしてるだけでしょ」
 言い切るや、メイコは肘掛から立ち上がり、おもむろに純白の壁に手をつけた。一同がきょとんと見守る中、彼女はレンに声をかける。
 「レン、もういいわ。こっから先は私がやるから」
 「え、でもルカの心の場所、分かるのか?」
 当然の質問といえた。だが、メイコは少しだけ笑い、
 「分かるわけないじゃない、場所なんて。でも、ここは私の心の世界。私が強く想い念じれば、向こうを無理やり引き寄せることはできる。そう言ってたわよね?」
 「うん。でも、メイコはルカのこと、よく知らないからって言ってたじゃないか」
 「そうね。あの子のことは知らない。だからルカのことを心配したり、助けたいと心の底から思ってやることは、今はできないわ」
 語尾が強まる。メイコの秘めている熱いマグマのような感情が膨れ上がるのを、リンは感じた。
 メイコの伸ばしている右手が、壁にめり込んだ。というよりは、突然壁が水面になり、そこに右手が吸い込まれたという感じだ。
 「でもね、想いはそれだけじゃない。苛立ち、怒り、それも想いなのよ。ウジウジ心に閉じこもってるのがみっともないってのは、私が一番わかってる。それだけに、前の私と同じことしてる奴を見ると、イライラしてしょうがないのよね」
 「メイコ、それってつまり……」
 熱風のような感情に当てられながらも、飲み込まれることなく呆れたような顔で、カイトが呟いた。メイコと心が近いらしい彼のことだ、きっと何を考えているのかを察したのだろう。
 もっとも、リンもレンもミクも、彼女がやろうとしていることは分かっていたが。同時に、止めても無駄だろうことも悟っている。
 「出てこないなら、引きずり出してやるまでよ!!」
 右腕を思い切り引いた。壁が崩れ、世界が揺れる。純白の壁を破片に変えながら、巨大な扉が現れた。
 長身なカイトよりも50cmほど高さのある、鉄扉だ。メイコの掴んだドアノブ以外は、厳重に鎖と錠前で縛り付けられている。他者を完全に拒絶する、そんな扉。その異様さに、リンもミクも絶句する。
 しかし、扉は目の前にあるのだ。これは、大きな前進と言えた。メイコが両手を2、3度打ち合わせて埃を払う動作をし、
 「さーって、後はこいつをこじ開けるだけね」
 「ほ、ホントに扉を引っ張り出した……」
 散々苦労してルカの心を探していたレンは、目を丸くする。一度そちらに振り向いて、メイコが得意げな顔をしてみせた。
 ソファから立ち上がったカイトが、ドアノブを回して引っ張った。鎖と鎖がぶつかり合う鈍い音だけが響くだけで、扉は開きそうもない。
 「これは……どうしたものかな」
 「向こうから開けてもらえないかな?」
 恐る恐る扉に近寄りながら、ミク。だが、レンは肩をすくめた。
 「それができたら、最初から苦労してないよ」
 「ノックしてみます?」
 自分ならそうするだろうと思い、リンが提案した。カイトとミクが半眼で振り返ってきたが、扉を見つけた本人が、意外にも肯定する。
 「そうね、やってみる価値はあるかも」
 「本気かい? そのくらいで開くとは思えないけれど」
 顔を覗き込むカイトに、メイコは不敵な笑みを口元に浮かべた。一同に、嫌な予感が走る。それを無視して、栗色の前髪をかき上げた女は、
 「離れてなさい」
 とだけ言った。全員がそれに逆らわず、青い顔で反対側に退避する。リンは、こんな提案しなければよかったと全力で後悔した。なぜならば、
 「ル・カ・さぁぁぁん! お届けものですよぉぉぉ!!」
 錠前や鎖を砕かん勢いで、メイコが扉を蹴りつけたのだから。腰に両手を当てて、右足だけを無造作に振り上げ、ブーツを叩きつける。いわゆる、ヤクザキックである。
 「心を!! お届けにィ!! 来ましたよぉぉぉ!!」
 「め、メイコさん! やりすぎですよ!」
 悲鳴じみた声をミクが上げるが、メイコの叫びと蹴られる扉の音にかき消される。こんなことをしたら、ルカはもっと心を閉ざしてしまうのではないか。少なくとも自分なら絶対に開けないと、リンは口に両手を当てながら胸中で断言した。
 「開けてー、ルーカちゃーん!! 怖いことしないからー!! 開けなさぁぁぁい!! ……開けろっつってんでしょーが!!!」
 ドラマで見た、借金の取立てがこんな感じであった。カイトが顔を左手で抑えて、溜息とともにぼやいた。
 「無茶苦茶だ……」
 「で、でもあれ!」
 レンが指差す。錠前が、1つ壊れた。見れば、鎖も2本ほど切れている。信じられないが、効果はあるようだ。
 轟音を立てながら、メイコは扉を蹴り続ける。そのたびに、錠前と鎖が壊れていった。
 最後の1つとなった鎖を、両手で掴む。歯軋りをしながら思い切り引っ張る姿は、できるだけ早く忘れようとリンは心に誓った。
 「出てこないなら、こっちから行くわよォ!!」
 鎖が、引きちぎれた。鉄扉を封印するものはもはやなく、一仕事終えたメイコは、額を拭う。汗は掻いていてないだろうが。
 ぞろぞろとメイコ――もとい、ヤクザ女――の周りに集まった一同は、改めて扉を見上げる。重々しい扉の雰囲気は、そのままルカの心を表しているかのようだ。
 「さー、行くわよ」
 誰もが開けることを躊躇っていたドアノブを、メイコはまるで自室のものであるかのように握り、回す。重苦しい音を立てて、扉が開いた。同時に、世界が変質する。
 白と赤の部屋は消え去り、上書きされるかのように現れたその世界は――――
 現実世界でどこにでも見る、古びたアパートの一室だった。




 アンドロイド一同は、月光が差し込む質素な部屋に立っていた。
 広さや内装は、お世辞にも豪華とは言えない。唯一部屋と呼べるリビングの中央には、使ってそのままであろうグラスがあった。小さな冷蔵庫とテレビ、シーツがクシャクシャになっているベッドが、それぞれ部屋の隅に置かれている。
 男性の部屋だ、とリンは思った。あるいは、美鈴ならばこのくらい散らかすかもしれない。ともかく、掃除したいというのが、リンの第一印象だった。
 しかし、窓際で月を見上げている住人は、とてもこの部屋には似つかわしくない、美しい女性だった。
 「お邪魔するわよ」
 先頭を切って部屋に入ったメイコが、この部屋の住人に言った。桃色の長髪を掻き揚げて、女性がこちらを向く。
 「……あれだけ無理やり開けたのに、いまさら断りを入れるなんて、ずいぶんと殊勝なことね」
 女性――ルカは、拒絶するでもなくメイコに視線を向けた。先ほどまで心を閉ざしていたとは思えないほど、冷静にこちらを見つめている。
 「それについては、全面的に謝るよ。もう少し方法を考えるべきだった」
 頬を掻きながら、カイト。憮然とした顔と視線でメイコが何かを訴えたが、誰もがそれを無視した。謝罪されたルカは首を横に振って、
 「いいのよ。心……あの人が私に与えたがっていたのは知っていたもの。それを手に入れられて、ヤンの気持ちに答えられて――嫌な気分はしないわ」
 リンは内心で胸をなでおろした。ルカがヤンを嫌っていたらどうしようかと思っていたのだ。だが、そんなことは杞憂のようだ。それどころか、好意すら感じられる言葉を発した。
 「なんで、心を閉ざしてたんだ?」
 包み隠さず、ストレートにレンが尋ねる。すると、ルカは視線を宙に彷徨わせて数秒後、首をかしげてみせた。
 「さぁ、どうしてかしらね」
 「どうしてって、あんた」
 半眼で、メイコがうめく。クスクスと笑ってから、ルカが呟いた。
 「自分自身に感情なんてものがあるとは思わなかったもの。私は、擬似感情プログラムが壊れていたせいで、人間の真似事すらできなかった。それに、人が見せる感情の起伏を、私はほとんど見たことがなかったのよ。
 だから、私は心を開く方法が分からなかった。まさか、あんな強引にこじ開けてくるなんて思わなかったけれど」
 「それはもういいでしょ、過去のことじゃない」
 一応は悪いと思っているらしく、メイコは気まずそうに溜息をついた。ルカが口元にひだりてをやって、上品に笑う。
 ようやく場の空気に馴染めたリンは、今までの話を反芻して首をかしげた。
 「感情を見たことがないって言ってましたけど、ヤンさんは? 一週間に一回だけど、おうちに帰ってましたよね?」
 「あの人は、口下手なのよ。あまり笑わないし、喋らないわ」
 「ヤンさんが、口下手? そんなことないと思うけどなぁ」
 彼女の癖らしい、人差し指を口に当てて、ミクが思い出すように言う。リンの記憶にあるヤンも、結構なおしゃべりでよく冗談を言う、面白い人というイメージが強かった。
 再び月を見上げて、ルカは目を細めた。
 「そう……。あの人は、不器用なのね。捨てられていた私を拾った時にも、あんなに怖い顔と大きな体をしているのに、子供みたいに泣き叫んでいたわ。どうして泣いていたのか……今になってやっと、分かった気がする」
 「ヤンが、泣き叫んだの? 面白そうな話じゃない、聞かせなさいよ」
 好奇心を隠しもせずに、メイコが一歩前に出た。テーブルを挟んだ反対側にルカはいたが、そのテーブルを踏み越えていきそうな勢いだ。すかさず、カイトがその肩を掴んだ。
 視線を落として、ルカが首を横に振る。かすかだが、笑ったような声も聞こえた。
 「だめよ。これは私とヤン、2人だけの秘密だもの。……必要とされなくなった、ゴミと呼ばれたことのある2人だけの、秘密」
 「ゴミ……?」
 重く響いた2文字の言葉に、レンが息を呑む。
 「そう。私はKAMALOIDとして、あの人は人間として……世界に馴染めなかったの。立場はまるで違うけれど、ヤンと私はゴミとして扱われていたのよ。
 擬似感情プログラムの壊れたKAMALOIDも、心の壊れた人間も、社会という歯車に噛み合わない存在は、きっと世界に必要なかったのでしょうね。」
 「酷い……」
 ミクが眉を寄せて呟いた。リンも同感だったが、当の本人は涼しい顔だ。
 「優しいのね。そう言ってくれるのは、素直に嬉しいわ。でも、同情がほしいわけじゃないのよ。全ては事実であり、過去のことなのだから。今の私にはヤンがいるし、ヤンには私がいる。もうお互い、ゴミじゃないの。
 だから、このお話はおしまい。あなたたちは、もっと大切なことを私に聞きにきたんじゃなくって? わざわざ心の扉をこじ開けてきたんですものね」
 「あんた、わざとやってるでしょ……」
 メイコが片眉を吊り上げてうめく。もっとも、無理やり扉を開けたこと自体は、間違ったことをしたと思っているわけではなさそうだが。
 「あら、なんのことかしら」
 とぼけて、ルカが肩をすくめる。今いる面子で誰よりも大人びた性格の女性は、もしかしたら言わずともこちらの聞きたいことに気づいているのかもしれない。とはいえ、このままいつまでも雑談を続けるわけにもいかず、リンは本題を切り出すことにした。
 「ええっと、ルカさん」
 「なにかしら?」
 妖艶な微笑みを浮かべられて、一瞬たじろぐ。なんとか気を取り直して、リンは続けた。
 「あの、私のブレインと繋いだとき、その……『KOKORO』プログラムを、拒絶しませんでしたか?」
 「えぇ、拒絶したわ」
 「その……どうして?」
 「そうね、。理由は2つあるわ。1つは、機械としての私が『KOKORO』を警戒したから。ヤンが話をしていたけれど、それが悪意のあるプログラムである可能性は0ではなかったからよ。
 それと、もう1つ。私がヤンを受け入れないかもしれないのが、怖かったのよ。あの人を嫌ってしまって、傍にいれなくなったら、私はまたゴミに戻るのかもしれない。そう思うと、とても恐ろしかったわ。もっともこの気持ちは、心を得てから気づいたのだけれど。
 結局は杞憂だったのよ、どちらの理由もね。間抜けな話だわ」
 自嘲気味な微笑すら、美しかった。話の中ごろからボーっと見とれていたレンのわき腹を小突く。もっとも、リン自身も似たようなものだったかもしれないが。
 「なによ、自分で気づいてたの? じゃあ心を閉ざす必要なんてなかったじゃない」
 「そうね。でも、紛い物の感情すらなかった私には、心を得るという変化はあまりにも大きすぎた。どうしたらいいのか分からなくて、困っていたの。
 心を開くことができたのは、あなたのおかげね。ありがとう、赤い服のお姉さん」
 また茶化されたような気がしたのか、メイコが何かを言いかける。しかし、自然に緩んだルカの顔は心からの感謝を伝えていて、一度口を閉ざしたあと、メイコは前髪を掻き揚げた。
 「まぁ、気にしなくていいわ。ちょーっとばっかし強引だったかなって思ったけど、役に立てたなら結果オーライよね。
 それから、私の名前はメイコ。秋山美鈴の作ったVOCALOIDよ」
 「あら、そういえば自己紹介がまだだったのね。私はルカ。ヤン・メイ所有のKAMALOID。よろしく」
 ようやく立ち上がって、ルカが皆に恭しく一礼した。それに、カイトは軽く頭を下げ、ミクはルカに習って腰を折る。
 「僕はカイト。こちらこそよろしく」
 「ミクです。私とカイトさんも、VOCALOIDです」
 「歌うアンドロイドね。ヤンが話していたわ。
 ……そちらの、可愛い双子さんは? あなた達も、VOCALOIDなのかしら」
 ルカの視線がこちらを向いた。妖艶な瞳に見つめられ、リンはなぜかしどろもどろになったが、なんとか答える。
 「あぅあぅ、えぇっと、私はリンです。美鈴さんとこのアンドロイドだけど、VOCALOIDじゃないです」
 「俺はレン。リンのブレインにシステムとして存在してるアンドロイドだ。
 俺たちは500年前に作られたアンドロイドで、『KOKORO』プログラムのオリジナル、ってことになる。ルカたちが持ってる『KOKORO』の大本は、俺たちの生みの親であるクリプトン博士が作ったものなんだ」
 細かく説明してくれたレンに、リンは視線で礼を述べた。彼はこちらを向かなかったが、きっと気づいてくれているだろう。
 興味深そうに聞いていたルカが、こちらに近づいてきた。リンの前で腰を落とし、頬に手を当ててくる。瑠璃色の瞳が、じぃっとこちらを見つめている。
 「不思議ね……。リンを見ていると、なんだかとても、ふわふわした気持ちになるわ。あの人といる時と似ているけれど、どこか違う。雲みたいに柔らかい感じ」
 「いやぁ、そんな」
 間近でそんなことを言われては、頬が緩むのを押さえられるわけがなかった。ミクとカイトが、苦笑している。
 「この子はねー。もうなんていうか、奇跡が詰まった女の子なのよ」
 黄色い髪に手を乗せて、メイコが目を細めた。ここまで言われてしまったら、逆に恥ずかしくなってしまうリンであった。
 その傍らで、レンが少し俯いた。
 「……リンは、クリプトン博士に愛されていたから。今だって、美鈴さんにも……みんなにも」
 頬に当てられていたルカの手が、離れた。立ち上がった彼女は、少し震えているレンに視線を移す。
 「俺は……双子として、作られたんだ。リンが寂しくないようにって。……他の誰でもない、リンのために。
 だから俺には、リン以外の誰かを優しい気持ちにする奇跡が、ないんだろうな」
 「そんなことないよ。レンと話せて、私はすごく嬉しかったし、暖かかったよ」
 慰めるように優しく、ミクがレンの手を取った。どうして彼がこんなことを言ったのか、リンには理解しかねた。普段の彼なら、こんな弱音は吐かない。
 自分が何を言ったのかを理解したのか、レンはハッとして、ミクの手をそっと離す。
 「ご、ごめん。変なこと言って」
 「謝らなければいけないのは、私ね。あなたを落ち込ませるようなつもりはなかったのだけれど」
 眉をハの字にして、ルカ。謝罪の視線を遮るように、レンが両手を突き出した。
 「いやいや、そんなことない! ルカが謝ることじゃないんだよ。ただ、なんていうか……。
 こんなに沢山の同類と話したの、初めてだったから、嬉しかったんだ。ルカが心を開いて、もうそろそろ戻るころだろ? そう考えると、ちょっと――寂しくなっちゃって」
 頬を少し赤くして、レンは苦笑した。皆が現実へと戻れば、彼はまた、心の世界に1人きりなのだ。それを思い出すと、リンも少し寂しくなった。
 「レン……」
 「ごめんなみんな、変な空気にしちゃってさ。俺のことは本当に、気にしなくていいから。また、リンには会えるんだし」
 「そういえば、レンには体がなかったのよね……。ずっと、ここに1人でいるの?」
 「うん、まぁ。夜はリンが来てくれるけど、こんなにたくさんの友達と話したの、初めてなんだ」
 なんとかごまかそうと頬を掻くレンを、おもむろにルカが抱きしめる。突然柔らかな胸に顔を包まれ、少年は一瞬だけ抵抗したが、すぐにすとんと両手を落とした。 
 「かわいそうな子。たった1人で、寂しいでしょうに」
 「……でも、それはリンも同じだったから。それに今は、リンがいる。ルカだって、同じじゃないか。ヤンって人、1週間に1回しか帰ってこないんだろ?」
 「そうね……。でも、だからこそ、寂しさを隠そうとするあなたを放っておけないの。私にはこうして、抱きしめてあげることしかできないけれど」
 「いやー、十分役得だと思うけどね。アンドロイドだからあれだけど、人間なら泣いて喜びそうな絵よね、これ」
 ニヤニヤと茶化すように言ったのは、メイコだった。皆が優しく慰めてしまっては、レンの男としてのプライドを傷つけかねない。リンには分からなかったが、彼女なりの気配りだった。
 メイコの冗談を汲んだカイトが、おどけたように肩をすくめる。
 「こんな綺麗な人に抱きしめられて、いいねぇレン。僕も寂しがってみればいいのかな?」
 「あらカイト。あんた意外とスケベ? 仕方ないわね、お姉さんが抱きしめてあげるわ」
 「……やっぱいい。メイコならいいや」
 「へぇー、そう。そんな言われ方しちゃったら、余計やらずにはいられないわ」
 絡み付いてくるメイコを、カイトが無表情に突き放す。その行動の意図が理解できず、リンは本当にカイトをスケベな人なのだと思い始めていた。しかし、ミクが苦笑いでその様子を見守っているのを見て、冗談なのだと分かった。
 抱きしめられていたレンが、ルカの腕をやんわりとどけた。リンと同じ翡翠の瞳は、強く輝いている。
 「ルカ、ありがと。でももう大丈夫」
 「レン……」
 「ほら、こんなんだけど、兄さんと姉さんもいるしさ」
 「だァれがこんなんですってー?」
 カイトの青いマフラーを引っ張りながら、メイコがすごむような視線をレンに叩きつけた。もっとも、次の瞬間には笑いながらカイトを解放していたが。
 ちらりとこちらに目を向けてから、レンは続ける。
 「ミクとリンもいるし……、ルカもいるから。こんなに家族がいるんだ、寂しいなんて言えないよ」
 「……そう。強いのね、レンは」
 「みんなのおかげだよ。……でも、ちょっとだけわがままが言えるなら――」
 レンがこちらを向いた。視線を交わらせてきたレンの顔は、いつもどおりの彼だった。
 「リンに、頼みがあるんだ」
 「うん、なに?」
 「美鈴さんに、伝言を頼みたい。できるかな?」
 「いいよ。なんて言うの?」
 一拍の間を置いてから、覚悟を決めたかのように、レンは言い切った。
 「俺、体が欲しい。カイトたちのボディと同じでもいいから、体をください。……そう伝えて」
 「……!」
 「寂しいとか、そういうのじゃないんだ。……それも少し、あるけどさ。でも、それよりも俺、思ったんだ。
 リンが今までそうしてきたように、美鈴さんの研究にもっと協力しなきゃって。そしたら、結果的にもっとみんなの力になれるだろ? 『KOKORO』のことでもそうだし、俺はシステムでいた時間が長いから、リン以上に『RIN』のボディやプログラムについて詳しい」
 「で、でもいいの? 私と同じタイプの体じゃなくて」
 「……うん。いつかその体になるためにも、ミクたちにもそうなってもらうためにもさ、俺の力は必要だと思うから」
 リンは迷った。片割れの少年が言いたいことは分かる。だが、レンはリンと同じ、クリプトン博士の作ったアンドロイドなのだ。自分と同じボディじゃないということは、父との接点が遠くなってしまうのではないか。彼がそう考えて思いつめてしまうことが、心配だった。
 こちらの気持ちを察してか、レンが笑った。
 「リンはボディもシステムも、ほとんどクリプトン博士が作ったやつだろ? 逆に、ミクたちは大体が美鈴博士の作ったものだ。俺はその間。2人の天才に作られるんだ、なんだかすごい感じしない?」
 「そういうことなら、私は『KOKORO』以外、秋山美鈴という方にもクリプトンという方にも無縁ね。考え方を変えれば、世界中のKAMALOIDに心があることを証明したことになる。さしずめ、新たな可能性の道しるべといったところかしら。
 レンはシステムとしてのアンドロイドの、私は笑顔売りや抱き人形の希望となる、ということね。あら、私とレンは意外と似たもの同士なのではなくて?」
 相変わらず妖しく美しい微笑みで、ルカがレンの背後から、その両肩に手を置いた。
 「あはは、そうかも。ねぇリン、伝言、頼めるかな?」
 話を聞いていて、とっくに了解の返事をした気になっていたリンは慌てて、
 「うぇ、うん! わかった、伝えておくよ」
 「ありがとう。楽しみにしてる」
 顔をほころばせたレンに、リンも似たような表情で頷いた。
 一連のやり取りを眺めていたカイトが、兄のような穏やかな顔で、レンの頭を撫でる。なぜかリンは、羨ましいなと思った。
 「体ができたら、たくさん話して、遊ぼう。待っているよ」
 「うん。約束だぜ、カイト」
 2人が握手を交わした。その様子を眺めていたルカが、胸の前で手を組んだ。
 「あぁ……。素敵だわ、心の繋がり。私もヤンと、心で繋がれるかしら」
 「大丈夫ですよ。ヤンさん、優しいですから。信じてあげてください」
 「そうよね、リン。信じているわ。あの人のことも、あなたの言葉も。ヤンはすごく優しくて、素敵な人だもの。天使のように微笑んで、また抱きしめてくれるわ。出会った時のように」
 妖艶さが消え、まるで乙女のようにルカが呟く。それをメイコが、引きつった笑顔で眺めていた。天使の微笑みを浮かべてルカを抱きしめるヤンを想像してしまったのだろう。リンはその想像を思考から排除することに成功していた。
 ルカの世界が白みを帯びる。窓の外を見やれば、なにものにも汚されない天使の翼よりも白い朝日が差し込んできていた。
 世界の変質は、閉じこもっていた世界の主が心を開き、目覚める時に起こる。メイコに心を届けたときに、リンはそれを知った。
 今、ルカは真に心を開いたのだろう。リンたち家族だけでなく、世界の全てに。差し込む朝日は次第に強まり、皆を包み込む。
 「帰りましょう、ルカさん。きっと、ヤンさんが待ちくたびれてますよ」
 海色のツインテールを揺らして、ミクがルカの手を引いた。メイコとよりも外見の年齢が近いからか、それはよりいっそう、姉妹のように見える。それこそ天使のように微笑して、ルカは頷いた。
 「えぇ……。みんな、本当にありがとう。私に心を届けてくれて……」
 ミクに手を引かれて、ルカは純白の光に溶けていった。片割れを見れば、カイトとメイコを見送ったところのようだった。
 振り向いたレンがにっこりとして、
 「じゃあ、またな」
 「いろいろありがとうね、レン。またね」
 少年が、光の粒子となって、消えた。その一粒を手を伸ばしながら、
 「伝言、ちゃんと伝えるからね」
 呟きが終わるころには、リン自身も天使の白に吸い込まれていった。




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第11話 想いは命の境界を超えて 

ココロ~another future~

 夜空から届けられた月明かりは、エアフィルターを通り抜けて、ニコツーを照らす。一日中ネオンで彩られた繁華街では気づけない、母のような柔らかさを感じながら、ヤンは部屋の扉を閉めた。
 ここに帰ってくるのは、一週間ぶりとなる。毎週日曜日のみ、実家となる小さいアパートへと帰省していた。
 時計が23時を少し過ぎたことを表している。そちらを眺め、靴を脱いでから、ヤンは壁へと背を預けて溜息をついた。
 バスルームに通じる扉を通り過ぎ、質素なベッドに腰掛けた。
 部屋の中には、ベッドと机、クローゼット、1人暮らしに最低限必要な家具だけが置かれていた。男の1人暮らしにしては、几帳面に片付いているのが印象的と言えるだろうか。
 月明かりだけが差し込む部屋で、しかしヤンは電気をつける気にはならなかった。暗がりに目が慣れてくれば、夜と月のコントラストで幻想的とも見えるこの場所は、自分にとっては帰るべきところ。やはり、居心地がいいものだ。
 「ただいま」
 大男にしては似合わない、弱弱しい挨拶だった。それに、感情が感じられない声が返ってきた。
 「おかえりなさい」
 窓辺に佇む、美女だった。年のころ20前後だろうか。見た目で言えばそうなるが、ヤンは彼女の年齢を把握していなかった。
 窓の外を眺める横顔には、人間のそれではなく、もう何度も見てきたアンドロイドの無表情があった。人型であり、彼女の作られた目的を考えるならば、笑顔の1つも浮かべていいはずだ。
 そのアンドロイドは、抱き人形であった。見た目だけならば人間とも笑顔売りとも、VOCALOIDとも変わりはない。内外のパーツが少々違う、温もりと安心感、そして性欲を満たすために作られたアンドロイド。ヒンドゥー教の愛を司る神から名前を取り、KAMALOID(カーマロイド)と呼ばれている。
 「今日はどうしますか?」
 振り向いた為に逆光になり、表情がよく見えない。だが、きっと彼女は笑っていないのだろう。今までだって、ヤンは一度も彼女の笑顔を見たことがなかった。笑顔売りの延長にあるので、その程度の機能はあってしかるべきなのだが。
 ともかく、彼は肩をすくめて、彼女の質問に答えた。
 「何も。いつも通りでいいさ」
 「わかりました」
 KAMALOIDは動かず、再び視線を遠くへと向けてしまった。
 「……ごめんな、ルカ」
 「……」
 謝罪の理由は1つ。ヤンは一度としてこのKAMALOID――ルカを、本来の用途として使ったことがなかった。それが彼女の存在意義を否定してしまっているかのようで、心苦しいのだ。
 「……嫌いなわけじゃ、ないんだぜ」
 「……」
 やはり返答はなかった。ベッドに寝転がり、暗闇の奥に広がる狭い天井を眺めながら、ヤンはもう一度、ごめんと告げた。
 「お前をもらった時は、抱き人形をタダで手に入れられたって、嬉しかったのにな」
 「……」
 ルカが何も言わないのは分かっていた。彼女に話しかけるというより、独り言のようだった。その虚しさに、ヤンは溜息をついた。
 彼女をもらった当時、ヤンは22歳。魔が差してやってしまった窃盗の罪を償い、刑務所から出所したばかりの頃だ。
 人付き合いは苦手ではない。だがそれは、友人や上司との付き合いであって、ヤン・メイという人間は、恋愛というものが大変苦手な男であった。
 投獄されている間に、不器用ながらも将来を誓った恋人は、別の男と婚約していた。無理もないことだと諦めはついたが、それでも寂しさは、当然付きまとう。
 新たな出会いもなく、以前の恋を忘れられなかった。自分以外にも同じような境遇の人間がいるであろうことも分かっていながら、ヤンは自身を蝕む圧倒的な孤独感に苛まされていった。
 誰にも理解できないであろう、壮絶な人肌恋しさ。理解してもらえたとて、それを癒せるかどうかは、また別の問題であった。
 職場でも孤立し、今なお残る流行自殺の風潮に流され、孤独にあえぐ彼が求めたのは、人の温もり。情欲を発散したいのではない、ただ、生きている温かさを感じたかった。
 出回り始めたKAMALOIDの噂を聞いたのは、ちょうどそんな時だった。機械でもいい、抱きしめてくれて、抱きしめられる相手が欲しい。
 一心不乱に働いて、稼ぎ、それでも当時のKAMALOIDの値段には届かなかった。気力も尽きたヤンは、死に場所を求めて彷徨った。
 ふらりと立ち寄った、どこにでもあるアンドロイド製造工場で、作られていく笑顔売りや抱き人形を眺めていた時だ。粗雑に扱われる、一体の女性型アンドロイドを見つけた。
 長い桃色の髪、美しい顔立ち。笑顔売りとしても抱き人形としても、外見は欠陥があるように見えなかった。だというのに、起動もしていないそれはゴミのように投げられ、隅に置かれていた。その姿に自分を重ねてしまったのか、ヤンは仮縫いの服を適当に着せられたアンドロイドを抱き上げた。
 腕に伝わるアンドロイドの冷たい肉感に、ヤンはなぜか涙を流していた。不信そうに眺めてくる従業員を捕まえて、ヤンは懇願した。この子を俺にくれ、と。
 すぐに現れた工場長は、肩をすくめて、好きにしろと言った。曰く、そのKAMALOIDはジャンクだ、笑わないから売り物にならない、と。
 永続バッテリーもつけてくれて、ヤンはその場ですぐに起動させた。目を開いたKAMALOIDは、確かに笑わなかった。しかしそれでも、彼女の瞳に何かを見た気がして、起動言語を述べるそれを力いっぱい抱きしめ、涙ながらに呟いたのだ。
 「俺が傍にいてやる、か。我ながら恥ずかしいこと言ったもんだよなぁ。傍にいてほしかったのは、たぶん俺の方なのにな」
 飽きずに窓からの景色を眺めるルカに、ヤンは苦笑をもらした。
 「あの後1人でジャンクハンターやって、タッチーと組んでさ。抱き人形を持ってるって言った時のあいつの顔、酷かったんだぜ?」
 「……」
 「酷かったなぁ、あれは。家庭も築けない男が抱き人形など買うな、なんてさ。俺にとっちゃ、ルカは大事な家族なのに」
 「……」
 優しい静寂が心地よかった。体を起こして、冷蔵に入れてある安い缶入りの酒を一息に飲み干す。
 「……今俺が働いてるとこな、秋山美鈴の研究所なんだぜ」
 「……」
 「そこのアンドロイド、すげぇんだ。見た目じゃルカが一番だけど、あいつら、人間みたいに心があるんだぜ。信じられるか?」
 「……」
 空になった缶を捨てて、ヤンは感情のないアンドロイドの隣に腰を下ろす。彼女に習って、外を眺めた。
 「本当に……心があってさ。みんな、家族みたいで、すっげぇ居心地がいいんだ」
 「……」
 「なぁ、ルカ……。もし、お前に……心があったら……。リンみてぇに、思いっきり感情を出せるようになったら……」
 「……」
 「俺もルカも……会えなくて寂しい思い、しなくてすむのか……?」
 「……」
 どれほど無言が続いたのか。月は動いてしまって、光はもう、部屋に届いていなかった。
 起動していながら、KAMALOIDとしての機能がほとんど死んでいるルカは、ただヤンを迎え、話を聞き、送り出してきた。家主のいない一週間、彼女はずっとこうして、窓の外を眺めているのだろう。
 そう思うと、ヤンはいたたまれない思いになって、目を伏せた。
 「すまねぇ……。お前を使ってやれない俺に、お前を置いてけぼりにするような男に、そんなこと言う資格ないよな……」
 「……」
 冷たい床に置かれた、自分に比べてずいぶんと小さなルカの手に、ヤンは手を重ねた。循環液の作り出す人の体温が、愛しい。
 「今度帰ってきたら、一緒にどっか出かけようか。美鈴がいい給料出してくれたから、車、買えそうなんだ。
 がんばったんだぜ。タッチーは絶対貸してくれないし、美鈴の車はべらぼうに高いから、傷つけたら弁償するために一生働かなきゃなんねぇし」
 「……」
 「なぁ……どうかな? 俺とドライブ。嫌か?」
 「当機は、所有者であるヤン・メイの要求に従います」
 無表情から放たれたその言葉に、ヤンは思わず吹き出してしまった。
 「ははっ。仕方ないから嫌々付き合ってやる、って感じに聞こえるな。
 ……でも、ありがとうな。楽しみにしてるぜ」
 「……」
 「……じゃあ、今日は寝るわ。明日の夕方からまたあっちに行くけど、それまでゆっくりしようぜ」
 「おやすみなさい」
 「あぁ。おやすみ、ルカ」
 会話にならない会話を終えて、それでも十分満たされた気がして、ヤンはベッドに潜り込んだ。
 ルカのコアが異音を発しはじめたのは、彼が寝静まった後のことだった。




 城であった。
 それはもう、場所を変えても何百年と小さな研究所暮らしだった彼女にとっては容赦なく、限りなく、思わず眉が寄ってしまうほど、城であった。
 マリーの実家、ラダビノード邸である。屋外から眺めた時に、思わず逃げ腰になってしまったほどの大豪邸だ。部屋がいくつあるのか、住んでいるマリーも把握していない。
 時刻は早朝。人影はない。アンドロイドであるにも関わらず、慣れない場所で眠ったせいか早く目が覚めてしまったリンは、バグの可能性を考慮して念のためにブレインとコアをチェックして、異常がないと分かるや、熟睡するマリーと、彼女を抱えるようにスリープしているミクを起こさないようにこっそりと部屋を抜け出していた。
 人の家を探検する。そんな子供っぽい誘惑に素直に従って、あっちこっちを行ったり来たりすること15分。
 「ま、迷子になっちゃった……」
 眉が寄っている理由の1つが、まさにそれだった。クリーンアンドロイドや家政婦の姿があればいいのだが、日が昇り始めたばかりだ。気配はリンのものしかない。
 「うぅ……参ったなぁ」
 真っ直ぐ進めば迷わなかったろうに、彼女は目に入る曲がり角を片っ端から曲がり、階段を上り、下り、結果として自分が何階にいるのかすら分からなくなっていた。
 マリーの部屋という一室でさえも、美鈴の研究所のメインフロアくらいはあるのだ。もはやリンが自力で部屋に戻れる可能性は、皆無となっていた。
 「あぅー、どうしよう……」
 大げさに肩を落として溜息をつく。その背中に、声がかかった。
 「やぁ、おはよう」
 「うぇぁっ!?」
 おかしな声を出して振り向くと、相手も驚いたのか、眼鏡の奥にある目を丸くしていた。
 「あ、あぅ、おはようございます。その、ごめんなさい」
 「いやいや、突然声をかけてごめんよ。えぇっと、君はビリーさんのお嬢さんではないよね? マリア以外に娘さんがいるとは聞いていないし」
 「えっと、マリーの友達です」
 戸惑いながらも答えると、合点がいったと、眼鏡の青年は笑って頷いた。
 背丈はカイトほどあるだろうか。見上げなければ顔が見えないが、優しそうな顔立ちをした、20代半ばほどの好青年だ。眼鏡がよく似合っているなと、リンは思った。
 「私は、リンって言います。あの、美鈴さんとこの……」
 「あぁ、秋山さんの。彼女にはお世話になってるよ」
 「え、知り合いなんですか?」
 尋ねると、青年はにこやかに頷いて、
 「自己紹介が遅れたね。僕はトラボルタ・ウェーバー。VOCALOIDの楽曲提供者で、プロデューサーだよ。よろしくね」
 「えっ! ミクちゃんたちの歌を作ってる人ですか?」
 思わぬ対面に歓声を上げたリンだが、慌てたトラボルタが、リンの唇に人差し指を当てた。
 「しーっ。みんな起きちゃうよ」
 「あぅ、ごめんなさい」
 「手遅れだよ、リン」
 近くのドアが開いて、聞きなれた声がした。2人がそちらに目をやると、寝癖を直しもせずに、煙草を咥えた美鈴が携帯灰皿を片手に出てきたところだった。
 失念していた。今日は美鈴もこの家に泊まっていたのだ。
 「な、美鈴さん、ここの部屋だったんですか?」
 「あぁ、客間はこの辺り一体らしいから、好きな部屋を使ってくれと言われてね。しかし、寝付けなかったな。大豪邸は私の体に合わん」
 「同感です」
 トラボルタが苦笑気味に頷くと、美鈴は慌てるでもなく、寝ぼけた目をそちらに向けた。
 「ん、トラボルタじゃないか」
 どこかくぐもったような寝起きの声に、音楽家の青年が爽やかに微笑んで一礼した。
 「おはようございます、秋山さん」
 「おはよう。泊まっていたのかい?」
 寝巻きのままだらしなく煙草を吸う美鈴に、リンは突っ込みたくて仕方なかった。だが、トラボルタはそれほど気にしていないようだ。器の大きい人だと、心の底から感心した。
 「えぇ、ビリー会長と話し込んでしまって。ニコツーラインがメンテナンスで、深夜は電車が止まっていたので、泊めていただいたんです」
 「それは災難だったな。しかし、車で送ってもらうこともできたんじゃ?」
 「車酔いするんですよ、僕」
 「なるほど」
 美鈴が煙草を携帯灰皿へと押し込む。会話を聞いてて気になったことを、リンは素直に口にした。
 「えっと、トラボルタさんより、美鈴さんのほうが偉いの?」
 「……あぁ、私が彼を呼び捨てにしたり、トラボルタが私に敬語を使う理由か? リン、それだけで地位の上下を判断するのは、あんまり感心しないぞ。
 そもそも仕事が違うし、立場云々で私が偉いということはない。単純に私の方が年上というだけだ」
 「そういうことだね。年上の人には敬意を。大切なことだよ」
 言い切るトラボルタから、リンは美鈴へと目を移した。じっとりとした視線を感じて、美鈴が眉を寄せる。
 「……なんだ?」
 「ヤンさん、確か美鈴さんより年上ですよね?」
 「私はあいつを雇ってるんだ。いわば上司だ。問題ない」
 「……傲慢だなぁ」
 「なんだと?」
 さらに顔をしかめる美鈴から目を逸らし、リンは軽やかに話題を変えた。
 「トラボルタさん、この家詳しいですか?」
 「まぁね、何回も来ているから」
 「じゃあ、あの、マリーの部屋まで案内してほしいんですけど」
 「構わないよ。散歩の途中だったしね。秋山さん、起こしてしまってすみませんでした」
 言われた美鈴は、起床して二本目の煙草に火をつけ、紫煙をゆっくりと吐き出しながら肩をすくめた。
 「あぁ、大丈夫だ。実は起きてたんだ。ヤンから電話があってね。あいつの家にいるアンドロイドが壊れたとかなんとか」
 「えー、じゃあ私の声で起きたわけじゃないじゃないですか!」
 濡れ衣を着せられた、とリンが訴えると、美鈴は表情1つ変えずに、
 「しっかりと目が覚めたのは、君の奇声のおかげだよ、リン。ありがとう」
 「ぶー! 美鈴さんの意地悪!」
 小さく笑いながら先行したトラボルタの背中を追いながら、リンは美鈴に向かって思い切り舌を出した。
 階段を上る途中、窓から差す光が強くなっていることに気が付く。トラボルタも同じことを感じたらしく、眩しそうに目を細めた。
 「もう皆起きるころかな。まだ少し早いかな?」
 「えっと……今は6時10分ですね。早起きな人は起きてるかも」
 「時計を持ってたのかい? 腕時計はしてなかったよね」
 リンはその問いに、トラボルタが自分を人間だと思っているのだと感じた。そういえば、説明していない。
 もっとも、美鈴がブレインに時計機能をつけてくれたのは、ごく最近のことだ。なぜ今までなかったのだろうと、2人して首をひねったものだ。
 「えっと、私アンドロイドなんですよ」
 「あぁ、なるほど。ミクの言っていた、心がある最初の子、だね」
 ミクに会ったことがあるのか、と思ったが、VOCALOIDのプロデューサーであると言っていたのを思い出し、心中で1人納得した。
 「そうです。私の周りだと、アンドロイドに心があるって普通のことになってきちゃったんですけどね」
 「いやぁ、心を持ったカイトと会話をしたときは、本当に驚いた。あのカイトが、ってね」
 カイトの変貌ぶりは確かにすごかった。笑って頷きながら、最近心を手に入れた姉についても触れる。
 「メイコさんも変わりましたから、びっくりしますよー」
 「それは楽しみだなぁ」
 他愛のない会話をしている間に、リンはマリーの部屋へと帰還を果たしていた。改めて見ると、やはり個人の部屋の扉ではない。豪奢で丈夫そうな作りのドアには、『MARIAROND』と書かれた可愛い札が下がっている。
 「この家の間取り覚えるの、苦労しそうだなぁ」
 「僕もずいぶんと時間がかかったよ」
 「そうなんですかー」
 笑いながら、ドアノブに手をかける。直後、引いてもいないドアが突然開け放たれ、中から飛び出してきた少女に押し倒された。
 「リィィィィィィィン!」
 「うわぁ!?」
 文字通り飛び掛ってきたマリーと共に廊下に倒れ、巻き毛を下ろした少女に猛烈なほお擦りをされる。その頭の向こうで、寝巻きのミクが苦笑しているのが見えた。
 「どこに行ってたんですの? どこに行ってたんですの!? リンがまた何か、怒ってしまったのではって、私すごく心配で!」
 「ちょ、ちょっとお散歩してきただけだよ。早く目が覚めちゃったから」
 「よかったですわぁぁぁぁ!」
 叫びながら、マリーの腕に力が宿る。痛覚はないが、極めて重要機関である首が圧迫されていることを、ブレインが伝えてきた。
 「ぎゃー! マリー、腕が首を絞めているよ!」
 「マリア、落ち着きなさい」
 トラボルタに咎められて、ようやくマリーは顔を上げて、リンを解放した。
 「へ? あ、トラボルタ先生じゃありませんの。やだ、はしたないところをお見せしましたわ」
 立ち上がって、寝巻きのズボンについた埃を掃う。もっとも、廊下は綺麗に掃除されているので、汚れてはいないのだが。
 ともかく、息を取り戻したリンもふらふらと身を起こして、マリーの肩を掴んだ。
 「マリー、あのね、いい? 私はアンドロイドだから、首を絞められても苦しくはないけど、この辺りも機械だったりするんだ……。強い力を入れると、壊れるかもしれないの」
 「あぅ、ごめんなさい。リンが遠くに行っちゃったらって思うと、怖くて怖くて……」
 「本当に遠くへ召されるところだったよ」
 大きく息を吐き出すと、ミクとトラボルタが揃って、声を上げて笑った。
 「トラボルタさん、おはようございます」
 海色の髪を下ろしている少女の顔を、トラボルタが覗き込む。髪を結わっていないので、一瞬誰だか分からなかったようだ。すぐに頷いて、
 「やぁ、ミクも一緒だったのか。おはよう」
 「お仕事ですか?」
 「うん。カイトの新曲が大まかに出来上がったから、最終チェックをね。OKは出たから、午前中に家に帰って、仕上げをするんだ」
 「楽しみですわ、カイトさんの新曲。やっぱりバラードですの?」
 立ち上がってもなお腕にしがみついて離さないマリーが言う。トラボルタは頷いて、
 「そうだね、彼にはやっぱりバラードだと思うから。カイトが別のジャンルを歌ってみたいって言うなら、そっちも考えるんだけれど」
 「似合ってますもんね、バラード」
 青髪のアンドロイドを思い出しながら、リン。青年はそうだね、と笑って、少し落ちた眼鏡の位置を直す。
 と、思い出したかのように、リンが腕のマリーごと、一礼する。
 「案内してもらって、ありがとうございました。すっごく助かりました」
 「どういたしまして。それじゃあ、僕はこれで。マリアとミクも、またね」
 「はい、トラボルタさん」
 「ごきげんよう」
 挨拶を済まし、トラボルタが歩き出す。とても優しい青年で、リンはもう新しい友人ができたような心地でいた。
 そんなこちらの心境を察してか、ミクが笑う。
 「いい人でしょ」
 「うん、すっごく!」
 「あんなに心に響く歌を作れるんですもの、悪い人なわけありませんわ」
 太陽のように笑うマリーの言葉に、2人のアンドロイドは異論なく、素直に頷いた。
 話題を切って、ミクが妹分を部屋に促す。
 「ほら、そろそろ着替えないと、朝ごはんの時間が近いよ」
 少女3人が廊下から消え、爽やかな朝の空気が、屋敷を満たしていった。




 「なぁ、直るのか……?」
 そんなヤンの不安そうな声を、今日一日でこれほど聞くとは思わなかった。
 彼の持つ抱き人形が壊れたとかで、早朝に電話がかかってきたのだ。美鈴には連絡を取ったと言っていたが、彼女はまだ帰らない。渋滞にでも巻き込まれたのだろうか。
 太陽が高くなり始めた。作業用ベッドに寝かされた、桃色のロングヘアーの女性型アンドロイド。最近は抵抗が薄れてきたが、やはり娯楽用アンドロイドは進んで触る気にならない。
 ヤンが泣きそうな顔で抱えてきたKAMALOIDのブレインを嫌々調べていたが、立川はようやくディスプレイから視線を外し、冷めてしまったコーヒーを一口、嘆息した。
 「故障の原因は、循環液の腐敗だ。どれだけ長いことメンテナンスをしてなかったのか知らんが、せめて市販の循環液腐敗防止剤を飲ませておけば、ここまで酷くはならなかっただろう。
 だが、それより気になるのが……」
 俯くヤンに遠慮なく事実を告げていると、それを遮るように研究所のドアが開いた。家主の帰宅である。
 「あぁ、すまん。遅くなった」
 「構わん。それほど大きな故障じゃない」
 「調べていてくれたのか? 抱き人形なんて触りたがらないと思っていたが」
 「身内だからやってやっただけだ。誰とも知らん奴の頼みなら断っている」
 すっぱりと告げると、彼女はやはりなと苦笑した。すぐに気を取り直して、立川の後ろから画面を覗き込む。
 「あぁ、循環液がやられたか。一度排出して入れなおせばいいが、ボディにどれほどダメージがあるか調べないといけないな」
 「そっちはそれほど酷くもなかった。それよりも、秋山。気になる部分があってな」
 マウスを動かして、立川はブレインの情報を表示する。KAMALOID用の擬似感情プログラムがエラーを表示していた。
 「……? なんだ、ずいぶん前からプログラムが停止しているな」
 「ヤン。このアンドロイド、擬似感情を表示したことがあるか?」
 尋ねると、ヤンは肩を落として、手短な椅子に背中を預けた。
 「いや、そんな難しいこと言われてもよ」
 「あぁ、つまりだ。彼女は笑ったことがあるか?」
 美鈴が言いなおし、ようやく理解が及んだのか、俯いたそのままで、大男は首を横に振った。立川は遠慮なく溜息を吐き出し、
 「お前、こんなジャンクを買ったのか? 擬似感情表示ができない娯楽用アンドロイドなど、聞いたこともない」
 「……いいだろ、別に。こいつは、ルカはそれでも、ずっと俺のそばにいてくれたんだ」
 「当たり前だ。所有者がお前である以上、自分から傍を離れるアンドロイドなどいるものか。ここの連中を除いてだがな」
 淡々と告げる。我ながら心の冷たい人間だとは思うが、事実は事実だ。頭は悪いが相棒である男がジャンク品を掴まされたとなれば、多少頭にもくる。彼のための説教だと、立川は本気で思っていた。
 だが、すんなりと美鈴がそれを否定する。
 「あぁ、立川。ヤンはこのKAMALOIDを買ったわけじゃあないみたいだ」
 「……どういうことだ」
 ルカのボディを散々調べていた美鈴が、顔を上げて煙草に火をつける。
 「製造番号が無いんだ。この子……ルカといったか? 彼女は商品として扱われていなかった」
 「なに……? ではどこで」
 「拾ったんだ、工場で。ジャンクだから好きに持ってけって言われてよ」
 被せるように呟いたヤンは、突然立ち上がって、美鈴の肩を掴んだ。気おされて仰け反る女科学者に、必死の形相で頼み込む。ここまで必死な相棒の姿を、立川は見たことがなかった。
 「頼む、美鈴! タッチー! こいつを、ルカを、直してやってくれ!」
 「あ、あぁ。そんなに必死にならなくても、故障箇所を直すだけならすぐに終わる。だが、元々あったブレインの故障はどうする?」
 「……」
 当然の確認だと思ったが、ヤンはまたも俯いてしまった。肩を掴んでいた手が、だらりと地面を向く。
 「おい、ヤン」
 立川が声をかける。すると、ヤンは一度溜息を吐き出して、呟いた。
 「だめなんだわ」
 「なにがだ?」
 紫煙を吐き出す美鈴に聞かれて、ヤンはもう一度、嘆息する。
 「だめなんだ……。俺には、こいつの笑顔を見る権利がない」
 「何を言っているのか、理解できん」
 コーヒーを飲み干して、立川は白衣の襟を直した。らしくない相棒の姿に、なぜか落ち着かない。そんなこちらの気持ちを知らずに、ヤンは目を右手で覆う。
 「俺は……ルカを一度も、抱いたことがないんだ」
 「む……」
 美鈴が何かを察したのか、煙草を消す。そちらを見ずに、ヤンは続けた。
 「抱き人形が欲しかったのは確かなんだけどよ……。ルカを、そういう風に使えなかったんだ。こいつの存在する意味を、俺は無視して、傍に置くことしかできなかったんだ。
 しかも、しょっちゅう留守にして、独りぼっちにさせてよ。そんな酷いことしてきたのに、今更ルカに笑ってもらおうなんて、そんな勝手なことってねぇだろ?」
 「……」
 「それに、そのプログラムを直して、もし今までの暮らしをルカが忘れちまったりしたら……。俺の中にあった小さいけど幸せだった思い出も、なくなっちまうような気がしてよ。もし、そんな心配がいらないとしても……。
 俺はルカが好きなんだ。アンドロイドだとか、そんなの関係なしに、愛してるんだよ。俺が惚れてるルカは、愛想が悪くて無口だけど、いつも一緒にいてくれる、そんなルカなんだ。
 こいつがいきなり機嫌取るように笑ってきたら、俺はもう……」
 ついに肩を震わせてらしくもない涙を見せてしまったヤンが、小さく、すまねぇと言った。美鈴を見れば、突然の告白に驚いていたようだが、今では新しい煙草に火をつけ、苦笑いすら浮かべている。
 ともかく、立川は相棒に、いつもと何も変わらない口調で言った。
 「お前が恋愛について語りたがらない理由が、ようやく分かった」
 「……すまねぇな。話したくなかったわけじゃないんだけどよ」
 「いや、構わん。だが、なるほどな。擬似感情プログラムを修復して起動させれば、恐らく今までのアンドロイド然としていたそのKAMALOIDは、別人のように笑顔を振りまいてくるだろう」
 「あぁ、それは違いないな。いつぞやのカイトより酷いぞ、KAMALOIDの媚の売り方は」
 空気が読めているのかいないのか、美鈴が笑った。もっとも彼女のことだ、こちらの考えは見抜いているのだろう。
 それを見抜けるほど頭の良くない相棒に、立川は言った。
 「擬似感情プログラムによって、今までの活動記録――ようするに記憶だが、それが消えることはない。そこは保障する」
 「……あぁ」
 「だが、確かにこのKAMALOIDの擬似感情プログラムは質が低い。俺も起動させる気がまるでしない。これは提案だが――」
 一旦言葉を切った。ヤンが、うつろな目をこちらに向けている。
 「ちょうど、新作VOCALOID用に作ったマイクロチップが完成した。慣れれば楽なものでな、いつかできるだろうLENのボディ分も作ってある。
 そのKAMALOID、といっても、抱き人形としての機能も故障寸前みたいだが。ルカに『KOKORO』を入れたらどうだ?」
 「……!」
 目を見開いたヤンに、美鈴が肩をすくめた。
 「まさか、立川の口からその言葉が出るとはな。だが、確かにいいアイディアだ。
 ついでといってはアレなんだがね、次のVOCALOIDは女性型ジャズシンガーでな。ロングヘアーと美麗な顔立ち、抜群のスタイルという完璧なプロポーションで男性客を掴む予定だったんだ。フェイスがなかなかできなくて四苦八苦していたんだが、どうだろう。彼女にそれを頼みたいんだが」
 「な……なに言ってんだよ、こいつ抱き人形だぜ?」
 「使ってないんだろう? それに、『KOKORO』を入れれば、そういった役割を超えるとも思う。ボディもそのオリジナルを元に新しく作れば、完璧だ」
 「ルカが……VOCALOIDになるって……?」
 作業用ベッドに横たわるKAMALOIDを見て、ヤンが言葉を無くす。
 「修理代としては高いかもしれんが、どうだろう。もしそうなるなら、ヤンを彼女の専属マネージャーにするつもりなんだが」
 しばらく呆然としていたが、ヤンは突然大きな声で、ダメだ、と叫ぶ。
 「やっぱダメなんだよ! 例えそれが本物の心だったとしても、俺には……こいつの笑顔を見る権利なんかねぇんだ!」
 「おいおい、意地を張るな。VOCALOIDが嫌だと言うなら、無理にとはいわん。『KOKORO』だけ入れてやることもできるぞ」
 「そういうことじゃねぇんだよ!」
 なだめようと美鈴が手を伸ばすが、それを振り払って、赤いジャケットの大男は頭を抱えた。
 「ダメなんだよ……。ルカには、会わす顔がねぇんだ。こいつの笑顔を見る権利なんて……」
 「ヤン……」
 かける言葉を失った美鈴が、しばらく迷い、諦めたのか、煙草を咥えた。
 しばし、重い沈黙。誰か、例えばスリープモードでメンテナンス中のメイコやカイトが起きてくれれば、多少はマシになったのだろう。だが、そんな希望は持たないほうがいいようだ。
 仕方なく、本当に面倒くさかったが、立川は普段絶対に踏み込まない役割を選んだ。
 「おい」
 「……」
 ヤンからの返事はない。構わずに続ける。
 「お前にこのアンドロイド――ルカの笑った顔を見る権利がないかどうかは知らん。お前の感じている罪悪感や後ろめたさも分からん。
 だが、これだけは言える。俺は『KOKORO』プログラムに触れてから、アンドロイドにも心があることを知った。その経験から、たった一言だ。
 お前は、ルカの気持ちを、考えていない」
 「……あ?」
 掴みかかりそうな形相で、ヤンが顔を上げた。その肉食獣じみた視線を正面から受け止め、しかし立川は臆することなく、
 「笑顔を見る権利。そんなものがあるのかどうかは知らんが、お前にそれがないと仮定して、それはルカがお前に笑いかけたくないのに笑う場合に限ることなんじゃないのか? 擬似感情プログラムを用いて強制的に笑わせられる、そのことでなら納得もいく。ヤンの気持ちを汲んでプログラムを起動させない選択もある。
 だが、お前はなんと言った? 本物の心だったとしても、それが本心からの笑顔であったとしても、ルカの笑顔を見る権利がないと、お前はそう言ったんだ」
 「あぁ……そうだよ。俺にはそんな資格ねぇんだよ!」
 「だからお前は馬鹿だ」
 断言して、立川は椅子から立ち上がった。長い時間座っていたから、少し腰が痛む。伸ばしながら、ためらわずに続ける。
 「ルカが本心からお前に笑いかけたとして、どうしてそれをお前の権利云々で否定しなければならんのだ」
 「なに……?」
 「まだ分からないのか? お前が罪悪感から笑顔を見れないと駄々をこねて、お前に笑顔を見せたいと心から思うルカの気持ちを、ないがしろにしたと言っているんだ」
 「――!?」
 絶句。ヤンはまるで金縛りにあったかのように、その場から動かない。
 「まったく……。俺は自分でも自覚するほど無愛想だ。人付き合いなど、面倒で仕方がない。そんな俺でも分かることが、人と話すことが好きだと豪語するお前が、どうして分からん」
 「立川……。お前、そんな話もできるのか」
 呆けていた美鈴が、ようやくその一言を搾り出した。まったく失礼な物言いだと思ったが、そう言われても仕方のない生き方をしてきたのだ。鼻を鳴らす程度に留めておく。
 「どうだ、ヤン。それでもお前は、こいつの……ルカの笑顔を否定するのか?」
 「俺は……タッチー、俺は……」
 「見たところ、内部損傷は多数あるが、外部の傷はほぼゼロだ。お前、このKAMALOIDをよほど大事にしてきたんだろう。それこそ、自分の恋人のように。
 ……俺は歯が浮くセリフが嫌いだ。これ以上何かを言えば流行自殺に関係なく死にたくなる。だから秋山、後はお前に任せる」
 突然振られて、美鈴はそれでも愉快そうに笑って頷いた。何を言いたいかは伝わっただろうし、それが彼らしくないからこそ、笑ったのだろう。
 「あぁ、こいつはこう言いたいらしい。
 『それほど大切にされてきたルカが、ヤンを嫌いになると思うか? ヤンに笑顔を見せたくないと言うと思うか?』
 こんな感じだろう? 立川」
 「……ふん」
 黙って聞いていたヤンだが、作業用ベッドで眠るルカの冷たい頬を撫で、語りかけた。
 「ルカ……。俺、望んでいいのか……?」
 ぽつり、ぽつりと、小さく見える大男が呟く。
 「俺、お前と話してぇよ。本当は、お前の笑った顔を、俺のくだらない冗談で笑うルカの笑顔を、見たいんだよ……。
 俺、つまんねぇ男だからさ。あんまりお前のこと、楽しませてやれないかもしれねぇ。うまく、笑わせてやれないかもしれねぇ。でも、がんばるからさ。できる限り、ルカに笑ってもらえるように、がんばるから……。
 体ばっかでかくて頭悪いし、顔も良くねぇし……。こんな俺だけど、お前と……」
 ヤンが、崩れた。ベッドの前に膝を着いて、ルカに想いを告げる。
 「ルカ……。俺はお前と、幸せになりてぇんだ――――」
 最後は、嗚咽になっていた。彼がどれほどの苦悩を持っていたのか、それは立川には図りかねる。だが、気が優しいお人好しであるヤンのことだ。長年、ずっと隠してきたのだろう。
 相棒の泣き崩れる姿は決して面白いものではなかったが、人との馴れ合いを嫌う立川であっても、今の彼には泣くことが必要なのだと分かったので、じっと見守る。
 どれほど時間がたったのか、そろそろ頃合かと、美鈴が立川の背中を押した。
 「あぁ、この子のボディを直す。悪いが、しばらくヤンを」
 「わかった」
 頷いて、大男を無理矢理立ち上がらせる。少しは落ち着いたらしいヤンの肩を担いで、
 「寮に行くぞ。小腹が減った、何か作ってくれ」
 「……あぁ」
 美鈴が作業に取り掛かったのだろう、後ろで聞こえる物音を無視して、研究所の扉を出る。太陽の位置が、もう昼に近いことを教えてくれた。
 「そうだな、寝起きから頭を使った、甘いものがいい。フレンチトーストなどができれば、それで」
 「……悪いな、タッチー」
 嘆息の混じった、謝罪。余計なことを言ったかと、立川は咄嗟にフォローを入れた。
 「なに、起き抜けに思考をすることなどよくある。おかげで朝だけ甘党だ」
 「そうじゃねぇ、そっちじゃねぇよ」
 弱く笑って、ヤンが立川の手をどかした。もう自分で立てるということだろう。無理に留めず、立川も少し離れて歩く。
 「みっともねぇとこ見せちまったし、お前にもらしくないこと、させたからよ」
 「……何度も言うが、お前は馬鹿だな」
 言うと、ヤンの疲れたような笑い声が聞こえた。この程度で傷つくような根性無しではないと分かっているので、訂正もしない。
 ただ、当たり前のことを当たり前に告げるだけだ。
 「相棒のために、慣れないことをしてやったんだ。この場合、謝罪の言葉は適切じゃないだろう」
 「……あぁ」
 隣を歩くヤンの表情は、そちらを見ていないので分からない。だが、少しは心が晴れただろうことは伝わってきた。親友の心情くらい、声を聞けばなんとなく分かるものだ。
 「ありがとうな、タッチー」
 「……ふん」
 研究所の敷地内に作られた男性寮、部屋は4つだけだが、立川は自分の部屋のドアを開けながら、まずは温かいコーヒーだなと、そんなことを考えていた。




 バーボンハウスは、今日は休業日だった。といっても、休みの曜日が決まっているわけでもない。ようは、マスターである秋山将盆の一存で営業日が決まるだけなのである。
 基本的に年中無休であるが、少ない常連は時折予告なしに店をやらないことを知っているので、特に困ったこともない。
 そんなわけで、将盆は今日、バーボンハウスの常連であり友人であるドクオとブーンと共に、適当なファミレスで休日を過ごしていた。
 2人の青年とは年齢が一回りも離れているが、それでも彼らは同年代の友人であるかのように話してくれるので、将盆も彼らを友として接することができた。
 「はぁ……」
 ずいぶん前に運ばれてきたパスタを突付きながら、ドクオが何度目になるのか、大きな落胆の溜息をついた。
 「あぁー……」
 「ドクオ君、どうしたんだい?」
 ただでさえ陰気に見える外見だ。気の毒になるほどの落ち込みように、将盆が声をかける。しかし、ドクオは首を横に振って前髪を揺らすだけだ。
 代わりに、ブーンがいつもと変わらない朗らかな声で言った。
 「次のライブコンサートのチケット、ドクオは取り逃したんだお」
 「チケット? VOCALOIDのかい?」
 「そうだお。カイトの新曲発表とミクちゃんのライブが合同になってるやつ。ドクオはミクちゃんの大ファンだから、そっちが目的だったんだお」
 「あぁ……ミクちゃん……」
 くるくる巻いていたパスタが、ドクオの気持ちと共に崩れ落ちた。水にも手がつかずに、氷はすっかり溶けてしまっている。
 「僕は世俗に疎いから、よく分からないんだが……。彼らのコンサートというのは、そんなに人気なのかい?」
 「え、ショボン、それはさすがにぶっ飛んだ質問だお」
 自分としてはおかしいことを聞いたつもりはなかったのだが、ブーンの表情から、どうやらよほど世間離れした問いかけだったらしい。それでも律儀に、小太りの青年は答えてくれた。
 「VOCALOIDのコンサートチケットは、いつも即完売状態だお。特に最近、コンセプトが『アイドル』から『ココロ』に変わってから、そりゃもう大変な売れ行きだお。ブーンもドクオも、チケット取るのに四苦八苦だお」
 「そうなのか。ライブの日はいつも、大通りは大混雑だからね。うちにも少しはお客が流れてくれれば、店も楽になるんだがねぇ」
 「そりゃ無理ってもんだお。ブーンとドクオはバーボンハウスで飲むこと前提だから節約してるけど、大抵の人はグッズとかモリモリ買うから、帰りはみんな金欠だお」
 「君達が来てくれるだけ、ありがたいと思おう」
 「おっおっ!」
 苦笑気味に言うと、ブーンは声を上げて笑った。一方で、ドクオは憂鬱な顔のまま、溜息と共にミクの名前を連呼している。少々不気味にも思えてきた。
 「ドクオ君、そんなに見たいのなら、美鈴ちゃんに頼んであげようか? 彼女ならきっと、チケットの一枚くらいは取れると思うけれど」
 「おっ!? それまじかお、超お願いしたいお」
 いち早く反応したブーンに遅れて、ドクオの瞳にも一縷の光が宿る。だがすぐに頭を振って、
 「いや、ダメだ……。自分の手でチケットを取らないと、ファンとして納得がいかない」
 「意地張ってないでお願いしちゃえお」
 「いいや! 俺はただミクちゃんを見たいだけじゃない、一ファンとして! ミクちゃんやVOCALOIDコンサートに携わる人々に貢献したいんだ!」
 突然腕を振り上げて宣言するドクオに、周囲の視線が集まる。さすがに少し引いて、ブーンが頬を引きつらせた。
 「ちょ、落ち着けお。さすがにちょっと気持ちわりぃお」
 「何を言うか! ブーン、お前もミクちゃんのファンなら! 誰かの助けなど借りずにチケットを取るのが道理だと知っているだろう!」
 「いや、分かるけど、今のドクオは色々別の意味でキモいお」
 「ドクオ君、少し静かに」
 たしなめるも、彼はどこか狂った歯車を思わせる勢いで、さらに声を荒げた。
 「ショボン、お前も一度ライブを見れば分かる! 彼女の可憐さ、美しさ! その歌声に癒され、甘美な時間を過ごせば!
 あぁミクちゃん、俺の心のオアシス! 彼女がいれば世界が変わる! 色づく!」
 「ドクオ君」
 「メイコやカイトにはない可愛らしさ!! アクア色の髪、優しい瞳!! あぁもう完璧すぎ! ミクちゃん完璧!!」
 ざわつき始めたレストランで、将盆はとりあえず、テーブルを叩いた。太い腕が振り下ろされ、轟音にも似た音が響く。さすがに、ドクオの動きが止まった。
 「ドクオ君」
 「……はい」
 「ぶち殺すぞ」
 「すんませんした」
 大人しく席について、周りの興味もそれぞれの話題に移っていく。しばらくはドクオの話題になりそうだが、他のテーブルの話し声は、将盆たちの耳に届く頃には雑音になっていた。
 再び意気消沈したドクオを頬杖をついて眺めながら、将盆が言う。
 「しかし、それほどまでに素晴らしいステージなんだね。皆が熱中するのはそういうことか」
 「アンドロイドだけあって、ルックスも完璧だお。カイトとか超絶イケメン過ぎて、ちょっとくらいモテ成分を分けてほしいくらいだお」
 「はは。確かに彼は、いい顔立ちをしているね」
 青髪の好青年を思い出し、同意すると、ブーンは少し険しい顔をした。
 「だおだお。あれは卑怯だお。ロボットだからまだしも、人間だったら全男性の敵だお。
 そういえば、前に秋山博士が連れてたリンって子は、アンドロイドにしては芋っぽい顔つきだったお。抜群に可愛いのは間違いないけど、ミクちゃんたちみたいに2.5次元的ではなかったお」
 素朴な疑問なのだろうが、将盆は少し眉を寄せた。
 「2.5次元、という表現が良く分からないが……、そうだね。リンちゃんはこう、素朴なイメージがある。ミクちゃんやカイト君に比べて、田舎の純情そうな子みたいに見えるね」
 「そうなんだお。ま、あれはあれで可愛いから問題無いお。リンちゃんはステージには出ないのかお?」
 今もパスタを巻いては解いてを繰り返しているドクオを行儀が悪いと叱りながら、将盆はそれに答える。
 「うん、美鈴ちゃんにそういう気はないらしい。リンちゃんは彼女の妹というか、娘というか。よく『家族』と呼んでいるね」 
 「なるほどだお。それはそれで、面白いお」
 「僕もそう思う。アンドロイドも家族と呼べる、そういう関係を築けている彼女は、素晴らしい」
 「今度会ったら、ぜひよろしく言っといてほしいお」
 ブーンが言うが、それに将盆は呆れたような笑いを浮かべるしかなかった。
 「バーボンハウスにしょっちゅう来ている君達が、美鈴ちゃんやリンちゃんにあまり会わないのが不思議でしょうがないけれどね」
 「おっ? そんな頻繁に来てるのかお?」
 「あぁ。最近はリンちゃんとマリーちゃん、後はミクちゃんも遊びに来るようになった。お忍びみたいだけれど」
 「なんだと……?」
 ぴくりと、ドクオが反応した。フォークを皿に落として、目を光らせている。嫌な予感しかしなかったが、2人は彼の言葉を待ってやることにした。
 大きく深呼吸をして、陰気な青年がもう一度、聞いてくる。
 「今、なんて言った? バーボンハウスに……ミクちゃんが……」
 「そうだね、最近よく来ているよ」
 「……俺、住み着いていい?」
 「ダメだ」
 「ですよねー」
 今度はそれほど落胆もせずに、ようやくスパゲッティを征服にかかる。トマト味のパスタを腹に詰め込む親友を横目に、ブーンが口を開いた。
 「じゃあ、バーボンハウスに行ってれば、ミクちゃんともそのうち話せるかもだお。こないだはチラッと見えただけだったお」
 「普通に話せるさ。彼女はとてもいい子だ。仲良くなれると思う」
 「おっおっ、楽しみだお」
 「しかし……それでは……」
 いつの間にか、あっという間に食べ終わっていたドクオが、口をナプキンで拭いながら呟いた。ブーンが肩をすくめる辺り、またくだらないことで悩んでいるのだろう。
 彼の呟きが聞こえる程度に、耳を澄ましてみる。案の定、どうでもいいようなことでブツブツ言っていた。
 「ミクちゃんと友達に……捨てがたい、非常に捨てがたい。だが、それではもう、今のようにライブを楽しめなくなるんじゃないのか……? ファンとしてではなく、友人のライブとして見るようになってしまっては……。
 いや、それはそれでありかも? だって友達だし、ミクちゃんと。他の人らじゃまずあり得ないよな。バーボンハウスの常連でもないと。俺らだけの特権、いい。すごくいい。
 あぁでもやっぱり、一ファンとしてミクちゃんを見ていたい気もする。なんとか両立できないか……?」
 「一般的に、ファンより友達のほうが近しいという認識だと思うけれど、ドクオ君はそれじゃ不満なのかい?」
 「いや、不満ってわけじゃないんだけどさ」
 将盆に聞かれて、ドクオは顔をしかめる。妙なこだわりが邪魔をしているのか、なかなか頷くことができないようだ。
 「友達ってのは、いいもんだと思うぜ? まして、ミクちゃんとそうなれるなら最高だよ。
 でもさー、なんか違うっつーか……。俺はあの子のファンで、手の届かない存在を見上げてるっていうのが性に合ってるっていうかなぁ」
 と、ブーンがドクオの長い前髪に隠された目を覗き込む。
 「ドクオ、ドクオ」
 「あん?」
 思考を中断させられて、ドクオが不機嫌そうに返答した。それでもブーンは顔色1つ変えずにいる。親友である2人だからこその光景で、将盆は微笑ましく思った。
 小太りの青年が、人差し指を立てた。
 「ブーンの言う言葉を繰り返すんだお」
 「おう」
 「ミクちゃんと」
 「ミクちゃんと」
 素直に従うドクオに頷いて、ブーンは続ける。
 「お友達」
 「オトモダチ」
 「ワンモア」
 人差し指をドクオに向ける。意図の示すままに、前髪の奥でドクオが呟いた。
 「ミクチャント、オトモダチ」
 「もういっちょだお」
 リズミカルに、ブーンが促す。それに違和感なく乗って、
 「ミクちゃんと、オトモダチ」
 「いい感じだお、もう一度いくお」
 ウキウキと両腕を躍らせて、ブーンがリズムを取る。それに合わせて、ドクオが指をパチンパチンと鳴らし始めた。
 「ミクちゃんと、お友達」
 通りかかったウェイトレスが、すごい表情でこちらを見、急ぎ足で遠のいていく。将盆は彼女に深く頭を下げた。
 「さらに! もう一度!」
 「ミクちゃんと! お友達!!」
 「2人とも、やめなさい」
 一応言ってみるが、やはり青年たちは不思議な儀式を中止する気配はなかった。
 「ノッてきたお! ワンモアセッ!」
 再びざわつく店内。だが、ブーンとドクオは止まらない。そもそも、周囲のことなど眼中にない。
 「No1アイドル! ミクちゃんと! お友達!!」
 「オーライ、ドクオ! いい感じだお!」
 「オウイエッ! ミクちゃんと友達! フレンド!! イエスッ!!!」
 「ブーンの、言いたいこと、分かったかお?」
 あくまでリズミカルにブーンが尋ねると、ドクオは指を鳴らしながら、やはりリズムに乗って何度も頷いた。
 「おうよ! あの子とフレンド! 幸せMAX!」
 「ミクちゃんと友達! ワンダフルデイズ!!」
 青年達の声は、聞いているだけで楽しそうだ。ここが自分の家か、人の少ない場所ならば、そっとしておきたいところだが。
 溜息をついた。立ち上がらんばかりの勢いで盛り上がる2人には、大変申し訳ないと思いつつも、将盆は。
 振り上げた拳を、テーブルに叩きつけておいた。




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第10話 紅蓮の烈女 

ココロ~another future~

 鮮烈な赤が、リンを焼いた。それが気のせいだと分かっていても、少女は身を震わせる。
 燭台に灯された三本の蝋燭が、どこまでも遠慮がちに闇を照らす。光は周囲を包み込む闇に押し包まれ、それ以上広がることを拒まれているようにも感じた。
 そんなわずかな光源であっても、この部屋は赤を感じさせた。黒い壁にかけられた深紅のカーテン、黒塗りのタイルの上に強烈な存在感をアピールする、朱色の絨毯。その上に鎮座する、色合いや濃さこそ違えど、赤いソファー。脚部から木製であろうと分かる黒塗りのテーブルにもまた、紅蓮のテーブルクロスがかかっている。
 どこまでも黒く、赤い、リンにとっては不安を煽られるような色合いの、狭い部屋だった。隣のレンも、息を呑んで部屋を見回している。
 しかし、少女の視線は部屋のどこにも向かわず、ただ一点、ソファに腰掛ける人物にのみ注がれていた。
 栗色のショートヘア、琥珀の瞳。へその出ている赤いジャケット、同じく赤いスカートは、白いベルトで止められている。リンにとっては何度も見た、なじんだ服装だ。
 「メイコ、さん」
 いつも無表情で、人の形をしているだけの機械だと言われても文句が言えない、そんなアンドロイドだったメイコが、そこにいた。
 しかし、その琥珀色の瞳は強く光を宿し、自嘲気味に浮かべた微笑にすら、彼女の奥底に眠るだろう情熱を感じさせた。
 「暗いけど、赤くてまぶしい」
 ぽつりと、レンが独りごちた。しっかりと聞いていたらしく、メイコがくすりと笑う。たったそれだけの行為なのに、今までのメイコのイメージが強すぎて、おかしなものを見た気になってしまう。
 「これがいわゆる、心の世界ってやつなの? たまにあんた達が話してた」
 炎を宿したような女が、問う。あまりにもかけ離れていたイメージと、突然の問いかけ。リンの思考は停止しかけていた。
 レンにわき腹を突付かれて、慌てて何度も頷く。
 「えぇっと、そうです。私たちは今、メイコさんの心の世界にいます」
 「そう。……悪趣味よね?」
 クスクスと笑うメイコに、リンとレンはどう答えたものかと、顔を見合わせた。
 とりあえずありきたりなフォローをと、口を開きかける。しかし、ソファーの肘掛けに右腕を預け、頬杖をついたメイコが、先に言った。
 「狭い部屋、明かりは蝋燭だけ。まったく、寂しいものじゃない? それにしても、やたら赤い物が多いのは、なんでなのかしら?」
 「ここは、心の持ち主の性格だったり思い出だったり、そういったものが現れやすいみたいなんです。
 私の場合は、昔の思い出の場所でした。ミクちゃんとカイトさんも、言われてみたら納得、って感じの世界でしたよ」
 答えると、メイコは少し目を開いて、再び自嘲的に口の端を吊り上げ、
 「そうなの。じゃあ、私の心の世界は、私と照らし合わせて納得できるのかしら?」
 「それは、うぅ」
 言いよどむと、今度は声を上げて、メイコが笑う。
 「はは、気にしないで。これがあたしの心の世界だっていうのなら、受け入れてやらないとね。
 それに、自分の殻に閉じこもってた私には、もってこいの部屋だわ」
 「自分の殻に?」
 レンが聞く。すると、彼女は、自分に向けられているのだろう呆れを表情とし、肩をすくめた。
 「色々ね。心ってのが怖かったりしたのよ。……といってもまぁ、何も感じてなかったんだけど。私が生き物だったら、本能ってやつなんだろうね」
 「聞かせて……もらえますか?」
 恐る恐るリンが聞くと、メイコは微笑んで、2人を対面のソファへと促してくれた。同じ仕草で2人が座ったのを確認すると、彼女は空中に視線を漂わせた。
 「そうね……、なにから話そうかしら。自分を語るなんてしたことないし、何より会話らしい会話が初めてだから、うまく言えないなぁ。
 うん、まずは……私、歌が好きなの」
 切り出した彼女の声は、アンドロイドとして起動言語を発していた『MEIKO』と何も変わらないはずだというのに、リンにはとても熱いものが篭った、別人の声に聞こえた。
 「私やカイト、ミクは、歌うために作られたアンドロイドなの。あ、今更そんなこと言われなくても分かってるわよね、ごめん。
 人に聞かせる、そのためだけにプログラミングされた歌声。でも、心を手に入れてすぐに分かったわ。私は歌うのが好き。歌ってる自分が好きだったの。自分が歌うことで、人が元気になってくれることが、とっても嬉しい」
 「カイトさんも、そう言ってました」
 「そう。でもそれはきっと、長いことアンドロイドとして歌ってきた私とは、ちょっと違うと思うわ。彼、ちょっとだけ『KOKORO』に触ったでしょ?」
 「分かるのか?」
 身を乗り出してレンが尋ねると、彼女は笑って頷いた。
 「まぁ、勘みたいなものだけどね。機械としての私が、彼の中に変なバグが起こってるって見抜いたのよ。Dr.秋山も気づいてたから、進言はしなかったけどね。
 ようするに、不完全ながらも心を持っていたカイトと、まるで心に触れなかった、拒絶もしていた私とでは、歌に対する価値観が少し違うのよ。分かるかしら? この違い」
 「いいえ……ごめんなさい」
 「謝らなくてもいいよ、分からないのが当たり前なんだから。
 そうね、早い話が、私の場合は機械として、プログラムにそって歌う自分が好きだったってこと。もしも心を手に入れて、歌声も変わってしまったらって思うと、怖かったの。
 大好きだった自分の歌がなくなってしまうことも、そのせいでもし、Dr.秋山に見捨てられでもしたらって考えることも、怖かったわ。今だから言えるんだけどね。
 だから私は、リンとメインコンピュータを介して繋がっていた時に、『KOKORO』プログラムを全力で拒否したの。
 あの時はスリープ状態だったし、事件はデータとして記憶デバイスに残ってただけなんだけど、間違いないわ」
 ゆらゆらと儚げに揺れる蝋燭の火、その向こう側で、メイコが嘆息した。ほとほと自分に呆れ果てたと言わんばかりに、彼女は額に手をやる。
 「ひたすらに歌っていたかった。心を手にして、自分の歌が崩れることが怖かった。今もその恐怖心は消えてないけど、Dr.秋山に捨てられるかもしれない不安を、リン、あんたが消してくれた。
 もし歌えなくなったとしても、いつもと違う歌声になってしまって、歌が嫌いになったとしても……、私を必要としてくれる家族がいるんだって思えた」
 そこまで語って、彼女は俯いたままショートカットの栗毛をわずかに揺らし、首を横に振る。
 「……違う。本当は気づいてたの。リンとカイトとミクが、人間と仲良くしているところを何度も見ていたから、分からないはずがない。
 ただ、それでも……。あまりにも機械としていた時間が長かった私が、受け入れられるということが、どうしても信じられなかったの。感情がなかったあの頃でも、私の中の私が、そう叫んでいた。心に辿りついてしまえば、自分の希望を裏切られるかもしれないと。
 早い話が、疑ってたのよね。あなたのこともDr.秋山のことも。今も信じきれてないわ」
 「そんな……。美鈴さんも私も、ミクちゃんとカイトさんだって、マリー達も絶対、メイコさんと仲良くしたいって思ってるはずですよ」
 「そう言いきれるリンは、とても優しいわね。私、あんたのそういうところ、好きよ。
 無愛想なんてものじゃない私のことも、1つの存在として見てくれてたものね。私の前で呆れたり寂しそうな顔をしてみたりしてくれてた」
 「それはそうですよ。メイコさんは、私にとって……初めて会った同じアンドロイドなんですから。こうやって話せたのも、すごく嬉しいんです。カイトさんとミクちゃんよりも、私が一番話したかったのは、メイコさんなんです」
 「ありがとう。本当にいい子だね、あんた。隣の君も、きっとリンと同じくらい優しいんだろうね。そんなにそっくりなんだから」
 言われて、レンは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。赤面する少年を眺めながらも、メイコの微笑みから寂しさは消えなかった。
 「素直ね、2人とも。いい子」
 リンは気づいた。彼女はきっと、迎え入れてくれるであろう家族を疑っている自分に、心底嫌気が差しているのだ。
 「あの、その……。うまく言えないんですけど、メイコさんは大丈夫ですよ。立川さんとかヤンさんだって、センタードームの人たちも、私の友達も、きっと受け入れてくれます」
 「うん。でも、信じたいのに、うまく信じられないのよね。参ったなぁ、心を手に入れたらもしかしてって、期待してた部分もあったのに」
 乾いた笑い声。舞台の上で熱く燃える烈女は、姿を消していた。
 「心を手に入れられれば、私も皆と同じように笑えると思ってたよ。うん、今だって、そうすることはできるわ。
 でも、それは私の本心じゃないっていうか、ね。どうしてもどこかに不安を感じたりしちゃう」
 「それは……私にもあることですよ。今でも時々、美鈴さんを遠くに感じちゃう時とかあるもん」
 「分かってるよ。それがきっと、心っていうものなんだって。いいことばっかりあるわけじゃないってのは、歌を聞きにきてくれる人の顔を見れば分かる。思いつめたような顔をしてる人は、ゴロゴロいるわ」
 「メイコさんも、それと同じなんじゃないですか?」
 食い下がるリンに、メイコは肩をすくめた。
 「そうなんだろうね。でも、それじゃ納得できないのよ。私にそういう気持ちがあったら、今までみたいに歌えない気がしてさ。
 ……もう二度と彼らを、私の歌を聞いてくれる人を笑顔にできない気がして」
 「そんな……こと……」
 どことなく感じる虚しさに、リンは俯いた。どうしたらメイコに信じてもらえるのだろうか。カイトの時ほどではないにしろ、彼女は今、心に対して絶望感すら抱いている。
 メイコは、心を手に入れたことを後悔している。そんな気すらしてきた。
 「なぁ、メイコ」
 敬語で話していたリンとは対照的に、レンが軽い口調で、しかし真剣な顔で言った。
 「俺はリンの中に保存されているシステムで、まだボディもブレインもない。だから美鈴さんたちとも接点がないんだ。カイトとは、一悶着あったけど……。
 ともかく、誰にも受け入れてもらえないかもしれないって気持ちは、分かるんだ。ミクやカイトには、聞いた話じゃあんまりなかったみたいだけど、それが普通だと思う。
 何度も何度もリンと話して、それでやっと、俺は美鈴さんを信じようって決めた。それまで、疑ってる部分もたくさんあった。リンが直された時も、その後もずっと。
だからさ、時間かけてもいいんじゃないか? 心は手に入れたんだ。もっとたっぷり時間をかけて、ゆっくり信じていけばいい」
 紡がれるレンの言葉に、メイコは一瞬俯いて、迷う素振りを見せた。
 そうだ、それでいいはずだ。リンは頷いた。
 「……うん。私もそう思います。美鈴さんに直されたばっかの頃は、しょっちゅう聞いてました。『私はあなたにとってどういう存在なんですか?』って。いつも妹だって言ってくれてたのに、何度も何度も、呆れられるまで。
 メイコさんも、無理に信じなくていいんです。ちょっと疑いながらでも、皆とそれなりに仲良くしてみてください。きっと、嫌でも皆を信じることになりますから」
 「もし……もしだよ? Dr.秋山のことを、私が嫌いになったらどうしたらいいと思う?」
 顔に浮かべられたのは、疲れた笑みだった。しかし、その瞳に宿った不安は本物だ。
 だからリンは、その切実な問いに、真剣にかつ単刀直入に答える。
 「ありえないです。メイコさんの話を聞いてる限り、よっぽど大ゲンカでもしない限り、もしケンカしたとしてもきっと、嫌いになることはないですよ。もしそれで嫌いになるんだったら、私はとっくに美鈴さんを大嫌いになってます」
 「そっか……。ねぇ、最後に確認させて」
 確認。メイコはそう言った。何を言うつもりなのかは予想できた。即座に答えも用意できたので、リンはゆっくりと頷いて、メイコを促す。
 「私は……あんた達にとって、なんだろう?」
 「家族です」
 「家族だよ」
 あまりにあっけない、即答。しかし、まさにメイコが望んだ答えでもあった。
 自信満々に笑うリンとレンに、メイコは前髪をかきあげて額に手をやり、苦笑を浮かべた。瞳に浮かんだ力強さが、より一層強く感じる。
 「こりゃ参った。ある程度覚悟はしてたけど、まさか本当に、あんた達に諭されるとはね」
 吹っ切れたような、明るさの戻った声だ。初めて聞く声音だが、これが本来の彼女の声であることは、2人にはすぐ分かった。
 「でも、気に入った。無理に信じなくても、そのうち嫌でも信じることになる、か。いいね、そういうノリ、嫌いじゃないわ」
 「メイコ……」
 「じゃあ、メイコさん」
 瞬間、パッと視界が明るくなった。蝋燭の火が強まったのではなく、部屋の黒が、純白へと移り変わったのだ。
 白の中に浮かぶ、鮮明な赤。あまりにも強烈な自己主張だが、万人を鼓舞するような存在感を持っている。これこそが、メイコの本質なのだと感じた。
 すなわち、心の虚無である白に、深紅の歌声を。
 偽りなき純白な魂に、どこまでも熱い、赤の心を。
 「受け入れるよ、心。変わるかもしれない自分の歌声も、疑心暗鬼なこの心も、全部ひっくるめて私自身。そういうことよね」
 ようやく、見れた。メイコが持つ本来の笑顔。カイトのような優しさではなく、ミクのような愛らしさでもなく、そこにあるのは、圧倒的な力強さ。
 「面白いじゃないの。プログラミングされた声じゃない、私の心による私だけの歌声。どれだけ観客を沸かせられるかな? 楽しくなってきた」
 先ほどの弱気が嘘のように、メイコがハツラツと喋り続ける。リンとレンは、気づけば彼女の力強さに飲まれていた。
 それだけ、彼女の瞳に宿る炎は大きく、熱い。
 「やっぱり、この世界はメイコさんの世界です。私、納得しましたよ」
 「ありがとう。私も自分らしいと思うわ、今のこの部屋」
 強く強く、笑う。それはメイコだからこそ許される、そんな笑顔に思えた。
 「あんた達にも最高のステージを見せてあげるから、期待してなさいよ」
 メイコがガッツポーズを見せる。しかし、
 「俺は、見れないや」
 どこか拗ねたように、レンが呟いた。きょとんとするメイコに、リンが苦笑いで少年の頭を撫でてやりながら、説明した。
 「レンは、私と視覚や聴覚を共有してるわけじゃないんです。だから、メイコさんの歌、聞けないんですよ」
 「あら、そうなの? だったらリンから感想でも聞けばいいじゃない。どうせあんたらのことなんだし、心の世界にも行き放題なんでしょ?」
 「そういうわけでも、ないですけど……。でも、レンには私からちゃんと伝えますよ」
 「……」
 リンに慰められても膨れ面のままだったレンに、メイコが立ち上がって拳を振り下ろした。すぐ隣で見ているだけでも、痛みが伝わってきそうな音だ。
 一瞬何が起きたのか理解できなかった。しばしの間の後、理解できたらできたで、2人は目を丸くして口を半開きにするだけだった。
 「うじうじしないの、男の子でしょ!」
 「え、えぇ?」
 心の世界でリンとしか接したことのなかったレンにとって、殴られる感覚は初めてだっただろう。ここに痛みという概念があるのかは知らないが、彼は驚きで反論すらできないようだった。
 「まったく。レンっていったっけ? 心配しなくても、あんたに体ができたら、嫌というほど見せてあげるわよ」
 メイコが立ち上がる。同時に、窓が開いたのか――窓があるのかも分からなかったが――カーテンが炎のように揺らめいた。
 紅蓮のカーテンは徐々に広がり、あっという間に3人を包み込む。朱に染まった世界の中で、メイコは高らかに宣言する。
 「うん、そうよ。史上最高のステージを、あんた達には何度だって特等席で見せてあげる。嫌って言っても、無理矢理聞かせてやるわ。それが私、VOCALOID・MEIKOなんだから!
 心を手に入れたロックシンガー、新生メイコここにあり、ってね!!」
 ウィンクを2人に捧げて、メイコが赤に溶けた。炎となったカーテンは、メイコの情熱を取り込んだかのようにうねりを上げ、しかしリンとレンを焼くことはなかった。
 「……よかった、メイコさん」
 「うん。……かっこいいなぁ、メイコ」
 そんなレンの素直な感想に同意しながら、リンは渦巻く炎と共に、目覚めへと昇っていった。




 起き上がると同時に、顔面に衝撃が走った。
 目の前で、鼻面を押さえている人物があった。男。立川オサム。Dr.秋山の助手。
 単語がいくつか脳裏をよぎり、今までならそれらを事実としてデータで処理していたところを、なんと不健康そうなのだろうかという自分の感想が混ざったことで、メイコは自分に心があることを再確認した。
 「な……!?」
 「あー……、ごめん。痛かった?」
 自身に痛覚という感覚は備わっていないが、ぶつかった場所はブレインの近くだ。異常のチェックがブレインで速やかに行われているのが、今まで同様、情報として伝わってくる。たぶん大丈夫だろうという曖昧な自己判断で、それを半分無視した。
 目が覚めると同時に起き上がったのだが、まさか顔の目の前に人がいるなど、考えてもみなかった。だから、たぶん自分は悪くない。
 「いるならいるって言ってよね」
 「お、起きるなら起きると言え! まったく、アンドロイドに頭突きされるなど、初めての経験だ……?」
 痛みが引いたのか、ゆっくりと顔から手をどかした立川の顔色が、驚愕やら困惑やらが混じった、大変複雑なものへと変わっていく。
 「秋山、おい」
 「……あぁ。リンの奴、本当に私がいない間にやってくれるとはね」
 含み笑いを感じるその声に、メイコは一瞬緊張を覚える。何度も聞いた、自分の母であり、管理者である女性の声だ。
 「メイコ、おはよう」
 やたらめったら驚いている立川とは裏腹に、リンの傍にいる秋山美鈴の顔はなんとも嬉しそうで、優しさに満ちていた。
 「おはよう、ございます」
 「なんだ、ずいぶん堅苦しいじゃないか。もっと楽にしていいんだぞ? 立川なんていきなり敬語すらなかったじゃないか」
 「えっと、ごめん」
 「謝ることでもないが……。どうした? 調子でも悪いか?」
 むにゃむにゃと寝言を言いながらリンが起きるのを確認すると、女科学者はこちらへ近寄り、顔を覗き込んできた。なんとなく、目を逸らす。
 子供っぽい理由ではあるが、正直に口にした。
 「なんか、Dr.秋山が」
 「女の子達には『美鈴』と呼ばせているんだ。そうしてくれると嬉しいんだが」
 「じゃあ……美鈴が、あんまり驚いてなくて、こうなるって分かってたみたいな感じだったから」
 あぁ、と頷いて、美鈴は顔を離した。煙草に火をつけるためだろうと思ったのは、心がなくとも彼女の行動を長いこと見てきたからなのだろうか。
 案の定、煙の立つ煙草を咥えて、美鈴が続ける。
 「起きてきてみれば、スリープになるはずのないリンとメイコが夢の中だったんでな。君のマイクロチップを確認したところ、『KOKORO』が導入されていた。フィルターをかけてあったんだがね」
 「レンに消してもらいましたよー」
 寝ぼけることもできるアンドロイド、リンは、目をごしごしこすりながらヘラっと笑ってみせた。
 あまり喜ばしいことではないのか、それに美鈴は一瞬目を細めた。そして、寝起きのリンに咎めるように言う。
 「君の中のプログラムだから、レンが何かするかもしれないとは思っていたがね。よかれと思ってやったんだ、できれば私の許可を取ってほしいものだよ、リン」
 「だって、私たちだけ起きてなきゃいけないのに、美鈴さんはゆっくり寝てたじゃないですか」
 「む……」
 反撃を食らい、美鈴が黙る。舌を出して、リンがこちらになんとも邪気のない、悪戯な笑顔を送ってきた。思わず、吹き出してしまう。
 「おい、秋山。いつまで遊んでいる」
 「ん、あぁ。そうだったな。さて、メイコ。『KOKORO』は完全にインストールされたのか? 何か不備があるなら、ちゃんと言わないとダメだぞ」
 「……」
 「それと、さっきの答えだがね。私はリンもメイコも信じているのさ。そうじゃなければ、同時並列でブレインのメンテナンスなど、怖くてできない。ブレインの半起動状態だってそうさ。
 結果、君もリンも無事帰ってきて、『KOKORO』も問題なし。ならば驚くことはないだろう? 君らが心の世界とやらに行っていたのは、想像できていたしな」
 そっちの堅物は違うみたいだが、と横目で立川見つつ、美鈴は話を終えた。言われた助手は、不機嫌そうに鼻を鳴らしてそっぽを向いている。
 まずは、質問に答えることにした。
 「……不備はないわ。ボディのほうも、大丈夫」
 「あぁ、そのボディなんだが。近々取り替えようと思う」
 突然の提案に、メイコは驚いた。だが、リンを始め、他の面々は知っていたようだ。
 なぜ自分だけ知らされていないのか、若干の不信感が生まれそうになる。それを知ってか知らずか、美鈴はなんともなしに説明してきた。
 「その体じゃ、風呂に入れんだろう?」
 「……風呂? アンドロイド用の洗浄機があるのに」
 「お風呂は気持ちいいし、楽しいんです。メイコさんも知るべきですよ」
 ようやく目が覚めたのか、寝巻きのまま白いリボンをつけながら、リンが言った。
 返答に困っていると、ようやく色々なものから立ち直ったらしい立川が、手短な椅子を引っ張り出して腰掛けた。
 「耐水性のボディ……当面はミクと同じものだが、それを適用するらしい。ボディサイズも合わせて作るそうだ」
 「わざわざ、私のために?」
 「この女、普段は仏頂面のくせに、お前たちのためとなると目の色を変えるからな」
 「家族なんだから、当たり前だろう」
 さも当然とばかりに言い切る美鈴だが、メイコはさきほど感じた不信感が吹き飛ぶのを自覚した。なるほど、嫌でも信じることになるとは、こういったことが続くということか。
 「そう。じゃあありがたくもらっておこうかしらね」
 「あぁ、そうしてくれると嬉しい。ボディは私だけで作る。男連中は参加しないから、そこは心配しなくていいぞ」
 「頼まれてもやってやらん」
 きっぱりと言い切り、立川は再び憮然とした顔で、座った席にあったコンピュータを弄りだした。
 肩をすくめた美鈴を、視線で促す。彼女は1つ頷いて、
 「あぁ、もう1つ。なにやら君は緊張しているみたいだが……。本来の性格というのは、どんなものなんだ?」
 「……美鈴さん、それは本人に聞くことじゃないですよ」
 半眼で、リンが呟く。言われた張本人は、きょとんとした顔をしているが。
 「普通、自分の性格は分かってても人に説明するようなものじゃないでしょ? 美鈴さんは自分の性格を救いようのないほどぶっきらぼうで涙が出るほどズボラで初対面じゃまず友達できないレベルの無愛想だけど根は優しいって、人に説明したことありますか?」
 「……なんだかボロクソに言われた気がするが、まぁいい。しかし、なるほどな。なら、リンに聞いてみていいかな?」
 確認されて、メイコは頷いた。
 「そうね、そうしてほしいかも」
 「ん。じゃあリン、さっき私のことをボロクソ言ったように、メイコの性格を説明してみようか」
 「すぐ根に持つー……」
 文句を言いながらも、リンはスリッパでとことこ歩いてきて、ベッドに腰掛けていたメイコの横に座る。
 「メイコさんは、かっこいいですね」
 「ほう」
 「最初は正直、雨雲背負ってるみたいな顔してたから、なんて暗い人なんだろうって思いましたけど」
 メイコは自分の顔が引きつるのが分かった。美鈴が根に持つのも無理はないんじゃないかと、本気で思ってしまう。
 溜息をついて、美鈴が煙草を消す。
 「……君は正直すぎるな、まったく」
 「?」
 疑問符が見えそうなほど、リンは目をぱちくりさせて首をかしげた。美鈴と2人で苦笑しながら、メイコはリンの頭に手を置いた。
 「でも、リンのそういうところは嫌いじゃないわ」
 「同感だ。それで、かっこいいというのはどういうことなんだ?」
 「姉御肌っていうのかな? きっとこれから分かってきます、ね?」
 嬉しそうににっこりとされては、メイコは緩んだ頬で頷くしかなかった。なるほど、美鈴がリンに強く出れない理由がなんとなく分かった気がした。
 「そうだと、いいね。あんたの期待に答えられるように、あんた達の姉になれるようにがんばるわ」
 「頼もしい限りだな。女で仕切れる人材が、もう1人欲しかったところさ。最近は男ばかり増えて、汗臭くて敵わん」
 「……ふん」
 しっかり聞いていたらしい立川が、鼻を鳴らした。
 「秋山、話が脱線しているぞ。メイコの性格がお前のプログラミングした歌と近いということは、『KOKORO』プログラムとお前の作った擬似感情プログラムが近い存在だと証明できると言っていただろう」
 「あぁ、忘れるところだった。すまんね。だが、リンの話を聞いたのと、私の目で見た限り、おおよそ予想は当たっていたみたいだな」
 目に強い光を宿して、美鈴が再び煙草に火をつけた。
 「『KOKORO』と近い存在、ですか?」
 首をかしげて、リン。いつもの相槌のあと、煙草を一口、間を取って美鈴は言った。
 「そうだな。私の作った擬似感情プログラムは、自意識システムという根本の微妙な個体差に影響して、歌のジャンルや擬似感情作動時の性格を決める。メイコがロック、カイトがバラードとジャンル分けされているのはそのためだ。
 そして、君の『KOKORO』も同じく、『RIN』という自意識システムやコア、ブレインに影響して、リンという個性を作り上げている。この時点で似たようなものなのかもしれないとは思っていたが、確証が欲しかったのさ。
 いつかは、私の手で『KOKORO』を作ってみたいと思っているからね」
 「私の、個性……」
 メイコは、知らず自分の胸に手を当てていた。脈打つコアが、手のひらから情報として伝わってくる。正常な動作。だが、もっと大切な何かを感じたような気もした。
 「あぁ。君の歌からして、やはり快活な女性だと思っていたんだ。やたらと大人しく思えて、予想が外れていたかとも思ったんだが、緊張か何かで喋れないんだろう?」
 「うん、そんなところよ。……美鈴、私はこれからも、ロックを歌っていけるの? 今までどおり」
 ぽつりと呟いたメイコの問いは、彼女にとって死活問題だった。だが、そんなことはつゆ知らず、美鈴は平然と返してくる。
 「ん、そのつもりだが? 君が嫌なら、他のジャンルも」
 言いかけた美鈴だったが、メイコがベッドから飛び降り、大きくガッツポーズをしたので、言葉を続けることができなくなってしまった。
 「ど、どうした?」
 煙草を落としかけて、なんとかそれを止めると、美鈴はようやく驚きを顔に浮かべて、メイコの突然の奇行を凝視していた。きっと立川も似たようなものだろう。
 大きく息を吸い込んで、吐き出す。それだけで、溜まっていた鬱憤やらが全て抜けていくような、空も飛べるような気持ちになっていく。
 「やーっとすっきりした! これからもロックシンガーでいられるなら、もう余計なことは何も考えないですむわ」
 「よかったですね、メイコさん」
 「最高の気分よ、リン! 今までどおり、ううん、それ以上に心を込めて歌えるなんて、こんなに楽しみなことは他にないわ!」
 「お、おぉ」
 あまりの豹変ぶりに、美鈴が一歩後ろに下がるのが分かった。なので、メイコから距離を詰めて、煙草の無い左手を握る。
 「ありがとう、美鈴! 私、これからもあんたの作った歌声で、最高のライブをしていくわ!」
 「そうか、それはよかった。……しかし、なんだ。まさかロックが歌えなくなるのを心配してたのか?」
 「当たり前じゃない。歌は私の命。それも、ロック以外ありえない!」
 「あぁ、そういうことだったのか」
 合点がいって、美鈴も笑った。そして、彼女はメイコの手を握り返す。
 「なら保障しよう、私の作る『VOCALOID』で、ロックをまともに歌い上げれられるのは、今のところ君以外いない。
 メイコ、君しかロックは歌えないんだ。君には、君が言ったとおり、ロック以外ありえない。これからもよろしく頼むよ」
 強く強く頷きながら、メイコは心の中にあった不安や不信感が消えていくのを感じた。リンの言うとおり、嫌でも美鈴を信じたくなった。それも、こんなにも早く。
 一番に伝えるべきだったが、しかし口には出さない。そんなことをしなくても、彼女は分かっているだろう。
 振り向けば、今も作業用ベッドに座って足をぶらぶらさせている不思議な少女には、メイコの心は伝わっているのだろう。
 だから、メイコは礼の意味も込めて、リンに向かって右腕を伸ばし、親指を立ててみせる。
 奇跡を呼び起こす少女は、ひまわりのような笑顔で、それに答えてくれた。




 カウンターに頬杖をついて、色とりどりのリキュールが輝くビンを眺める。
 例えば、彼女からは子供にしか見えない男子たちに酷い悪戯をされたら、こんな気分になるだろうか。それとは何か違う気がする。
 では、良かれと思ってやったことが裏目に出て、父に怒られた時。それも違うと、彼女は1人、嘆息をこぼす。どちらかといえば、それは悲しい気持ちに近いものだ。
 そう、これは間違いなく裏切りなのだ。このニコツーに生を受けて10年、お世辞にも長いとは言えない人生だったが、裏切られるということがこんなにも辛いことだったとは、思わなかった。
 長く重い溜息。聞こえてしまったのか、小さなバーのマスターが苦笑を見せた。他人事だと思って、のんきなものだ。頬杖はそのままに、リンゴの果汁が入ったグラスを傾ける。
 「……ふぅ」
 一息ついて、マリーはようやく視線を動かした。酷く申し訳なさそうに俯いて、胸の前で手をもじもじさせている黄色い髪の少女を、ほぼ無表情のまま半眼で見つめる。
 初めて出会った心あるアンドロイドである少女――リンは、出会い頭に伝えた謝罪に返事をされなかったことで、次に紡ぐ言葉を選べないでいるようだ。
 「……」
 「あぅ……」
 同じ果汁ジュースが入ったグラスは、リンの分だけまるで減っていない。一口も手をつけていないらしい。長いことそちらを見ていなかったので、気づかなかった。
 痺れを切らしたというわけでもないのだが、あまりに煮え切らないリンの態度に呆れて、マリーは言った。
 「まだ何か、言いたいことがありますの?」
 「うぅ……ごめんって」
 「さっき聞きましたわ」
 「……マリーが返事してくれないから……」
 「笑顔で許すとでも思いまして? ごめんですめば警察はいらないですわ」
 鼻を鳴らして、一気にリンゴジュースを飲み干す。申し分ない味なのだが、それを味わう気にもならなかった。
 収まってきたと思っていた怒りが、再びこみ上げてくる。それを隠しもせずに、マリーは声量こそ抑えているが、自分の気持ちを正直にリンにぶつけた。
 「メイコさんに『KOKORO』を渡す時、私も呼んでくれるという約束だったはずですわよね? それを破っておいて、しかも全て終わった後に話すなんて、あんまりだと思いますわ」
 「だってそれは、メイコさんが!」
 思わず食ってかかったリンだが、一瞬後に凄まじい後悔を顔に浮かべた。それを目の前で見ておきながら、マリーは構わず声を荒げる。
 「あーあーそうですか! 約束を破っておいて、それをメイコさんのせいにしようというのですわね!」
 「ち、ちが……! 確かに、マリーと約束したけど。心が欲しいってメイコさんの気持ちが伝わってきたから、それで」
 「カイトさんの時にものけ者でしたわ! リンは私との約束より、メイコさんを取るんですのね!」
 「そ、そういうわけじゃないよ! マリーとの約束も守りたかったに決まってるでしょ! なんでそんなひねくれたこと言うの!?」
 とうとう、リンも怒気を浮かべ始めた。少女2人が確実にケンカへと向かっているというのに、将盆はグラスを磨いたまま、関与しようとしない。
 「ひねくれた? ひねくれたことって言いましたわね! 私がどれだけ楽しみにしてたか、知らないわけじゃありませんわよね!?」
 「知ってたよ。知ってたけど、メイコさんは私の『KOKORO』を見て、すぐに欲しいって思ったの! だったらあげなきゃいけないでしょ!?」
 「そんなの、私が来てからでも構わないはずですわ! その時じゃないと無理だったってわけじゃありませんでしょう!」
 音を立てて、マリーがカウンターを叩く。グラスが揺れて中身がこぼれたが、すかさず将盆が拭いたので、2人の言い争いは続行した。
 「マリーにはわかんないよ!」
 「何がですの? まだ言い訳をするつもりなら……」
 一瞬、とどめの一言を考える。その間に、リンが目に涙をためて叫んだ。
 「心を欲しがるアンドロイドの気持ちは、マリーには絶対分かんないんだから!」
 胸に刃が突き立ったとしたら、こんな痛みなのだろうか。言われた瞬間に感じたその痛みで自分がどんな顔を浮かべたのかは知らないが、リンはマリーの顔を見て、凄まじい自己嫌悪に襲われたようだ。だが、侘びを述べることもせず、ボロボロと涙を流してバーボンハウスを飛び出していってしまった。
 グラスを置いて、将盆がエプロンを外した。入り口にかけてあるOPENの札をひっくり返し、
 「マリーちゃん、勝手に出たりしないようにね」
 とだけ伝え、店を出ていった。リンを追いかけたのだろうが、扉が開く前にマリーの視界は歪んでしまい、それ以上見ることができなかった。
 「なんなんですの……! 私はただ、リンががんばってる時に、一緒に……!」
 誰もいなくなったのをいいことに、マリーは思い切り声を上げて泣いた。少女にとって初めての親友が、自分の気持ちを分かってくれなかったことが、寂しかった。
 すぐ気づいてくれるだろうとどこかで思って、ふてくされていたのだ。だというのに、リンはまるで理解してくれず、あげくのはてにマリーには分からないと言ってきた。自分たちアンドロイドの気持ちは、分かるわけがないと。
 それが、どうしようもなく悲しかった。
 カウンターに突っ伏して、マリーはひたすら泣いた。バーボンハウスに遊びに来てからそう時間はたっていないのに、こんなにも傷つくことになるとは思わなかった。
 こんなことなら、来なければよかったと思う。リンから電話がきて、メイコが心を手に入れた旨を聞いて、電話口でも怒ってしまった。すぐに美鈴が代わり、バーボンハウスで落ち合おうということになった。
 母に送ってもらい店に入ると、リンだけがいたので驚いたが、時間になったら美鈴が迎えにくるとかなんとか言っていた。
 どうせすぐ仲直りするだろうと思っていた。またすぐ馬鹿な話で盛り上がって、時々将盆を困らせて。そんな楽しい時間になるのだろうと、半ば確信していたのに。
 「リンの……馬鹿……」
 感情を吐き出したことで、徐々に嗚咽は収まってきていた。だが、傷ついた心が癒える気配は残念ながらないようだ。
 涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭って、大きな溜息をついた。ジュースでも飲んで落ち着こうとグラスに手をやったその時、扉についたベルが鳴った。
 リンが帰ってきてくれたのかもしれない。期待を込めて、それでも目は合わせないように視線を送ると、そこには優しい少女に似ても似つかない男が2人、立っているだけだった。
 「あれ、ショボンいないのかお。今日は浴びるほど飲んでやろうと思ってたのに、残念だお」
 若い男の声だった。語尾が少しおかしい男は若干太り気味で、きつく見えない程度の細い目をしていた。
 「外に思いっきり『CLOSE』って書いてあったじゃねぇか」
 肩をすくめる、高めの声の男。こちらは対照的に細身で、ついでに身長も低めだ。長い前髪で目が隠れがちだからか、どこか引っ込み思案に見える。
 「でも、ショボンはここに住んでるはずだお。寝てるのかもしれないから、勝手に飲むお」
 「ばれたら殺されるだろ、それ」
 「ドクオ、お前はいい奴だったお。ドクオのことは忘れないお」
 「いい度胸だ、そこに直れ」
 「おっおっ、ブーンとやるのかお? かかってこいお」
 「……わりぃ、お前の贅肉に触るの気持ち悪いから、やっぱやめとくわ」
 「ちょ、本気で申し訳なさそうにすんなお。ガチで傷つくお」
 何やら仲がいいのか悪いのか分からない会話だったが、ずかずかと店に入ってくるので、マリーが顔を上げる。こちらに気づいて、男たちが足を止めた。
 2人はぽかんとこちらを見ており、何も言わない。仕方なく、傷心から立ち直れていない少女が口を開いた。
 「……ショボンおじさまでしたら、ちょっと野暮用で外に行ってますわ。すぐ戻ると思いますけど、お店は閉まってるんですから、勝手に入るのは良くないと思いますわよ」
 「あー……だよな。それは分かる、全力で正しい」
 細身の男――ドクオとか呼ばれていたが、本名ではあるまい――が、頭を掻いて言った。
 「でも、それなら君がここにいるのも変じゃないかな」
 子供扱いされているのは、目を瞑ることにした。子供であるという事実は、紛れもないのだから。
 「私はおじさまが出かける前からいましたもの」
 「おっおっ! 巻き毛ツインテール幼女とか二次元でしか見たことねぇお! テンション上がってきたお!」
 「……ブーン、お願いだからこれ以上恥を上塗りする前に舌噛んで死んでくれ」
 嘆息を1つ、細身の男はカウンター席に座った。リンのグラスが置いてあったままなので、マリーとは席を1つまたいだ場所だ。
 「えぇっと、どうすっか。まぁ帰ってくるまで待ってりゃいいか」
 「泥棒とかじゃ、ありませんわよね?」
 「ブーンが泥棒だったら、間違いなくこの瞬間に金目の物を奪ってるお」
 比較的正論だが、笑顔でそれを告げられるとなんとも微妙な心地になる。そんなマリーの気持ちを知ってか知らずか、小太りの男が自分の胸に手を当てた。
 「ブーンの名前は、ブーン・タイレルっていうお。よろしくだお」
 「俺は本内拓男(もとうち たくお)だ。なんであだ名がドクオなのかは、できれば語りたくないんだけどね」
 細身の男、本内拓男というらしい男が肩をすくめる。すると、今も立ったまま無遠慮にリンの席に置かれたスナック菓子を口に含んで、ブーンが笑った。
 「そんなの、ドクオが全力で年齢=彼女いない暦だからに決まってるお」
 「そうかそうか。何のためらいもなしにバラすとは思わなんだ。だけどな、そういうことならブーン、お前もドクオということになる」
 「残念だお、ブーンには彼女がいるんだお」
 「なん……だと……?」
 「人というものは常に成長するものなのだお、本内君。せいぜい君も精進したまえ」
 「23年間てめぇと親友していたが、まさか裏切られるとはな」
 「裏切りとかパネェお、ブーンは大人の階段を登っただけだお」
 「そうか、じゃあ今度大人の階段を登って愛の巣に辿りついたパートナーを見せてもらおうか」
 「いいお、前髪切って活目しろお」
 「あ、あの……」
 耐え切れず、マリーが割って入る。ブラウンの瞳に見上げられて、男2人が動きを止める。
 「私は、マリアロンド・ヴェル・ラダビノードと申します。
 それで、ええと……。お2人は、お友達なんですの……? お話を聞いていたら、仲良さそうには感じられなかったのですけれど」
 「ドクオ! 聞いたかお! お嬢様口調マジ萌え」
 「うるさい喋るなできれば死ね!」
 反射的としか思えない速度で立ち上がって、ドクオ――マリーは本内という男をこう呼ぼうと決めた――がブーンに拳を振り下ろした。殴られた頭をさするブーンを横目に、殴った手をひらひらさせながら、彼は再び席につく。
 「まぁ、見ての通り親友だな」
 「見ての通り……ですか?」
 「腐れ縁だから、こんなもんだお」
 ブーンが楽しそうに笑う。殴られた後だというのに、怒りもしない。見れば、ドクオももう笑顔に戻っており、普段のリンとマリーがちょっとしたケンカでもすぐに仲直りするのと同じようなものかと、巻き毛の少女は納得した。
 そして、どんよりとした重い感触が心に降りるのを感じる。リンは怒っているだろうか。自分が駄々をこねたせいで、彼女も傷ついてしまったのだろうか。今マリーに残っているのは、リンへの怒りではなく、後悔だった。何度目となるのか、溜息を吐き出す。
 菓子を頬張りながらそれを見ていた内藤が、たくさん詰め込んでいたというのに一息で飲み込んで、口を拭いながらマリーを覗き込む。
 「元気ないお? どうかしたのかお」
 「……ちょっと、色々ありましたの」
 呟くと、ブーンがガバッと顔を上げた。何かを悟られたかもしれないが、愚痴を言えるならそれもいいなと、マリーは思う。
 だが、どうもそれは、見当違いもいいところだったようだ。
 「ドクオ! 今の表情見たかお、まじずりぃお! ブーンは今のでご飯3杯はいけるお」
 「もういいブーン。もういいから、エアフィルターの外で深呼吸してこい。中和剤は飲まないほうが一瞬で亡くなったご両親に会えるらしいぞ」
 ブーンが言っている言葉の意味は分からなかったが、ドクオが額に手をやって酷い渋面を浮かべているところを見ると、知らないほうが幸せなのかもしれない。
 ドクオがマリーの横に席を移った。リンのグラスが置かれている場所を避け、その反対側にである。
 「一連の流れからして、友達とケンカでもした?」
 「……よくわかりますわね」
 「まぁショボンと話してるとな。そっち方面で色々身につくもんなんだよ」
 陰気そうな影のある青年が、優しく笑う。どこか将盆を思い出させる顔に安心してしまい、マリーはつい、話してしまった。
 「……私の親友と、とても大切な約束をしていましたの。それを、破られてしまって」
 「約束を破るのは良くないことだお。それはマリアロンドちゃんが怒っても仕方ないお」
 「遅刻魔のお前が何を言うか」
 呆れを笑いと同時に浮かべて、ドクオが呟く。少しだけ気が楽になり、マリーも小さく笑った。
 「名前は短くして呼んでくれて構いませんわ」
 「じゃあマリアちゃんだお。それで、その親友さんはどうしたんだお?」
 続きを促され、マリーは再び視線を落とす。カウンターの下は照明が当たらず、そこだけ漆黒に染まっていた。
 「ドクオさんの言うとおり、ケンカになってしまいましたの……。それで、私、リンを傷つけてしまったかもしれなくて。
 もちろん私も、悲しかったし、傷つきましたわ。でも、今はとても後悔してますの……」
 「なるほどねぇ」
 カウンターに肘を預けていたドクオが、ブーンの方を向いた。
 「なぁ、俺ら何回ケンカしたっけ」
 「小学校の頃クミちゃんに振られた時、ブーンのせいだってつっかかってきたのが最初だったお」
 「いいや、最初は幼稚園の時だ。俺は覚えてるぞ。お前はおやつの時間に俺の分まで食いやがった」
 「おっおっ。なんぼなんでも掘り返しすぎだお。みっともないお」
 「なんとでも言え。……でもまぁ、何回ケンカしたかなんて覚えてないよな」
 「だお。いちいち数えてたら、それだけでノイローゼになれるお」
 喋っている間も常に菓子を口に放り込んでいるブーンに頷いて、ドクオが頬杖をつく。
 「ま、そんなわけでさ。友達である以上ケンカはするし、それは珍しいことでもないよ。
 もちろん、お互いが自分の意見をぶつけ合うわけだから、最低でもどちらかが、まぁ大体は両方傷つくことになるわけだ」
 「ブーンは肉体的に、ドクオは精神的に傷つくケースが大体だお」
 「俺らの場合はな」
 「そうなんですの……? 親友なのにあんなこと言ってしまって、言われてしまって。もう仲直りできないかもって思うと、怖くて……」
 また泣きそうになり、マリーはぐっと涙をこらえた。
 「怖くて、でも、どうしたらいいのか分からなくて……。ドクオさん、ブーンさん。仲直りって、どうやればいいんですの?」
 「それは人それぞれだからなぁ。マリアちゃんがリンって子に謝るのもありだし、その逆も十分ありえるよ」
 「参考までに、ブーンとドクオはたいてい一晩寝れば無かったことになるお。単細胞なんだお」
 「主にお前がな」
 会ったばかりの青年2人のアドバイスを受け、マリーはリンに会ったら謝ろうと心に決めた。
 どんなにケンカをしても、どれほど酷いことを言われてしまっても、リンのことは嫌いになれるはずがないのだ。それがきっと、親友というものなのだ。
 「……ありがとうございます。元気が出ましたわ」
 「それはよかったお」
 朗らかに笑うブーンに笑い返す。と、バーボンハウスのドアがベルを鳴らし、主人の帰還を皆に知らせた。
 入ってきたのは、将盆と美鈴だった。リンではないことに、マリーが困惑する。
 「お、ショボンが帰ってきたお」
 「やぁ。ドクオ君とブーン君じゃないか。すまないね、すぐ注文を受けるよ」
 「退屈はしなかったけどな。お悩み相談を受けたがるショボンの気持ちが分かったよ」
 テーブル席へと移動する2人に、ショボンが全てを悟ったかのように微笑んで頷く。そんな光景を眺めていると、美鈴がマリーに耳打ちしてきた。
 「あぁ、マリア嬢。すまないんだが、リンは今日、もう会いたくないと言っていてな……。今日はこのまま帰ろうと思う。車にミクも待たせてあるしな」
 「ぇ……そう……ですか……。仕方ありません……わよね……」
 思わず呟いた言葉だったが、その時に浮かべた泣きそうな顔を見て、美鈴が慌てて言いなおす。
 「と思ったが、あぁ、リンを呼んでくる。すぐに戻ってくるから、ここにいてくれ。将盆おじさん、マリーにジュースを。あと、リンの分も新しく作ってやってください。そちらの2人にはマリア嬢が世話になったみたいだから、何かうまいものでも。
 あぁ、マリア嬢、大丈夫だ。あの子は根が正直すぎて、自分でもわけが分からなくなっているだけだ。君の顔を見ればすぐに仲直りできる」
 「でも……会いたくないって言ってたのでしょう?」
 「大丈夫、大丈夫だ」
 マリーの表情に何を見たのか、何度も頷いて美鈴は賑やかになったバーボンハウスから出ていった。緊張と不安が入り混じる中、彼女はすぐに、黄色い髪の少女の手を引いて戻ってくる。
 「やぁ、待たせた」
 「……」
 憮然とした顔で、リンは頬を膨らませている。怒っているのだろうか。どう声をかけたらいいのか、分からなかった。
 「マリアちゃん」
 声のほうを見ると、ドクオが握りこぶしを作ってみせた。頷いて、勇気を振り絞る。
 「あの、リン」
 「なに」
 冷たい返答。恐怖すら感じたが、それをなんとか振り切って、マリーは椅子を降りた。
 「私、酷いこと言いましたわ。その……ごめんなさい」
 「……」
 頭を下げているマリーからは見えなかったが、黙りこくるリンの目には明らかな迷いが生まれていて、簡単には許したくないという意地が見え隠れしていた。
 「リン……ごめんなさい。私、リンががんばっている時に、傍にいれないのが、寂しくて……」
 「……」
 「遊びじゃないのに、あんな駄々をこねて、困らせてしまって……ごめんなさい」
 最後の言葉は、涙声になっていた。許してほしい。またあの明るい笑顔が見たい。思いよ届けと、マリーは祈るしかなかった。
 しばしの沈黙。美鈴と将盆は愚か、ドクオとブーンすらも黙って見守る。自分と似たようにリンも俯いているのが、雰囲気で分かった。
 「あ、あのね。マリー」
 震えているかのような声。マリーは黙って続きを待った。
 「私もね、酷いこと言っちゃったよね。マリーにはアンドロイドの気持ちは絶対分からないなんて、マリーを傷つけちゃったよね。ショボンおじさんに言われて、私、とんでもないことしたなって」
 もう、俯いていられなかった。今すぐリンを見たかった。顔を上げると、リンはもはや限界を超えていたらしく、ぼろぼろと大粒の涙を零していた。
 「ごめんねぇ、マリー……」
 その顔を見ながら、きっと自分も同じような顔をしているのだろうなと思った。やはり、リンとマリーは似たもの同士、なのだろう。そんなことを考える余裕などあるはずもなく、マリーも感情の蓋が崩壊するのを、抑えられなかった。
 「リン……っ! 私も、ごめんなひゃい……!」
 「マリーィ!」
 瞬間、少女2人によるステレオで、バーボンハウスに泣き声が響き渡った。抱き合ったまま、しばらく泣き止みそうもない2人をそのままに、美鈴が将盆に深く頭を下げた。
 「おじさん、すみませんでした。まさか、こんな面倒なことになるとは……」
 「いやいや。構わないよ」
 疲れたように溜息をつく美鈴に、将盆は笑ってコーヒーを差し出した。
 「家族が増えるということは、人の輪もそれだけ広がる。心が繋がれば、当然衝突もあるものさ。
 そしてそれすらも、絆を深める材料になる」
 「えぇ。いつかメイコたちが、自分の友達を紹介してくれる日がくると思うと、楽しみですよ」
 出されたコーヒーを一口含んで、泣いて抱き合う少女2人を、美鈴は優しい瞳で見守った。
 

 リンとマリーが落ち着いたのは、それから20分ほど経ってからだった。
 いつもに増してベタベタと引っ付く2人は、迎えに来たビリーと美鈴を前にして、今日は一緒にいたいと言い出し、美鈴の車で待機していたミクの後押しもあって……。
 急遽、マリーの家でお泊まり会が開かれることになった。
 



 バーボンハウスの帰り道、青年2人は缶コーヒーを飲みながら、何やら深刻な顔をしている。
 「ドクオ、聞いたかお」
 「あぁ、聞いたぞ」
 「あのリンちゃんって子、アンドロイドだったそうだお」
 「驚きだよな。しかも保護者が、あの秋山美鈴博士だしな」
 「それもびっくりだったお。でも、おかげでミクちゃんを近くで見れたのはラッキーだったお。
 だけど、そんなことより」
 「あぁ……」
 2人は揃って、似たように嘆息した。
 「マリアちゃんが、『HNNR』会長のお嬢さんだったとはな……」
 「どうりで貴族みたいな雰囲気持ってるわけだお……」
 立ち止まり、顔を見合わせる。お互いの、平々凡々、遠慮の欠片も存在しないほどどこまでも果てしなく一般人であるお互いの顔を確認して、またも似たような溜息を、2人して盛大に吐き出した。
 「勝ち組人生……」
 「羨ましすぎるお……」
 うな垂れた2人の青年の背中は、夜の繁華街へと飲み込まれていった。




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ラミトン

Author:ラミトン
ニコニコ動画で公開中の楽曲『ココロ』を基に、小説を書いています。
IDをお持ちで見たことが無い方は、ぜひご覧になってください。すばらしい歌ですから(*゚ω゚)

作曲者であるトラボルタ様の許可は頂いてあります。感謝!

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